#閑話 作戦会議
「ラウリスの王女がこっちに向かってる? よりによってここの目と鼻の先を通るだと」
テントの中でいら立ちの声が響いた。
旧ダルムオンの中心部に近い川。その流れの南側には密林から顔を出した台地がある。北に川を挟みかつてダルムオンと呼ばれた都市の崩れかけた城壁を小さく望めるその高台には、即席のキャンプ地が存在した。
キャンプの中では突然の情報に黒いフードの集団がざわめきを止められないでいた。彼らはつい先日、精錬廃液を溜める池の跡を発見したばかりだった。つまり、目的の鉱山の近くまで迫ったのだ。地道な地脈の調査に加え、雇い主からの過去の情報、そして彼らの先祖の記録が合わさった成果だった。
「どうやらあなたたちの黒い魔獣と鉱山の関係について関心を持っているようですよ」
いらだつ男たちに皮肉気な口調で告げられた情報。彼らにとっては最も知られたら困ることだ。
白金鉱山から排出される黒い魔導金属による汚染は、彼らの先祖が反乱に追い込まれた原因の一つだったのだ。その性質上、グランドギルドそのものにすら限られた情報しかないはずの、ある意味での切り札だ。リューゼリオンにけしかけた黒い魔猿はその伝承の産物だ。
「いったい誰が吹き込みやがった。ラウリスにはそっちの情報は残ってないはずだろ」
木の机の上にリーダーの拳が叩きつけられた。どれだけ熱心に調べようと、存在しない情報は知ることができない。その想定が崩れたのだ。それが彼らの不安をあおる。
「今回のリューゼリオン訪問。急に決まったんですよね。最初から何か掴んでいたのかも……」
黒い傭兵団の一人が言った。
「そうですね。我々も直前まで知らなかったくらいですから」
「それなら雇い主は気が付くだろう。ラウリスを含め幾つの都市にシンパがいると思ってるんだ。こと情報についてはあいつらに敵う存在はないぞ。というか、怪しいのはお前らじゃねえのか」
「とんでもない。件の黒い魔獣については私たちも割を食いましたからね」
リーダーは一人温度の違う男をにらむ。だが、白い騎士の装いの優男、アントニウス・デュースターはひるまずに返す。彼が傭兵団にクリスティーヌの動向を伝えたのだ。
「俺らの領域で勝手なことをやったからだろう」
「どうでしょうね。リューゼリオンの結界が結果として揺るがなかったことといい、先の演習のことといい、我々に知らされたのとは予想外のことが起こりすぎる。例の組織、あなた達の雇い主とやらがどこまで信用できるか」
「何が言いたい」
「……あなた達だって雇い主に対する秘密の一つや二つあるでしょう。それこそ件の黒い魔獣。あれはまともなものですか? 我が家に滞在している組織の末端も知らなかったみたいですが」
学院の演習でこれまで見たことのない黒い魔獣に接したこと。それが、アントニウスが彼ら傭兵団、ダルムオン残党に独自に接触した理由である。アントニウスの言った『組織』を通じてとはいえ、同じ側にいるはずの傭兵団との情報の齟齬、連絡の不備、それを感じたからだ。
彼自身『組織』への不信と軽蔑があり。その組織に騎士院の名家である彼が振り回されたのは大きな屈辱だ。それならば、基本的に同じ論理で動く傭兵団との繋がりを持つべきだった。
つまり、ここで彼らといがみ合うことはアントニウスにとって得策ではない。
「話を戻しましょう。クリスティーヌ王女が情報をどこから得たのかはともかく、知られてしまった以上は、彼女が何を知っていても大丈夫なように対処すべきでは?」
「ラウリスの王女を消せっていうのか。大騒ぎになる。ダルムオンに何かあるって大陸中に触れ回るのと同じだぞ。あっちからは印はつけたから、情報の秘匿に努めろと言ってきてるんだ。向こうにとっても有用な人脈なんだぞ。大体、ラウリスを敵に回すリスクはどうする」
