#5話:後半 エーテル
「レキウス?」
俺は泉から離れ、エーテルを逃がす溝に沿って歩く。溝は綺麗なままだ。だが、入口近くで突然溝の底に白い領域が表れた。さっきは光のせいだと思ったが、僅かなきらめきのある層があるのだ。まるで焼き物の釉薬のようだ。
状況から考えると、エーテルに溶けていたものが蒸発に伴って析出したものだ。だが、なぜ入口近くにだけ沈殿した? 流れは外まで続いている。エーテルは完全に蒸発していない。あまりに突然だ。
その時、俺は岩の向こうに何があるか思い出した。
そうか、地脈との位置関係だ。この溝の方向はちょうど結界器から離れていくようになっている。つまり、熱源から遠ざかっているのと同じだ。
つまり、エーテルの蒸発による濃縮と魔導金属の魔力冷却とでもいうべきことが同時に起こってるんだ。だからこんな極端な差が出る。
「ということは。そうか、普通の用途の触媒の場合は地脈の魔力から遠ざかってから調整される。つまり、溶けていた魔導金属は沈殿してしまって除かれる。だけど、結界器の触媒の場合はずっと溶けたままだ」
俺はリーディアとサリアに説明した。二人もうなずく。
「だが、やはり昔のことだ、確かめようがないぞ」
「結界の超級触媒の調整に泉の汚染をぶつけるなんて、知ってないとできないんだから。デュースターが関わっているのは間違いないのに」
リーディアが悔しそうに言った。確かに、決定的な証拠までの道は常に時間の壁によって閉ざされている。
「いや、待てよ……」
さっきの仮説なら、この沈殿は時間をかけて積み重なったものだ。俺は持ってきた採取用の匙をその沈殿に差し込んで見る。白っぽい漆喰のようなものが取れた。思ったより柔らかい。
慎重に引き上げて横から見る。白い層の中に極細い灰色の層がある。まるで、紙の束の中に一枚だけ灰色の紙を混ぜたような感じだ。
これが、エーテルから沈殿した魔導金属を含んだ層だとしたら、過去の一時期、なにかが起こっている。それが、魔導金属絡みなら調べるすべはある。
「サリア殿。この溝の掃除がどの頻度で行われているか。調べてもらえますか?」
俺はそう言うと、サンプルを慎重に瓶に保存した。よし、次の実験が決まったぞ。
◇ ◇ ◇
錬金術工房に戻った俺は試験管を三本用意する。エーテル泉の溝から採取してきた沈殿を三つに分ける。灰色の層より上が『白1』。一番新しい時期の沈殿だ。次は薄い灰色の層『灰』。なにかが起こったかもしれない時期の沈殿。最後が灰色の層より下『白2』だ。
それぞれを試験管に移しエーテルを注ぐ。厳重に栓をする。そして、工房に来ていたシフィーに渡す。
慌ただしく飛び込んできた俺達に目を白黒させていたシフィーだが、すぐにやることを理解してくれる。魔力を当ててもらうと沈殿が半分くらいになった。
いいぞ、やはり魔力が抜けたことで生じた沈殿のようだ。
試験管の中身を紙で濾過し液だけを取り出す。三本の新しい試験管に曇らせた青い魔力触媒を加え、そこに三種類のサンプルを少しづつ加える。そして、もう一度シフィーに魔力を当ててもらう。
俺とシフィーは手早く実験をすすめる。城からついてきたリーディアとサリアは机の向こうで俺たちの作業を見ている。後はクロマトグラフィーで解析だ。
三列の色素はエーテルの流れに従って完全に分離された。
結果は明白だった。この実験方法の力を改めて思い知る。
白1,2の時期の層からは青の魔力触媒が再生された。これはその時期のエーテル泉に白い魔導金属が溶けていたということだ。状況から考えて、これが普通のエーテル泉の状態だと考えられる。
問題は真ん中、灰色の層からのサンプルだ。他の時期と同じく白い魔導金属が含まれていた印である青い触媒の再生が起こっているが、それに加えて他の時期にはない紫の触媒が再生している。
これはつまり、灰色の時期のエーテルには有るものが含まれていたことの証明だ。
「過去の一時期、エーテル泉に黒い魔導金属が混入している。おそらく、結界の超級触媒が調整された時期だ」
俺の言葉に場の全員が息を呑んだ。少なくとも、超級触媒の劣化が黒の魔導金属のエーテルを通じた混入であることは明らかになった。
「下げ渡された容器に黒い魔導金属が塗られていて、エーテルを汲み上げる際に、泉を汚染したということか?」
サリアが言った。超級触媒の調整に例の容器が直接使われていない以上、泉そのものに添加したのは間違いない。
「ちなみに、溝の掃除はどれくらいの頻度で行われていますか?」
「ああ、先程確認したが。少なくとも三年以上行われていないようだ」
「……となると」
俺は先程の三層の沈殿を思い出す。灰色の層はたしかに薄いが、一過的には見えない。もう少し長い間、継続しているように見える。さらに先日の話し合いのように、ガラス器の処分に複雑な経路をとったことと矛盾する。わざわざ犯行に使った器をリューゼリオン外に持ち出す理由がない。
となると、もう一つの可能性は……。
「エーテルの流れに乗せて黒い魔導金属を泉に送り込んだという可能性があります」
「エーテルの流れは地脈に沿っている。つまり、旧ダルムオンからつながっている。そういうことね」
「ラウリスの商人がガラス器を外に持ち出したのは、黒い魔導金属がエーテル泉に混じったかを確認するためということか」
