#14話:後半 再起動
一刻も早くエンジンを再起動して魔蜂の群れから逃れなければならない窮地。ところが、黒い魔導金属がエンジンの触媒だけでなく、白い魔導金属の表面も汚染しているという予想外の事態に直面した。だが、俺は汚染されたエンジンの表面の色が、リューゼリオンの地下のエーテル泉で採取したサンプルと似ていることに気が付いた。
エーテルを付けてエンジンの地金の部分をこすってみる。薄い灰色は全く取れない。単に表面に付着しているのではなく強く結びついている。これは厄介だ。魔力触媒の様に新しいのに取り換えるわけにもいかないのだ。
だが、この灰色が白と黒の魔導金属が結びついた状態だとしたら、実験的に分離できる可能性はある。前の実験ではエーテル泉の灰色の層から、白と黒の魔導金属はそれぞれ別々の魔力触媒として吸収された。
あの実験の条件をここで再現してやればいい。あの時存在したのはエーテルと、そして魔力だ。問題は魔力だ。エンジンは魔力を流しているのに汚染されたのだから。
俺はエンジンを見る。三色の魔術陣が隣接する円錐の中央部分は、明らかに輝きが強い。これは三色の魔力が同時に作用する領域では黒い魔導金属が結合できない、あるいは結合したままでいられないことを意味するのではないか。
考えてみれば魔力触媒の実験でも透明な魔力が魔導金属と色素の結合や置き換えに効率よく効いた。回転に偏りのない魔力が魔導金属の反応に重要と考えれば矛盾はない。素子論で考えれば、素子の結合とは引っ付くか引っ付かないかの二択ではなく、両者の割合の違いだ。
無事に帰ったらそこら辺のことは調べたいが、今はとにかくこのエンジンだ。
俺はエンジンの表面にエーテルを塗る。そして、シフィーを呼んだ。
「シフィー。ここに灰色の魔導金属の層がある可能性が高い。透明な魔力を通してほしいんだ。表面を洗うような感じで」
「わかりました。あの時の実験と同じですね」
シフィーは俺のやりたいことを一瞬で理解する。彼女が手をかざすと、エンジンの表面はそれに合わせて白銀の輝きを取り戻していく。
「クリスティーヌ殿下、魔力をエンジンに流してもらえますか。一時的にでいいですから」
「わ、わかりました」
魔力測定器を見ると、乱れていた回転が、一方向、つまり白の側にそろった。よし、まともに動いていた時の反応だ。
「なんということ。私には何一つ理解できないのに……」
俺は改めて触媒を塗りなおす。魔力を通すと回転が復活した。
「どうですか殿下。これで出力は足りそうですか?」
「レキウス殿あなたは……。はい、これなら船を進めるのに十分のはずです」
クリスティーヌは驚きに目を見張っている。
「殿下。上は限界が近く。もはや船を放棄して……。なっ、エンジンが動いている」
上から顔を出したマキシムが蜂の体液に濡れた剣を手に言った。彼は回転するエンジンを見て絶句する。
「いったいどうやって。いや、早く水に下すぞ。すぐに操縦にかからなければ間に合わない」
「待ってください。このままじゃ駄目です」
俺は操縦手を制した。まだ最後の問題が残っているのだ。確かに黒い魔導金属で汚染されたエンジンを浄化した。だがこれをこのまま汚染された川の水につけるとどうなる。そう、元の木阿弥だ。
エンジンの表面を保護してやらなければならない。だが、どうやって…………。
焦りを抑えてエンジンを見る。ある意味芸術的な色の模様。レイラの工房で彼女の染料を用いた染め物を見せられた時のことを思い出す。複数の色を複雑に配置し、しかも白地に綺麗に染め抜かれたそれを見た時、俺は一体どんな原理でと聞いたものだ。
苦笑しながらレイラが教えてくれたのはありふれた道具を使った手法だった。そしてそれはここにもある。
俺は壁にかかった燭台を見る。蝋燭を取り外し、お尻の方を切り取る。それをエンジンの表面に塗りつける。水を掛けると見事に弾いた。だがこれだけじゃだめだ。水中にエーテルの細かい粒に溶けた黒い魔導金属粒子が存在している可能性がある。
エーテルをかける。弾きはしない。表面を指で触ると蝋が溶けだしているのがわかる。だが、その下の模様はしばらくは保護されるようだ。これなら厚く塗れば汚染域を抜けるまでは持つかもしれない。
だが、ここにある蝋燭では足りない。エンジン全体を保護しなければならないのだ。
「蝋燭の予備はどこですか?」
「予備ですか? 確か船倉に。場所はあちらに取り残された船員たちが知っているはずです……」
船倉はすぐ隣だ。だが、ここから行くには甲板を経由しなければならない。上から聞こえてくるリーディア達のやり取りから、彼女たちは船楼に追い詰められていることが分かる。甲板には大量の魔蜂が取り付いているようだ。
「脱出に必要なのだな。殿下、私が行きます」
マキシムが言った。
……
傷だらけになったマキシムが蝋燭の箱を俺に渡した。俺とシフィー、そしてクリスティーヌも総出でエンジンを保護する。
蝋で表面を保護したエンジンが水を掻き始める。マキシムが玉が付いたロッドをエンジン周囲の円筒に差し込む。どうやら、傾きに応じて三色の魔力の流れが調整されているようだ。
「いけます。進路はいかがしますか」
「……リューゼリオンに。残りの魔力では連盟の都市まで持たないでしょう。それに……」
そこまで言って俺とシフィーを見る。
「いろいろ相談させていただくこともありそうです」
…………
