#閑話1 旅立つ者と送る者
午後の太陽が頼りない光を落とす薄曇りの空。晩春にしては少し冷たい風がカーテンを揺らし、室内に入り込む。小さな客室の中、テーブルには二人の美しい娘が座っていた。赤毛と金髪の王女が茶器を手にお菓子を挟んで向かい合う姿は、優雅で美しい光景だ。
一方、二人の後ろに控えるそれぞれの侍女の表情には緊張が見え隠れしていた。
「いかがでしょう。私の侍女もかなり上達したと思います」
クリスティーヌが言った。金髪の姫君の視線の先には半分になったパンケーキがあった。彼女の前にも同じように半分が欠けたパンケーキがある。二つの皿の生地は合わせれば円にもどりそうだが、厳密に比べれば断面のきめの細かさにわずかに違いがあるのがわかる。
「確かに美味しいわ。ただ、本来のレシピと口当たりが少し違うかしら」
「重曹の量など少し変えております」
「弾力があるのも悪くないけど。私はレシピのままの解けるような口当たりの方が好みかしら。やはり、東とでは味の好みが違うということかしら」
クリスティーヌは相手の真意を探るように赤毛の少女の表情をうかがう。
「リューゼリオンにとって大事な方をお預かりするのですから、お食事などで不自由な思いをされないように気を付けなければならないですね」
「そうお願いするわ。私が行くまでの短い間とはいえ、私の右筆であるレキウスを預けるのだから」
事務的な口調で言うリーディアだが、彼女の掌の下でテーブルクロスが小さな皺を作った。
「ラウリスでの全般において、私が一つ一つ責任をもって直接対応するつもりです」
「っ!? まあ、安全を考えればやむを得ないわね。でも、あなたも忙しいでしょうに」
「大丈夫です。私自身レキウス殿にはいろいろと教えていただきたいことがありますから」
リーディアのナイフを持つ手にわずかに力がこもった。
「レキウスはあなたの趣味の為に派遣するのではないのだけれど」
「もちろんわかっておりますが……」
クリスティーヌは少し年下の少女の顔を見る。リーディアの頬に朱が差した。
「何かしら」
「いえ、ずいぶんとご心配のようですから」
「言ったでしょ。兄様……レキウスは私の右筆なのだから」
「それだけでしょうか?」
「何が言いたいのかしら」
「お二人の御関係について聞いておいた方がいいかもしれません。実は私はどうもそういう機微に疎いようなのです。侍女や、兄からすら時々言われるのですよ」
「そ、それは……レキウスは私の……右筆。それだけわかっていればいいわ」
「しかし、お二人の間には個人的な親しみを感じます。確か先日も兄様と呼んでおられました」
「そ、そういう貴女はどうなのよ」
「私ですか? このような緊迫した状況で不謹慎ですがラウリスで私のコレクションを見ていただくのが楽しみです。旧時代について資料を集めているのですが、レキウス殿の御見解をうかがいたい案件が多くあります」
「あくまでその、学問的な興味ということかしら。その、文官的なというか」
リーディアはまるで頼み込むような声音で聞く。
「そうですが」
「そ、そう」
ナイフとフォークを握っていたリーディアの両手から少しだけ力が抜けた。彼女は平静を装うようにそれを残ったパンケーキに向けた。
「でも、そうですね。とても興味深い方です。レキウス殿といると心が弾みます。こういう感情は初めてかもしれません」
「!?」
カンという音が二人の間に響いた。リーディアのナイフが何もない皿の部分にぶつかっていた。
背後の侍女たちの表情がどんどん憂鬱になっていくのを知らず、二人の王女の話はそれからしばらく続いた。
◇ ◇ ◇
同時刻、護民騎士団本部。
二階の団長室では団長カインと騎士団付き文官のレキウスが話し合っていた。
「騎士団の立ち上げが本格化する大変な時に抜けるのは心苦しいな」
「何とかしますよ。組織の概要は固まっていますから」
「そうか。だが、周囲を見ればデュースターとグリュンダーグの対立にそれぞれの背後だ。相当ややこしいはずだぞ」
レキウスがラウリスに行っている間、国内の固めと情報収集は護民騎士団、というよりもカインと文官長が連携して行う。あの会議の後、王から示された方針だ。
「正直頭が痛い問題ですね。とはいえ、両家の対立がこうもあからさまに表面化した以上、組み合ってそうは動かないでしょう。しばらくはですが」
「なるほど」
「状況をポンポンとひっくり返す人がいなくなりますからなおさらです。これもしばらくはですね」
「……まるで俺が厄介ごとを引き起こしているようだが」
「差し引きの問題ですよ。先輩の力は重要ですけど、いなければ大きな問題が起こりにくくなりますから。まあ、内の方は僕がなんとかします。こういった問題はむしろボクの方が得意分野ですから。先輩は外の方で存分に力をふるってください。ラウリス内でなら暴れていただいても結構ですので」
「……なるべく穏便にふるまうつもりだが」
「そうでしょうとも。そうだ、これを渡しておかなければ……」
カインは自分の執務机の引き出しを開いた。そこから大きめの瓶を取り出す。
「指定されていた旧ダルムオンの河原から回収したものです。現地には洗い流したような跡がありましたが、石の下にはべったりと残っていました」
「助かるよ。物騒なものだが、ある意味俺たちの切り札だからな。そうだな、これだけあれば、エンジンを使っていろいろと試せるな」
瓶の中には黒い液体が満ちていた。その色に負けない笑みを浮かべた組織上の部下をカインは見た。
「どんなお土産を持って帰っても耐えきれるように、都市内を固めておきますよ」
2020年5月10日:
来週の投稿は木、日です。