#閑話:前半 甘い外交
騎士院の応接室の中心。中央に置かれた正方形のテーブルに私たち四人は座っている。
私は入り口の向かいの窓側の席。これは客人を迎える席だ。右にはアントニウスが澄ました顔で座る。左はダレイオスだ。腕組みをして不機嫌な表情はとても客人を迎えるものではない。
とはいえ、もし立場がなければ私も同じだったかもしれない。私の正面に座る最後の一人。東方からわざわざ訪れた客人は、極めて厄介な素性の持ち主なのだ。
改めて彼女を見る。腰までありそうな長い髪の毛、小さな肩から伸びる細い手、白い指は掴んだら折れてしまいそうだ。狩りに出る人間ではないことは間違いないだろう。彼女をエスコートしてきたアントニウスの紹介で大国ラウリスの王女と知ったときは動揺を表に出さないように苦労した。
今も私の前で穏やかな微笑みを浮かべている。一言で言えば無害、そうとしか見えない。
外見や態度だけで測ってはならない。大国の王族がわざわざ乗り込んできたのだ。それも単身に近い形で。壁際にはウルビウスが護衛役として立っているが、彼女自身は侍女を一人ともなっただけだ。侍女は革の包を持ったまま後ろに控えている。
ただでさえこのテーブルの半分は敵、もう一人は敵の敵であって王家に協力するつもりはない。最悪三対一になるのだから油断なんかできないわ。
「遠方よりのご来訪を歓迎いたします。このようにお客様を迎えるなど長らくなかったことゆえ、不手際はご容赦いただければ助かります」
口から棘を飛ばさないように注意しながら言う。
「何しろラウリスの王女殿下自らですからね。安全のためギリギリまで正体を伏せるのはやむを得ないことです。当家も直前になって知ったのです」
優雅な口調でアントニウスが言った。とりなしてるつもりかしら? さっきの言葉の半分はそちらの家向けなのだけど。というか、直前で知ったなんて嘘に決まっているわ。
「確かに、その細い体で、魔力も少ない身で長い旅路は苦労だろうな」
ダレイオスが言った。口調だけでなく内容まで剣呑だ。アントニウスの瞳がすっと細まり、後ろのラウリスの侍女が手の荷物をピクリと動かした。流石に一言釘を差すべきと思った時だった。
「お気遣いありがとうございます。実はラウリスでも文官姫と呼ばれていますわ。わたくし自身も自らのその名に居心地の良さを感じているのです」
一騎士でもありえない卑下の仕方だ。そんなことを言われても答えようがない。ううん、冷静さを失っては駄目。騎士の家に生まれながらそういう事を平気でする人を一人知っているわ。レキウスに比べればどうということもないはずよ。
それにラウリスは多くの都市を束ねているのだから、文官組織はリューゼリオンよりはるかに大規模、そのトップとなれば王族が配されてもおかしくない。私が護民騎士団の名誉団長をやっているようにね。
そうだ、そこら辺のことはレキウスに後で良く教えてもらおう。そうよ、これは重要なことだし、私がちゃんと判断できるように情報を提供するのは右筆の役目だもの。久しぶりに、長い時間をとっても……。
そう思った瞬間、心が少しだけ軽くなった気がした。私の後ろには兄様がいる。あなた達の企みなんてもう大体わかっているのだから。どうとでも来ればいいわ。
私は改めてラウリスの姫に向き直り、口を開く。
「では、今回のご来訪の目的についてお聞かせ願いましょう」
「はい。むろん貴国の存在がラウリスにとって重要になると私が考えるからです。今後大陸の東西をつなぐ交易はますます活発になると考えています。中間に近い貴国はそのために欠かせない。これはこちらに滞在させていただいているラウリスの商人からも報告されていることです」
気負いのない穏やかで優しげな口調。でも、その商人はウチの城から秘かに情報を盗み出したんじゃない。とはいえ、今ここでそんなことを問い詰めても答えるわけがない。
「まあ。商人の仕事を円滑にするために王女殿下自らここまで来られた、そう聞こえますが」
私は不信の念を戸惑いに偽装して表に出した。大きな湖を囲んだ交易の経路がラウリスの支配の要だということは解っている。さらに言えば商業活動が大事、少なくとも騎士が思っているよりはずっと、ということは外の街について少しは学んだ私には解っている。
ラウリスは連盟を支配する手段として交易網を用いている。つまり、表向きは交易を持ち出しながら、最終的にはリューゼリオンをラウリス連盟の傘下に組み込む。それがお父様や文官長の予想だ。もちろん、結界に手を出したことを考えると楽観的な予想に分類されている。
そして、その程度によっては受け入れざるを得ない。そういう予想でもある。だけど、それを判断するための材料はまだ足りない。
「はい。私は商人による交易の活発化を望んでいます」
ためらわずに言った。商人の代弁者と取られることも厭わないなんて。リューゼリオンの文官ですら厭うだろう。一人の例外を除いてだけれど。
「無論、それは商人を潤すだけのことではありません。都市間の交易が大きくなることは、全ての都市と、その住人に繁栄と安定をもたらすと考えています。それぞれの都市がそれぞれの状況に合わせて得意なものを外に売り、不足したものを外に求める。これにより我々すべてが今よりも豊かになることができると考えているのです」
とんでもない理想論が飛び出した。
「ラウリスにはそれを主導できる力があると」
私は挑発的な言葉をぶつける。自分のことは卑下できても、都市に疑問を呈して見せたらどう反応するの。貴女には王女としての立場があるはずよね。
「クリスティーヌ殿下の乗ってこられた船をご覧になれば解ると思いますが。ラウリスの水運の力は大きく。それをより広く世界のために活用することができると考えておられるのです」
アントニウスが答えた。デュースターが旧ダルムオンの交易基地の設立にこだわっていた。ラウリスとのつながりで交易の利益を得ると同時に、後ろ盾として騎士院や王家への発言力を高める。あの船に乗ってきたのはその力の証明。矛盾はない。
でも、絶対に裏があるわ。言葉通りなら、結界に手を出す必要はないのだから。
「クリスティーヌ様の大きなお考えはわかりました。ではその中で、我がリューゼリオンには何を期待されるのでしょうか?」
西も東もそしてリューゼリオンも、みんな幸せになります。そんな都合のいい言葉にうなずけない。でも、表立って反論はしない。私の役目は情報を引き出すこと。それが出来れば貴女なんて私の右筆がやっつけちゃうわ。
2020年2月25日:
次の投稿は三日後28日(金)の予定です。