「ラウリスが、グンバルドもですが、グランドギルドの遺産をひっさげたダルムオン復興を黙って見守るとでも? あの組織にとってダルムオンの復興の優先順位はどれほどでしょうね」
アントニウスの言葉に、ダルムオンの残党は黙った。東西の勢力が迫るこの地に、祖国を復興させる。それは綱渡りである。
そういう意味では東西、そして雇い主も油断ならない相手だ。隣接する一都市であるリューゼリオンの方がある意味ましなのだ。だからこそ、彼らもアントニウスとのいわば秘密の共闘に応じたのだ。
「クリスティーヌ王女の持ってる情報が深刻なものであり、それが彼女を通じて組織に伝わってもまずいのでは?」
「下手なやり方は藪蛇だ」
「そうですね。不運にも強力な魔獣による、なんていうのが理想的ですが。得意分野では?」
アントニウスが皮肉を込めていった。彼の口調に同乗する弟の運命を気にする色はない。さすがの黒い集団もわずかにひるんだ。だが、すぐに反論が巻き起こる。
「何を言ってるんだ。向こうは水路、それもあの船に乗ってるんだぞ」
「いや。まて、一つ手があるかもしれねえ」
リーダーは部下を制し、その眼光を外に向けた。大地の下の川は湾曲してよどみ、そして遠く北に見える彼らの故郷には恐るべき魔獣の群れが巣くっている。そして、彼らの足元には見つけたばかりの……。
「魔導艇はグランドギルドの遺産だ。つまり、結界と同じよ。アレを川に流してやればどうなる」
リーダーの指が地図の上の台地の麓にある印から川への進路をなぞった。
「なるほど。この位置で船が動かなくなれば……」
「そうだ。虫どもに見つかる。俺たちが手を下す必要もねえ。危険地帯をかすめて行こうっていうんだ。事故が起こっても仕方ねえだろうよ。そうだな、蜂どもが獲物を持ち去った後、残った船は俺たちが有効活用してやろう。これからのことを考えれば、ボートじゃ不足だからな」
◇ ◇ ◇
「西に行ったわね」
リーディアが言った。俺たちは東西の川の分岐点近くの森の中に身を潜めていた。たった今、ラウリスの魔導艇が船尾から白い魔力を放出しながら通り過ぎたのだ。多忙なはずのラウリスの王女は、本国への最短経路ではなくわざわざ大回りの航路をとったことになる。
しかも、相変わらず黒い魔力の定期的な発生が続いている。
「クリスティーヌ殿下が黒の魔力について知らないのも、旧ダルムオンの猟地に興味がないといったのも、私たちを欺くための嘘だったってことだわ」
断定するリーディアの言葉に反論できない。
「ウルビウス・デュースターを連れているのも、何らかの企みの可能性が高いな。デュースターはあの辺りに土地勘がある」
サリアが言った。旧ダルムオンの中心近くにラウリスの王女がデュースター家の一員と向かう。そこは謎の騎士と思われる集団の活動の痕跡が見つかったところだ。
これまでのリューゼリオンに対する一連の攻撃の背後にいるのはラウリスであり、その王女であるクリスティーヌが次の陰謀の為にデュースターと共に動いている。状況証拠からはそれを否定する理由は一つもない。いや、ラウリスの王女自らが動いたとなれば次の攻撃はこれまでよりも大きく、危険なものになると想定しなければならない。
ただ、俺はいまだに実際に話した彼女の印象を引きずっている。旧時代の文化であるパンの復活のために目を輝かせていた、あの純粋な瞳が……。
「後を追うしかないでしょうね」
俺は短く言った。魔導艇には追い付けない。だが、あの黒い魔力は小さくとも特殊なため、距離があっても相手の位置は追える。そう、今はより情報が必要だ。それだけは確かだ。
「いいわ。女狐のしっぽを掴みましょう」