#閑話:後半 甘い外交
「交易の拡大のためにもっとも大事なことは世界が平和であることです。もしも「戦争」…………この場合は、ラウリスとグンバルドの間に起こりうる騎士同士の殺し合いです。そうなれば東西の交易は拡大どころか、断絶することになるでしょう」
クリスティーヌは真剣な顔で言った。穏やかな表情に憂いが差す。ほうら、一転してきな臭くなったわ。
「実は、貴都市との関係をなるべく早く結びたいのはそのためでもあります。私はこの地、正確にはかつてダルムオンと呼ばれていた地を含めて、東西の連盟の争いの場になることを危惧しているのです」
「つまり、将来の東西の対決に備えてその中間に“近い”我が都市をラウリス側に引き込むと」
東西がまっすぐままぶつかるのなら、その中間はリューゼリオンの北。旧ダルムオンの領域だ。もちろん、そんな大規模な衝突が起こればリューゼリオンは絶対に影響を受ける。だからといってラウリスに与する理由などない。グンバルドの情報が不足している。つまり、現時点のリューゼリオンにとって中立を保てる余地は最も重要。それを早々に売り渡すなんてできるはずがない。
「必ずしもラウリスに与していただく必要はありません。いいえ、むしろ中立を保っていただいた方がいいかもしれないとすら考えています。私の目的にとっては戦争が生じれば結果のいかんに関わらずに失敗です。これでしたら貴都市にとっても受け入れられる範囲では?」
争いは誰の得にもならない。理屈はわからないでもない。狩りのことを考えても獲物を巡って騎士同士が闘うよりも、それぞれがそれぞれの獲物を追ったほうが良いに決まっている。
だが、だからこそリューゼリオンの猟地ではデュースターとグリュンダーグが東西に別れて棲み分けているの。彼女の言っていることはそれを強引に結び付けること、何があるかわからない。
そもそも、その平和を語るあなたたちがこれまでやってきたことは何? リューゼリオンの結界を揺るがし、騎士院と王家の対立を煽る、どう考えてもリューゼリオンを支配するための行動だ。貴女たちがグンバルドとの戦争の準備だっていうのが一番わかりやすいじゃない。
……そこまで考えた時、私の脳裏にある疑問が浮かんだ。さっきから「私」って言ってるわよね。
「ラウリスはグンバルドとの友好的な関係を最重要視する、そういうことでしょうか?」
あえてそう聞く。クリスティーヌの表情を観察する。彼女の憂いが深くなった。
「……実を言いますと。ラウリスにもいろいろな考えの持ち主がいます。現在の大湖を中心とした連盟の形を保つべきであり、外に広げるべきではないと思っているもの。私の様に交易の活発化のため、外とのつながりを開こうというもの。そして、ラウリスこそグランドギルドの後継として世界を管理すべきと考えているものも」
最後の言葉に思わず腕に力が入る。沈黙を守っていたダレイオスも反応している。
「私がこの様な形で突然来訪させていただいた理由もそこにあります」
テーブルの上に生じた緊張の空気を払うようにクリスティーヌは言った。つまり、非公式な上にも非公式ということだ。さっきの理想論がそのままこの女性の本音だというの。そんなの信じられない。
ただ、その穏やかな表情に私は少し怖くなった。この大陸の将来図を己の望ましいと思える方向に持っていくため、危険を恐れず動く。徒手空拳で世界のありようを操作しようとしている。そんなことを考える人間、私の知る限りたった一人だって思ってた……。例の船、グランドギルド時代の技術がその自信の後ろ盾である可能性はあるけど……。
「では、こうお尋ねします。クリスティーヌ殿下ご自身は、今ご自身で語られた明るい未来に確信をお持ちのようです。これまで誰も成し遂げたことがない、そういう試みですわよね」
私は彼女を正面から見据えていった。さっきのような理想論じゃ騙されない、そう決意を込めて。だけど、私の目の前の女性はそんな私の視線を柔らかく受け止める笑みを浮かべる。
「いいえ初めてではありません。多くの国の間で行われる交易が世界の富の多くを生み出していた時代が過去にあることを、私は古い記録の数々で確かめています。我々が旧時代といっている時代です」
その言葉に私は完全に虚を突かれた。てっきりグランドギルド時代のことを持ち出すと思っていたのだ。
「そうですね。言葉をいくら重ねても御納得いただくことは難しいでしょう。我々が旧時代と呼んでいる時代に、価値のある知識や技術があったことをまずお示ししたいと思います」
クリスティーヌはまるで兄様のようなことを言って、後ろの侍女に合図をした。
侍女が包みを解くと、今まで嗅いだことのない香りが鼻に届いた。香ばしさと甘さが濃縮されたような強い香りだ。皿に乗せられたのは、小さな円盤状の褐色の物体。とてもじゃないけれどおいしそうには、いいえ食べ物にすら見えない。
「リューゼリオンでよく飲まれる黒豆の茶と合うことは確認しています」
毒味をするようにクリスティーヌがそれを口にした。女性らしい笑みがこぼれる。アントニウスも手を伸ばし「やはりこの味は素晴らしいですね」という。
怖がってはいられない。私は意を決して手を伸ばす。ざらざらとした手触りが警戒心を高める。恐る恐る、ただしそう気取られないように口に運ぶ。固い、そう思った瞬間それが歯の間で細かく砕け、中の香りが口の中に広がった。
甘い味。果実の甘さとは違う。蜜の甘さと乳椰子を煮詰めた甘さが組み合わさったような初めての味。最初の違和感が去ったら、その蠱惑的な味に強く魅惑される。
「こ、これは……いかなる食べ物でしょう?」
「実は、この菓子は麦の粉でできているのです」
かろうじてそう体裁を整えた私にさらなる衝撃が襲った。
「これが旧時代の知識の一端です。かつての時代、麦はこのような美味な料理を作るためのものだったのです。そして、このような旧時代の知識は多くが失われています。私はその知識を回復すべきと考えています」
口中の快感は一瞬で霧散した。旧時代の知識と技術。それにあの船の白い魔力。同じじゃない。
「いかがでしょうか。私の考えをぜひ騎士院、そしてリューゼリオン王にお伝えしていただきたいのです」
優美にほほ笑む女性に、今度こそはっきりと背筋が冷えた。
私の兄様がこんな女に負けるわけはない。でも、向こうはラウリスという大国の後ろ盾と、王女という立場を持っている。
2020年2月28日:
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