#6話 古代のレシピ
「さっきのが今までで一番当たりです」
レイラは彼女にしては珍しく断言した。その表情には恍惚が浮かんでいる。これもとても珍しいことだ。商人ライクなレイラから色気のようなものを感じてしまったほど。
もっとも、俺にはちょっと異論がある。
「食感は文献のイメージに近づいた気がするな。ただ、ちょっと甘すぎじゃないか……」
黒豆茶で甘い口内を収めながら実験結果を記録する。文献にあった旧時代の貴族家に仕えた料理人のレシピが今回の実験手順だ。料理にしては複雑な工程だが、材料を順番通り投入、撹拌して、最後に加熱して固めるだけの手順だ。
といっても今はない材料も多い。似たものをイメージして加えると最後に固まらなかったり、焦げたりする。何よりも、このレシピの最大の魅力らしい柔らかく仕上がらない。
大量に使う黒蜜が問題だった。味だけでなく、質感に大きく関わるとわかってきたのだ。
「そんなことはないですよ。これくらいのほうがいいです。それにしっとりしてましたし。重曹のおかしな苦味も気にならなくなりますし」
レイラは譲らない。言うまでもなく、材料の調達と加工は彼女の貢献が大きい。
「しっとりとした食感は解るんだが、プロトコルにその表現はないんだよな……」
錬金術士としての俺にとってはそれは少し抵抗がある。後、甘い。
「レイラだって最初は蜜を使いすぎだって文句言ってたじゃないか」
騎士の家でもお茶に少量使うだけの黒蜜をレシピ通りにボウルに加えるのを見たとき、レイラは金をドブに捨てる愚か者を見る目だった気がする。
俺だって心配だった。件の貴族家が食道楽で身代を潰したことを知ってたからな。というか、そんな人間くらいしかレシピを日記に書き残したりしない。現在と同じで旧時代の職人も基本字が書けない。
「……結果として商品に価値を生むのであればいいんです。投資です」
……果物にしても女の子のほうが甘いのが好きだしな。実験といっても錬金術じゃないし、女性意見を尊重しよう。俺がそう思って実験結果のメモを修正していた時だった。
「大変、大変なのよレキウス!!」
彼女にしては珍しく……俺の前ではそうでもないか、取り乱したリーディアが工房に入ってきた。後ろには珍しく青い顔のサリアもいる。こちらは本当に珍しい。
……
「……こんな時に何をしているの兄様」
カップを手にした俺とレイラ。テーブルに広がる皿とフォーク。緩みきった工房の光景に上司が言った。こんな怖い「兄様」は初めてだ。
「誤解ですよ。これはれっきとした騎士団の仕事でして」
俺は慌ててカップを下ろしていった。
「女の子を隣にお茶を飲んでいるのが、兄様のお仕事?」
名誉団長の視線は全く緩まない。その尖った瞳が俺の隣のレイラにも向かう。「次の仕上がりの様子を見てきます」レイラがさっと席を離れた。逃げやがった。
これじゃ全部俺が説明しなくちゃいけないじゃないか。これは仕事、それも団長からの直々のだ。とはいえ、まずは向こうの用件の方が重要ではないのか。彼女たちの慌てぶりは尋常じゃなかった。
「大分お急ぎだったみたいですが。何があったのでしょうか」
俺は部下のサボりの現場を押さえたと信じて疑っていない上司に聞いた。
……
「つまり、ラウリスからの商団には向こうの王女が加わっていた。しかもその王女はグランドギルドの技術にも旧時代の知識にも詳しいと」
ブスッとした顔で説明するリーディアの言葉をまとめると以上のようなことだった。ラウリス商団との会合は予想以上の波乱を生じたようだ。クリスティーナ王女というのは船から降りたあの女性だ。まさかラウリスの王女自ら乗り込んでくるとは。しかも、その王女様が旧時代の知識に詳しい。
「なるほど、由々しき事態ですね」
「そうなのよ。兄……レキウスの錬金術と同じ組み合わせよ」
説明したことで少し落ち着いたのかリーディアの俺への呼び方がレキウスに戻った。
「それも、白い魔力の船を動かし、黒い魔力を扱う勢力の大本ですからね……」
「でしょ。それなのにレキウスは……」
憤懣やるかたないという感じのリーディア。確かに料理してる場合じゃない事態だ。
「しかし、よくもまあそこまでの情報を引き出せましたね。あからさまに脅してきたとかですか?」
「そうじゃないの。実に美味し……巧妙な方法だったわ。ええっと、あれを口で説明するのは難しいのだけど」
リーディアが口籠ったときだった。
「もうすぐ次が焼き上がります」
工房の奥の竈からエプロン姿の女の子が出てきた。小さな少女を見てリーディアが絶句する。
「に、兄様。これはいくら何でも年下すぎるんじゃないかしら。シフィーよりも小さいじゃない」
「……何を言ってるんですか。私よりもリーディア様の方が接点があるはずですよ」
緑色の短めの髪の毛を後ろで小さくまとめた女の子をリーディアはまじまじと見る。彼女はカインの妹だ。屈託がなく元気な少女だ。ちなみに年齢は十一歳だったかな。名前はマリー。
春から城に勤めている、最近、兄の様子を見に来たときに料理が上手だというので今回のプロジェクトに協力をお願いしたのだ。
