7話:後半 貴賓来訪
パンケーキを出す合図をするために一階に向かいながら、ラウリスの姫君のことを考える。クリスティーヌは間違いなく旧時代の知識を持っている。それも、想定したよりも深く広い。少なくとも、クッキーという麦の料理の再現にとどまらないし、その理由は美味しいものが食べたいという個人的なものではない。
そもそも、旧時代の知識に忌避感を持たず麦の料理を再現しようなどと考えること自体が普通じゃない。
ここまでの話を聞く限り、あの姫君の興味は旧時代の政治システムにあるように見えた。旧時代の政治システムは麦の生産を中心としている。広い地面に草を植え実を集めるという、現在から考えると効率が悪そうな食料獲得法だが、それだけにかなり大規模に組織化されていた。
ラウリスが都市連盟という大規模なシステムを運営している以上、参考にしているのは十分あり得る。騎士院でリーディア達を前に語ったという交易でみんなが幸せになるという理想論にも繋がる。
人間の営みは旧時代も今も変わらない、という彼女の意見には賛成する。そして、それは俺たち護民騎士団の表向きの目的とも重なる部分がある。これも、彼女がウチに興味を持ったことと矛盾しない。
一方、俺たちが一番警戒した裏の目的との関係はどうだ。つまり、ありていに言ってしまえば彼女は錬金術を知っているのか?
彼女の興味の方向は、俺とはかなり違うと感じる。錬金術は完全に物質に関する学問体系だ。それは、その対象を俺たちが今やっているように魔力に広げたとしても変わらない。
俺はクリスティーヌに錬金術の知識を感じなかった。いやその痕跡すら感じ取れなかった。彼女自身が言うように文官的なものだ。俺とは違う。それは確かに安心材料ではある。
いや、俺も文官のはずなんだがなあ……。
「レキウス様?」
「あ、ああ。いや、パンケーキの用意を頼む」
いつの間にか階段を降り、厨房と化した錬金術工房の前に来ていた。ドアに向かって考え込む俺をレイラが怪訝な目で見ている。
まだ答えは出せない。彼女が開示した知識が彼女の知っている全てだなどあり得ないし、その知識の中では料理と錬金術が繋がっていても不思議ではない。彼女についてもラウリスについても、そもそもグランドギルド時代や旧時代についても、俺たちはまだ知らないことばかりだ。
「どのレシピを出しますか?」
「ええっと。マリーには一番いいのをと、伝えてくれ……」
そういう意味では、彼女からはなるべく多くの情報を引き出さなければならない。しかし、方向性が違うとはいえ旧時代の知識にあれほど詳しいとは、こういう関係でなければしっかりと話してみたいくらいだ。
レイラの指示を聞いた厨房から甘酸っぱい匂いが立ち上がり始める。俺はラウリスの姫君について考えながら階段を上る。
……
「では、こちらをどうぞ」
レイラが運んできた皿が三人の目の前に並ぶ。マリーは工房で待機だ。ちなみにシフィーには今日は絶対ここに近づかないように言ってある。白い魔力を使っているラウリスには彼女のことは絶対に知られてはいけない。
皿の上に乗ったパンケーキを見て、カインが怪訝そうな顔になった。俺は皿を見る。皿には円形の型を使って厚く焼き上げたパンケーキが二枚重ねになっていた。
そういえば改良したのを言ってなかった。一番いいレシピで出してくれと言ったんだった。
「まあ、この色と香り。小麦の粉を使って焼いた菓子ですね。しかし、これほど大きく厚いと」
クリスティーヌは目の前の皿を見て少し驚いた顔になる。これを最初に食べた時のリーディアと一緒だ。第一関門は突破だ。向こうはこのレシピについて知らないと考えるべきだろう。
「で、では私が初めに。この料理はこのように、とても柔らかいのですよ」
リーディアがナイフとフォークを手に取り、パンケーキを切る。断面から中に仕込んだ赤い果実ソースが出てくると、一瞬びくっと手が止まるが、何とか平静を装う。そして、口に運ぶ。
「…………りょ、料理人も殿下の御来訪とあって張り切ったようです」
何とか優雅さをもって感想を言った。唇の端に少しベリーのソースが付いているけど。
「まあ、ほんとうに抵抗なく切れますね。とても柔らかいですね。この柔らかさはもしかして……」
