7話:前半 貴賓来訪
その日、本部は緊張に包まれていた。ラウリスの第三王女クリスティーヌ殿下がここに御来訪というのだ。先日の王との会談でカインが紹介されたことで関心を持ったらしい。
大国の王女ともあろう者がどうしてこんな小さな組織に……。こちらとしては恐怖せざるを得ない。
カインによる騎士団の説明(表向きの)を頷きながら聞いている、長い髪の美女を窺いみる。穏やかな笑顔には危険など微量も含まれていないように見える。騎士の象徴である狩猟器すら持っていない。長いスカートは何かあったときに逃げることは難しそうだ。自分は無防備ですと宣言しているようだ。
王女というよりも旧時代の姫君といった方がぴったり。カインやリーディアはおろか、俺でも取り押さえれそうなか弱さだ。
大丈夫か? 俺達、実はあなたたちを倒そうと企む組織なんですけど……。
「なるほど。専門化することで採取の安全と拡大を図るわけですね」
姫君はその細い顎をゆっくりと二度指で叩いた。お淑やかという言葉が服を着ているようなしぐさだ。俺の知っているもう一人の王女様、彼女の横にいるが、とは対照的だ。カインの説明がいかにわかりやすかったとはいえ、一瞬で組織の要諦を理解している。まあ、表だからいいけど。
「……そうですね。市場の隣に本部を構えるのはそのために最適ですね。とても先進的な試みです」
小さな口が穏やかな口調で発した言葉に、彼女以外が一瞬硬直した。……今結論飛ばなかったか? いや結論に飛んだ。それこっちが話すつもりのなかった結論だぞ。
「我が都市の騎士院の石頭にも見習ってほしいくらいですわ」
「ありがとうございます。とはいえ、この春に発足したばかりの小規模な組織です。我々としても方針については模索中でございます」
如才なく応じるカイン。さすがの立て直しの速さだ。
「ふふふっ。お聞きした限りではきわめて合理的に考えられているようですよ。それに……」
姫君はまた少し考えるしぐさをした。そして、小さくうなずいてから口を開く。
「とても興味深いです。発想に旧時代の知識を感じますから」
にっこりと微笑むその言葉に、俺達は今度こそ固まった。
「……騎士らしからぬと思われるでしょうが。新しい組織ですので。使える知識は総動員している状況です」
一番初めに立ち直ったカインが答える。その声音には少し傷ついたような色が浮かんでいる。侮辱されたショックに偽装したのは上手い。俺なら旧時代の知識の価値を語り始めたかもしれない。
「知識というものは極めて貴重なものだと考えています。特に、人の営みに関しては旧時代も現在もそんなに変わりはないと思っています。ますます感服しました」
俺は内心頷いていた。グランドギルド時代の初期、旧時代の特権階級に虐げられていたとされる騎士は、旧時代を軽蔑している。それを問題だと思っているのが俺だ……。
ただ、今の問題はそれを問題にしない人間が存在していることだ。それも敵側の中心近くに。
「そういうことに詳しい方が組織に加わっているのでしょうか?」
クリスティーヌの視線が文官服の俺に向いた。何と答える、旧時代の知識というのなら騎士であるリーディアやカインより、文官にすぎない俺から出た方が自然ではあるが……。
「カイン。あなたが気になっていたことをお聞きすれば? いい機会でしょう」
リーディアが言った。
「ラウリスは大きな湖を取り囲む広大な交易を組織していると聞きます。貴都市とは比べるべくもないのですが、我らの騎士団の任務が拡大すれば採取産物の輸送が大きな問題となります。大変素晴らしい船をお持ちのようですね。実はこの建物からは殿下が到着されたときのことが見えたのですが、水の上をまるで飛ぶように走るとは、とても驚きました」
カインは俺たちにとって最大の関心に誘導する。もちろん、簡単に情報が出てくるわけがないが……。
「ふふっ、魔導艇はラウリスの誇りですから。といっても古の遺産を受け継いだもの、現在の私たちが自慢するのはおこがましいのですけれど」
「遺産というと、結界の様にグランドギルド時代から伝わったということでしょうか。しかし、船体などはずいぶんと新しいように見えましたが……」
「レキウス。失礼よ。わ、弁えなさい」
思わず質問してしまった俺に、リーディアが言った。
「いいのです。遺産といえるのは発動機と呼ばれる部分ですね。船体と違って修理が効きません。数も限られます。魔導艇は基本的に水路の安全確保のために用いられています。大量の荷物を運ぶのは帆や櫂に頼っています。失望させてしまいましたか」
「とんでもない。さすが東の中心だったラウリスです」
俺は畏まって答えた。ある意味ではホッとした。あくまでグランドギルドの技術ということか。まあ、本当のことを言っているとは限らない。実際に中を見てみたいところだ。
「水路の安全ということは、やはり魔獣でしょうか。我々としてもいくら陸を警戒しても、川から採取地に上がられると虚を突かれます」
「水の中に潜まれると騎士による探知が遮られますからね。太湖では最初からそれを前提に警戒しますが、それはすべてが水だからできることでしょう」
カインの質問にも姫君はあっさり答えた。これも貴重な情報だ。ラウリスはこちらが持っているような魔力測定器はもっていない。
大事な情報が二つ得られた。後は一番大事な黒い魔力と魔導金属だが、これは一番難しくて、一番危険だ。リューゼリオンは結界が原因不明の障害に襲われ、たまたま見つかったグランドギルド時代の触媒のおかげで難を逃れた、運だけはいい都市なのだ。
黒い魔導金属をエーテルの上流から流されたなんて、夢にも思っていないのだ。
「ところで、ラウリスの巨大な市場では……」
カインが話題をラウリスの交易の話にそらした。クリスティーヌはカインの質問に的確に答える。当たり障りのない話題で一拍おくという考えだろう。心なし部屋の中の緊張感が緩んだ。
「レキウス。話が弾んだおかげで喉が渇いたわ」
リーディアが俺に目配せする。アレを出せという合図だ。
状況によってはパンケーキを出すことはカインやリーディアと一緒に話し合った結果だ。パンケーキは純粋に旧時代の知識だ。俺たちが採取のために旧時代の知識を用いていると思われる分には危険は少ない。だから、外交上のツールとして向こうがどれほど旧時代を知っているかなど、情報を引き出すために使う。
「騎士団が麦を用いて作ろうとしている料理なのです。クッキーのお礼にはならないでしょうが。私としては自慢のものですが。ご興味はおありですか?」
「まあ、それは本当に楽しみですわ」
リーディアが説明している横を通って、ドアに向かう。クリスティーヌの顔が輝いた。純粋に興味を持っているように見える。何というか本当に旧時代のお姫さまって感じの女性だな。
いや、油断は禁物だ。おっとりしているように見えても、さっきのやり取りでその頭脳は油断ならない。そしてそんな人物がリューゼリオンに対してわざわざ自分で出向くほどの思惑を持っている。これだけは間違いがないのだ。
少しでも情報を引き出さねばならない。パンケーキが通じてくれるといいのだが……。