秘密を知る人間は少ない方がいい。後、本当に料理が上手い。
……
「ちゃんと言っておいてくれないとびっくりするじゃない」
リーディアが口をとがらせた。いや、今はそれよりもラウリスのことだろ。そう思った時に、人数分の皿を手にしたレイラが出て来た。横にはポットとカップを持ったマリーだ。
「レイラ。今はそれどころじゃなくなっててだな」
「私達はただレキウス様のご指示通りにお仕事していただけと分かっていただかないと。それに、ちょうどお茶の時間ですから」
レイラは最後にすこしだけいたずらっぽく笑った。
「……喉が渇いてたところだしまあいいわ」
マリーが円形の褐色の円盤を乗せた皿を配る。
「そうだ。それよりもラウリスだったわ。レキウスもあれを食べたらびっくり……」
本来の要件を思い出したリーディアだが、テーブルに置かれたそれを見て目をぱちくりさせた。
「ねえ、これは何?」
「麦の料理です。名前は確かパンケーキ」
「麦!? え、ええ、そう見えないけど、確かにそう見えるわね……」
リーディアはおかしなことを言った。いや、これは少なくとも数百年、いや千年以上作られてないはずのものだぞ。
リーディアはナイフを手に取って力を込めてパンケーキに押し付けた。それはステーキじゃないぞ。当たり前だが、金属と陶器のぶつかる音がする。お姫様にあるまじきテーブルマナーだ。
「えっ、柔らかい」
リーディアは慌てて手を止めた。ナイフを引き上げると慎重にフォークに差し、ゆっくりと口に運んだ。次の瞬間、彼女の目が大きく見開かれた。
「……こっちのほうが美味しいじゃない!!」
……
「なるほど。向こうも旧時代の麦料理を出してきたというわけですか」
「ああ、私の見立てではこれと互角だな」
ご相伴に預かったサリアの説明を聞いて俺は事態を把握した。
「……私は信じていたわ。私の右筆ともあろうものがあんな女に負けるわけがないって。これで大丈夫ね」
「いやいや、十分脅威ですから」
リーディアは上機嫌でパンケーキの残りを口にしている。さっきまでの危機感が飛んでいる。気に入ったのは分かったが、側近は互角といっているぞ。というか料理の味の優劣が重要だろうか。問題はリーディアが最初に言ったとおりグランドギルドの遺産と旧時代の知識、その組み合わせを向こうが持っているということだ。
あの魔導艇が錬金術の結果できたものなら、あの船の中にある魔術器をますます見てみたくなるな。じゃなくて、俺達じゃ絶対に勝てないぞ。
◇ ◇ ◇
「というわけで妹さんの協力のおかげで麦の料理はできた。見たこともないレシピをここまで形にするんだから大したものだよ」
俺はカインに“仕事”の報告をした。俺とレイラじゃ黒焦げと生焼けを量産していただろう。
「……ええ。マリーは母の手伝いで安い材料で苦労して料理してましたから」
カインは一瞬だけ表情を緩めた。だが、すぐに真面目な顔になる。
「しかし、これが麦で出来てるとは、ちょっと信じられませんね。……少し甘すぎですが」
「……女性陣の意見に従うとこうなるんだ。妹さんも含めて。あと、とんでもなく手間がかかるし、黒蜜に乳椰子って高級な採取産物がいる。新鮮な肉以上に高価になる」
そもそも麦を粉にするのすら手間をかけて二度引きしないといけない。間違っても庶民の食べ物じゃない。麦粥を食べてる一番貧しい平民が、この味と値段を知ったら王家に反感が溜まるレベルだ。リーディアが間違っても「肉がないなら麦を食べればいいじゃない」とか言いませんように。
「麦が大金に化ける可能性だけで十分ですよ。懸案が一つ解決です。妹を関わらせるべきじゃなかった気が少ししてますが……」
「いくら先輩でも麦の料理のことだからと油断していました」などと呟いている。
「まあ、それはそうと次の問題発生ですね」
「ああ、外から来た麦料理が問題だ……」
「リーディア様が言うには王が直接会うことを決めたようです。私も同席することになりそうです」
上はかなり危機感を持っているようだ。リーディアも色々混乱していたみたいだけど、基本情報収集に徹していたみたいだし。となると、こちらは上の判断待ちだな。
とはいえ、相手はラウリスのお姫様だ。そのクッキーというのがすべてである保証なんてない。となるとこちらとしては……。
◇ ◇ ◇
「本当に私が選んで良いんですか?」
シフィーが店に並ぶ干し果物を見ていった。学院が終わってこちらに来たシフィーを市場に連れ出したのだ。シフィーが果物と一緒に食べたいといったのにヒントを得たのだ。麦といっても料理だ。ソースが必要だということだ。
これ以上別の甘さを加えるというその発想は俺には脅威だが、ここの干し果物なら値段も知れている……。
「これがいいと思います。先生」
シフィーが赤い果物を手に嬉しそうに笑った。改良したレシピは彼女に真っ先に試してもらおう。こんなことでいつもの協力の礼には程遠いけど。
2020年3月2日:
次の投稿は3月5日(木)の予定です。