船が大きく弧を描き、水面を飛ぶように進む。周囲を取り巻いていた百を超える蜂の群れを振り切る。破れた窓から見える背後には次々と魔蜂が合流している。まさに危機一髪だった。
俺は南側の岸を見る。川に流れ込んだ黒い魔導金属の流れの跡が見える。ある意味垂涎のサンプルだ。せめて場所を覚えようと地形をたどると台地がある。上の方に黒い人影が見えた気がした。
そうだな、一つやることを忘れていた。
「クリスティーヌ殿下。ちょっと付いて来てください」
俺は魔力測定器を手に船倉に向かう。荷物を探ると骨董品らしい陶器製の像が見つかった。それを割ると、中には魔力結晶が三つついた小さな魔導金属があった。
俺は魔力測定器を向ける。魔力結晶を外すと像からの魔力は測定できなくなった。
「これは誰が積み込んだものですか?」
「わかりません。少なくとも私はこのようなものがある事は知りませんでした」
クリスティーヌは青ざめた表情で言った。自分の周りに裏切り者が潜んでいることに気が付いたのだろう。
とりあえず窮地は脱した形だが、今後のことを考えるとますます油断ができない。俺はクリスティーヌと一緒に甲板にもどる。待ちかねたようにリーディアがクリスティーヌに話しかける。
二人の王女の会話が続く。俺は先ほどの疑問を考える。
今回のクリスティーヌの様子から、ラウリスの王女にとってすら、エンジンが遺産であることは間違いない。ならばこの件を仕掛けた連中はどこから、どうやって知識を得たのか。川に流すほどの黒い魔導金属をどうやって手に入れたのか。この地にあるのは白い魔導金属の鉱山のはずだが……。
…………
「レキウス殿。この度は何とお礼を言ってよいか」
気が付くとリーディアと話していたクリスティーヌが俺の隣に来ていた。彼女は深く頭を下げる。
「レキウス殿たちに来ていただけなかったら、私は自分の間違った判断で多くの者を、そしてラウリスの魔導艇を失っていたでしょう。もちろん、私自身の命も」
「過分なお言葉です。今回の任務は護民騎士団のもの。その言葉は騎士団と、王家に向けてください」
「承知しております。リーディア様にもお伝えしましたが、私の考えではラウリスにとって最も重視すべきは、あなた達との関係だと考えています。特にレキウス殿とはいろいろとご相談させていただきたいです」
そういうと、少し困った顔で俺を見る。
「とはいえ、これほどの知識を持つレキウス殿に私の価値を認めていただくためには、いったい何を差し出せばいいのか……」
「過分な上にも過分なお言葉です」
俺は引きつった笑いを浮かべるしかない。今回のことはかなりの綱渡りだった。ただ、命がけの状況だったとはいえ、こちらも技術のかなりの部分を見せてしまった。クリスティーヌ王女を親リューゼリオン、いや親リューゼリオン王家にするという目的は達したようだが、これからのことはいろいろ相談する必要があるのは確かだ。
「では、今後とも――」
「レキウス。上を見て、空におかしな物が見えるわ」
リーディアが俺を呼ぶ。
彼女の指先を見ると、上空に三つの影があった。翼を広げた何かが飛んでいる。まさかこの季節に竜……。
「白い魔力です……」
俺の側に来たシフィーが言う。
改めて目を凝らす。よく見ると竜ほど大きくない。しかも翼の下には人間らしきものが見える。白い魔力を用いて動くということは、あれも遺産なのか。人間に空を飛ばせるという遺産……。
「翼の模様を見ろ」
「グンバルドの紋章ですね。西の連盟の領域は山が多く、連絡は空を通じているという話です」
サリアの言葉に、クリスティーヌが続けた。
つまり、今俺たちを睥睨して、我が物顔で旧ダルムオン上空を飛んでいるのはグンバルドの騎士ということになる。
すっかり忘れていたが、ダレイオスがこちらに来ているはずだ。リューゼリオンの中でもグンバルドに近い彼らの動きと、空を飛ぶグンバルドの遺産と騎士。どう考えても偶然とは思えない。
一連の事件の黒幕はグンバルドということか。
◇ ◇ ◇
何匹もの蜂を振り切り密林の中を必死で登る一人の騎士がいた。リューゼリオン名門の紋を染め抜いたマントは泥だらけ。彼は森を抜け台地に足を踏み入れようとした。その前に黒い服の一団が表れた。
話だけは聞いていた味方の登場だ。ウルビウスは疲れた顔に何とか笑みを浮かべようとする。その瞳が、黒い集団の後ろにいる同じ紋の男を捉えた。
「兄上。た、助かった」
だが、彼の兄は秀麗な顔をそむけた。途端に黒い男達。傭兵団がウルビウスを羽交い絞めにする。
「な、なにをする。兄上!?」
「……ラウリスの王女が死んだのならともかく、生き残られた以上、我が家は面目を保たねばならぬ」
「そ、それはどういう」
「ラウリスの王女を守るために魔獣相手に果てた一族が必要だということだ」
表情にはそんなこともわからないのかという軽蔑があった。
2020/04/10:
ここまで読んでいただきありがとうございます。
ブックマークや評価、多くの感想や誤字脱字の報告など感謝です。
おかげさまで第四章も最後まで書き上げることができました。
次の予定ですが、第五章は『レース』というタイトルになる予定です。
ここまで基礎的な研究を進めていたレキウスですが、いよいよ実際の遺産に手を伸ばし始める感じでしょうか。
投稿開始は5月1日になる予定です。
三週間ほど魔が空きますが、狩猟騎士の右筆を今後ともよろしくお願いします。
それでは、どうか健康にお気をつけて。
頂いている感想ですが五章開始までには返信させていただきたいと思っています。よろしくお願いします。