#8話 お目付け役の人選 + 閑話 客室の会談
「私は絶対反対よ。レキウス一人行かせるなんて絶対に駄目」
クリスティーヌが帰り、全員で見送った俺たちが会議室にもどった。開口一番リーディアが言った。絶対、絶対と繰り返している。
「先生。行くなら私を一緒に連れて行ってください。先生を守ります」
シフィーが言った。学院から孤児院に寄った後、クリスティーヌが離れたことを確認してから本部に来たのだ。ニアミスしかねないタイミングに肝が冷える。
「向こうは騎士には見せられないって言ってるんだから。あなたがいいなら私が付いていくわよ」
リーディアが腰に手を当てたポーズで下級生を威嚇するように言った。
「でも、私はまだ学生ですから」
「余計に不自然でしょ」
俺は慌てて対峙する二人の間に割り込む。
「ラウリスがいいと言おうが言うまいがシフィーは絶対に連れていけない。というか、シフィー。今日はここには来ないように言ってただろ」
「それは、でも先生が心配で……」
シフィーはシュンと俯いてしまう。強くいってしまったが、シフィーのことが向こうに知られると本当にまずいのだ。
「向こうに正体がばれたら一番まずいのはレキウスでしょ。つまり、今回の話は駄目ね」
「しかし、魔導艇のことを調べないといけないのは間違いないわけです。正体と言いますが私は事実文官ですし、向こうも油断しているので適任です」
「あの女は……クリスティーヌ殿下は文官でも構わないなんて言ったわ。私だって気にしないのに……」
「それは答礼の格の話です。ええっと、団長の意見は?」
俺は黙ったままのカインに水を向けた。カインは俺たちを見てから、少し考えて口を開く。
「魔導艇の情報の重要性は分からないではないですが、向こうが本当に価値のある情報を出すでしょうか?」
「どれだけ美味といっても所詮料理のレシピだ。ラウリスが機密と引き換えることは考えられん」
サリアも続いた。二人も反対のようだが、論理的な意見なら説得の余地がある。
「普通に考えたらそうです。私自身、あれは向こうの出方を探るために吹っ掛けたつもりでした。ですけど、あの姫君が旧時代の文化を復興させようとしているのが分かった以上、そうとも言えないんです。パンケーキを見た時、パンか、と聞きましたよね。パンっていうのは旧時代の一番大事な食べ物なんです」
俺は主食のことを話した。ちなみに俺が調べた貴族の日記には「パンと合わせて」とか「パンにはさむ」みたいに存在そのものが前提として書いてある。当たり前すぎて特筆されていないというわけだ。パンのレシピは俺だって知りたいくらいだ。
「クリスティーヌ王女はクッキーを自分の外交方針を伝えるための武器として用いています。彼女が復興させようとしている旧時代の文化の象徴として料理のことを考えているのは間違いないでしょう。なぜなら、とても分かりやすいからです。そして、パンはその中心にある」
交易が盛んになれば全員が豊かになれるといわれてもどれだけの人間が理解できるだろうか。
「たかだか麦の料理にこだわっていたのはそういうことか」
「ただの料理ではないということですね。麦のことは騎士団としても認識を改める必要がありますね……」
二人は思案顔になった。カインはおそらく今後の騎士団の収入源のことまで考えを及ばせている。
「しかし、そうなるとです。パンの情報を簡単に渡して良いのでしょうか。向こうにとってとんでもない意味を持つのでは?」
「調べた限りパンケーキとパンは別物だとおもう。あれはどちらかと言うとケーキって料理に属する。というわけで向こうに伝えるのはあくまで昔の記録から引っ張り出した一レシピだ。錬金術とも関係ない」
「一応の筋は通りますね」
「賭ける価値があるということか……」
カインとサリアが頷いた。よし、何とか説得できそうだ。
「で、でも。それでも一人というのはやっぱり駄目よ。返礼というのなら私がついていくのが筋だし」
「いえ、ですからそれは向こうが受け入れないと」
食い下がるリーディアをなだめようとした時だった。壁際で所在無げにしていた女性が手を上げた。
「あの、私が一緒に行くのはどうでしょう? 私は騎士様じゃないですから向こうの条件にも合います。材料の加工や調達をした私が必要という名分も立ちますから。それに……」
そういうとレイラはじっと俺を見た。
「私の勘ではレキウス様が魔導艇にこだわるのは、お仕事以外になにかあります。一人で行かせるとまずいと思います」
「そ、そんなことはないぞ。魔導艇のことを調べるのは仕事にとっても重要だ」
ギクッとしたことを隠そうとして俺は言った。
「ほら。仕事にとってもって言いました」
「い、いや、ええと……」
レイラが言った。俺は言い訳しようとして口ごもった。長い沈黙が周囲から生じた。
「仕方ないわね。レキウスだけ行かせるよりは……」
リーディアが絞り出すように言った。
#閑話 王女と密偵
護民騎士団本部から逗留先のデュースター家にもどったクリスティーヌは、客室で一人の茶色服の男と向かい合っていた。