「そうですね。商人に魔力関係の実験ができるとは思えないですから。おそらく本国、あるいは旧ダルムオンにいる謎の騎士に送ったのではないでしょうか」
◇ ◇ ◇
実験を終えた俺たちはそのまま二階に行き、カインに報告した。
「なるほど。リューゼリオンの外のエーテルの流れを通じて超級触媒を黒い魔導金属で汚染した。例の容器はエーテルが上手く汚染されているのかの確認の為に持ち出した」
俺たちの実験結果を聞いたカインは考え込む。
「我々の外の敵が黒い魔導金属を持っていることは確実です。リューゼリオン内の協力者に一切手の内を明かすことなく実行できますね」
「容器の下げ渡しの時期とも一致する。調整の前後の複数回、調整とは一見無関係の容器が不自然に破損したとされているのだからな」
サリアが補足した。その横でリーディアが眉間にしわを作った。
「そうなるとデュースターは直接手を出していないってことかしら」
「直接は、ですね。ただし、超級触媒の調整過程と日程を知っていなければ実行できない計画です。そもそも、己の行為の結果、結界がダメージを受けることは知っていた可能性が高いですね」
「そうね。どうしてそんな形の協力をしたのかはわからないけど、許せないわね」
リーディアの言葉に俺たちは全員うなずいた。
「結界破綻をもたらしたのが黒い魔導金属であり、犯行はエーテルを通じて行われた。これが分かったのは大きいですね。外からの攻撃は脅威そのものですが、だからこそ知っておかなければならない。ですが……」
「ああ、この物証をデュースターに結びつけることは難しいんだ。犯行は外から行われ、証拠も外に持ち出されている」
「デュースターが黒い魔力を使う。あるいはデュースターから黒い魔導金属が見つからないと無理ね。でも、今の話だとそもそも持っていないのよね」
「ラウリスからの使節がポイントですね。向こうは私達がここまでたどり着いているとは思っていない。いいえ……」
カインが俺とシフィーを見る。
「夢にも思わないでしょう。相変わらずそれだけが我々の優位です」
「そうね。向こうには兄……錬金術はないんだから」
サンプルを必要に応じて切り分け、報告書用に渡した。カインはまるですでにいくつかのパターンを考えていたようにさらさらと文面をまとめる。そして俺に見せた後で、リーディアに渡した。
「敵の力と巧妙さが分かったわけですから、まったく油断はできませんね。ラウリスとの折衝に関してよろしくお願いします」
「これで何もわからないまま相手に対せずにすむわね。ラウリスから情報を引き出さないと。実は明日にも到着するはずなのよ」
リーディアとサリアがうなずきあった。外交の方は彼女たちに期待だ。
「裏の方だけ頑張ってもらうわけにはいきませんね。私の方としては狩りのチームを率いて新しい採取予定地に乗り込むつもりです。まあ、実際に見せると士気が下がる可能性もありますが」
カインは少しほっとしたような同時に心配そうな顔になる。表と裏の使命を抱える組織の長として、常に仕事全体と己の立ち位置を同時に見ている。彼の優秀さがよくわかる。
話し合いを終えた俺は階段を降りる。一階にはレイラが来ていた。
「レキウス様。頼まれていた品を持ってきました。なるべく質がいいのということなのでそうしましたけど……。本当に口に入れるんですか?」
レイラから受け取った袋を開く。白い粉末が入っている。染色の時に水の酸度を調整するために昔から使われる『重曹』というものだ。彼女が不安そうなのは分かる。濃度を間違えると手が荒れたりするのだ。
「……昔の文献にそう書いてあるんだ。旧時代の人間の味覚と、それに胃腸が俺たちと違わないことを願うだけだ」
そう言って重曹を受け取った時だった。外の、市場の方でざわめきが起こった。運河を見ると、流線型の美しい船が川の流れを無視するようになめらかな速度で近づいてくる。
その船尾に輝く光を見た時、俺は慌ててカインから魔力測定器を受け取った。錬金術工房に向かい、運河側の窓から船の船尾に光る白い光を測定する。
三つのリングが全て回転した。
「白い魔力を動力にしてるのか!!」
俺は窓に顔を押し付けるように船を見た。船体は新しく見える。ラウリスはすでにグランドギルドの技術を復活させたのか。
唖然とする俺達の前で、船がすっと止まった。船から何人かの人間が降りてくる。その中心には白い服の細身の女性が立っていた。同時に、運河の向こう側に白い騎士服の男が二人現れた。
「アントニウスとウルビウス」
サリアが言った。デュースターの二人は白い女性を迎える。
「やっぱり商人だけじゃなかったのね」
あの二人がわざわざ迎えるのだ、ラウリスの中でもかなりの地位に違いない。
「グランドギルドの技術をここまで活用する相手ですか。これは、予想以上に手ごわい」
カインが深刻な表情で言った。その通りだ、ある程度予想していたとはいえ、目の前で運用されると衝撃だ。ただ、それ以上の感情が浮かんでくる。
俺がまだ知らない白い魔力の運用方法が目の前にある。あの船の中身がどうなっているのか、とても興味がある。
2020年2月19日:
次の投稿は一回スキップして2月25(火)の予定です。
これから一月くらい投稿が不安定になると思います。
よろしくお願いします。