まるで検分するように慎重にナイフを動かしたクリスティーヌは柔らかいを繰り返した。確かにこの食感は肉や果物にはないものだ。似たものをこれを作るまで俺は食べたことがない。
クリスティーヌの小さな薄い唇に三角形の一切れが吸い込まれる。
次の瞬間、クリスティーヌは「まあ。口の中でふわふわと、おいしい……」と言って口を押さえた。リーディアが俺を見てやったという顔になる。趣旨とは違うが、彼女を驚かせることができたようだ。
やたらと口当たりに注目しているな。サリアの意見では、甘さと麦の香ばしさ、そして乳脂のまろやかさ、味の基本は一緒だということだった。ならば、シフィーの選んだソースに注目してもよさそうなものだが……。
「…………もしかして、旧時代にパンと呼ばれていたものでは?」
クリスティーヌは俺を見て言った。名前をニアミスしやがった。やっぱり油断できないじゃないか。
「確か貴方が差配しておられましたね。レシピについてお聞きしてもいいですか?」
さて、どうするか。パンケーキは純粋な料理のレシピであり、錬金術ではない。よし、なるべく高く売りつけよう。
「実を言いますと、現在採取地を広げるための候補地には麦が生えておりまして、この料理は新しい騎士団の財務の重大要素なのです。ご評価いただき光栄の極みですが、王宮から予算を得ている関係上私どもの一存では、なかなか……」
俺は、上に従う予算のことしか頭にない文官を装う。まあ、予算カツカツなのは本当だ。主に俺の工房のせいで。
「そうですか。しかし、この柔らかい食感にはとても心を惹かれます。実は私がもっとも再現したいと考えている旧時代の料理はパンというのです」
ナイフとフォークを持ったまま、こちらに大きな瞳が向く。さっきまでの幸せそうな表情は外交儀礼的にありとして、交渉事でこんなあからさまに興味を持ったら駄目じゃないか?
確かにパンは旧時代の最も大事な料理だ。肉や果物などあらゆるものと一緒に食べたらしい。毎食これを食べるという現在では考えられない話だ。強いて言えば芋に近い存在だと考えているが、魔の森で取れる芋は十種類を超える。芋と果物を一緒に食べたりしない。
……相場ならクッキーレシピと交換というところだが。これならばちょっと大胆に出てみよう。
「左様でございますな。そうだ、先ほど団長が言った通り、輸送のことは大きな問題です。あの魔導艇の中を見せていただけるのなら。レシピの公開を上申できるのではないかと」
「魔導艇の中ですか……」
リーディアもカインも無茶を言いすぎだという顔になっている。無茶は承知の上だ。どう考えても通らない条件で向こうの反応を探るだけでもいい。最悪怒らせても魔術のことなど分からない無知な文官で済む。
クリスティーヌは顎に指をあてたまま、真剣な顔で考え込む。
「……魔導艇はラウリス連盟にとって重要なものです。連盟に所属していない都市の騎士の方に中をお見せすることはできません。……ですが、文官であるあなたに船の輸送能力を紹介する形なら、可能です。これならいかがでしょうか」
そう来たか。騎士にすらわからない魔力を扱う遺産だ。文官が見てもわかるわけがないと考えるのは自然だ。逆に、輸送能力を見せるだけなら文官でも十分だ。
俺は思わず生唾を飲み込んだ。甘すぎるパンケーキよりもずっと好みの料理を突き付けられた気分だ。アレの中が見られる。白い魔力を動力に変える仕組みの一端を知ることができるかもしれない。
「ク、クリスティーヌ殿下。に……一文官にすぎぬものを殿下がお招きになるなど」
リーディアが慌ててそういった。だがクリスティーヌはゆっくり首を振る。
「私も文官のようなものですから釣り合いは問題ありませんよ。そうですね、そちらにもご都合がおありでしょう。この条件で教えていただけるでしょうか」
そういって柔らかく微笑んだ。俺は思わず一歩踏み出しそうになる。
「そうですね。王宮とも相談の上、お答えを返させていただきます」
カインが片手で俺を制すると、柔和な笑みで答えた。俺も慌てて頭を下げて表情を隠す。もしかしたら、敵幹部に見せちゃいけない顔になってたかもしれない。
2020年3月11日:
次の投稿は一回休んで3月17日の予定です。
その後は4章完了まで3日に一度の通常のペースに戻る予定です。
よろしくお願いします。