商人は恐縮の体で座っている。彼は対面の席を遠慮したのだが現地情報を重要視する王女に押し切られたのだ。彼の報告書をクリスティーヌがしっかり把握していることは確かだ。それは、彼にとっても予想外の来訪が証明しているのだ。
「殿下におかれましては、リューゼリオンのことはどう見られましたでしょうか」
商人は恐縮して額の汗を拭きながら尋ねた。
「そうですね。狩りをする騎士を中心として、領地を管理する騎士院と都市を管理する王の間に立場の違いがあり、騎士院の中にも派閥がある。普通の都市ですね」
クリスティーヌの美しい唇からすらすらと言葉が出る。
「三者とも大陸規模の情勢の変化には気がついてはいるようです。その中央にある自らの立ち位置についても思うところはあるようです。同時に、意思決定は猟地に縛られています。概ね貴方の情報どおりと言ってもいいでしょう。貴方ほどの身代の商人がと思っていましたが、実際に足を運んだおかげでよくわかりました」
「私としてもまさかご自身が動かれるとは……」
クリスティーヌはこの都市を縛るジレンマを明確に定義した。その理解に商人は舌を巻く。彼らラウリスの商人にとって強力な代弁者であるクリスティーヌの聡明さは、極めて得難いものである。
「ただ一つ予想外だったのは、本日訪れた新しい組織です」
「護民騎士団ですか。確かに珍しい試みだと感じましたが。統治システムの中では下部の組織だと……」
「常識的に考えればそうでしょう。ですが、団長は極めて有能だと感じました。名誉団長という名前だけと思っていたリーディア王女も間違いなくあの組織を重視していると見ました」
「王家の意向が強く作用しているということでございましょうか。しかし、その割には猟地への影響力という点では明確に排除されております」
商人は護民騎士団の言わば法的立場とでもいうべきものを説明する。手なずけているデュースターゆかりの文官が右筆として仕えるウルビウスからの情報だ。
「私としてもどのような意図かは測りかねています」
クリスティーヌは冷静に評価する。そして、少しだけ口調を強めて続ける。
「ただ、旧時代の知識が出てきました。あの味、それに食感は驚くべきものでした……」
クリスティーヌは今日の経験を語る。
「クッキーを超えるものが出てくるとは、確かに予想外でございますな」
「ええそうなのです。クッキーと同じく『菓子』に属するレシピです。同時にあの食感はパンの記述に近い。ただでさえ現在、麦に手間のかかる調理を施すのは特異なことです。とても興味があります」
商人自身もクッキーの味には驚いたが、彼にとってはあくまで料理だ。だが、クリスティーヌは僅かに声を強めた。
「組織のありように旧時代の知識を感じるのです。同席していた文官の言葉の端々から……。ええ、彼もとても興味深いです。だから……。少し横道にそれましたね」
小さく「コホン」と咳払いをして話題を変える。その穏やかな表情にわずかに影が差した。
「大陸全体の話にもどりましょう。重要なことはグンバルドとの関係です。グリュンダーグ家は私に隔意を隠そうとしません。これはデュースターとの対立関係だけとは考えにくいですね」
「向こうに出入りするグンバルドの商人が何らかの働きかけをしているのは間違いございません。交易では文官や商人の力が増します。騎士の力の比重の低下と感じる。そういうお考えの方はラウリスでもまだ多く居られますから……」
困ったように頭に手をやる商人。クリスティーヌも顔を曇らせる。
「猟地と騎士を中心に置く考え方をするなら、グンバルドの方が理解しやすいかもしれませんね」
「知らぬということは嘆かわしいことです。ラウリスの御旗の元にあればむしろ猟地自体への干渉は避けられるものを」
「なんにしても、両連盟の争いを避けることが最も大事なことです。これは言い換えれば旧ダルムオンという空白の管理です。そのためにはリューゼリオンがこちら側、とは言わぬまでも中立であることが必要です」
「旧ダルムオンの地が中立の回廊であれば我ら商人としても言うことがありません」
商人は大きくうなずいた。
「ただ、同じ商人といっても西が同様に考えるかは……。向こうではいくつもの大店がグンバルドの拡張政策に協力しておるようです。商人が騎士に逆らうことは不可能ではありますが。ただ、一旦協力を始めますと、商売の形そのものがそれに合わせて歪みます。商人同士の貢献競争が起こることも……」
「簡単ではないことは分かっていましたが……。何にせよ、グンバルドが動く前に抑え込みたいところです。向こうがどれほどダルムオンを必要としているか、完全には測れませんが……」
クリスティーヌは一つため息をついた。だが、すぐにほほ笑みを取り戻す。
「やはり商人は目も足も速いですね。感心します。私がここに滞在できる時間は少ないですから。貴方の情報には今後も期待しています」
「私ごときにもったいないお言葉でございます。交易の拡大は我らにとってはまさしく大事の中の大事でございますれば。今後も我らは微力を尽くさせていただきます」
商人は立ち上がってうやうやしく頭を下げた。