#閑話 不正調査
「経費の精算は以上で間違いないですね」
「はい。これで完了です」
灰色の文官服の女性の言葉に、茶色の商人娘はサインした受け取り証を差し出した。積み上げられた金貨と銀貨を挟んで向かい合う、文官はアメリアで商人はレイラ。
両名は護民騎士団の本部一階の事務室で錬金術工房の経費精算を終えたところだ。
「かなり特殊な品も多かったようですが、それにしては費用は抑えられていますね」
目録を見ながらアメリアが言う。
「今回は支払い元が確かですから。後は、これまで同じ様な注文をした伝があります」
「ああ、なるほど。あなたは以前から錬金術に関わっていたのでしたね。聞いたところでは先の結界破綻の回避にも大きく関わっているとか」
「私としては今やっていることと変わりません。特別なことといえば、作業場所をお貸しした程度でしょうか」
立場が上の同年代の同性の相手。その探るような視線にレイラは表向き平然を保った。
「我々は城と街の間をつないでいるつもりですが、視線は基本的に城に向いています。中にはその関係が行き過ぎる者が出るほどですね」
文官と有力商人の癒着は公然の秘密である。第二の給金という隠語すらあるのだ。毎年、罰せられる文官がいるが、焼け石に水。そういった関係の割りを食うのが大きくはない商人や職人たちである。
普通なら先程のやり取りのあとで「それで、私の取り分は?」という話が始まってもおかしくないのだ。
レイラの目の前の女性は街に出てくるような立場ではないらしい。その言動からは潔癖そうな性格が垣間見える。
おかしな手数料が発生しないのはいいが、危ういとも言える。
「内円では騎士に這いつくばり、外円では平民に威張り散らす。実に中途半端な立場です。こうやって行き来するようになると嫌でもそれが見えますね」
自嘲的にも聞こえるそのセリフの意味をレイラが取りかねていると。
「ちなみに今のようなことを、事もあろうに文官の長の前で平然と口に出した同僚がいるのですよ。その見解がどこから出てくるのか、そう思っていましたが多少は理解できました。多少は、ですが」
レイラの頬が引きつった。それが誰のことか容易に想像がついたからだ。
「こういうことをお聞きするのは何なんですが……。レキウス様は文官としては、どうなんでしょうか」
「……ある程度の書類整理能力や調査能力は持っているようですが。上に言われて動くのが文官の基本です。そこが致命的に――」
「わかります」
レイラは思わず言った。普段銀貨でやり取りしている自分に金貨の取引を持ってきたと思ったら、支払われたのは大粒の宝石だった。おまけに扱った品は本来なら禁制品だ。彼女がここ半年の間にした経験だ。それを単に商売拡大と喜ぶほど、彼女は能天気ではない。
精製触媒の管轄が護民騎士団の錬金術工房に移り、レイラの役目が名実ともに納入業者に落ち着いたことにホッとしているのは彼女自身だ。
「ただ、本人は言われたことをやっているつもりでいるんですよ。いえ、やってるんです……」
「なるほど。あなたも苦労しているようですね」
二人の女性の間に僅かに共感の橋がかかった。アメリアは初めて女性らしい柔らかい表情を浮かべた。
「といっても、嫌々従っているわけではなさそうですが。なかなか難しいでしょうに」
「そこはまあ、私の場合は二番目、三番目でもという立場もありますし……」
「その人間関係が破綻しないことを祈りましょう。この仕事のためにも」
そう言ってアメリアは表情を真面目なものに戻した。
「一つ聞きたいことがあります。パウルスという文官についてですが」
「パウルス様、ですか」
聞いたことがない名前にレイラは首を傾げる。アメリアが説明するには彼女の捜査線上に上がった人物で、デュースターの息のかかった文官だという。
「担当は城からの物品の払い下げです。結界の触媒がおかしくなった時期、正確にはその前後に怪しい動きがありました。払い下げの頻度がその時期だけ増えていたのです。この男が先日、ウルビウス・デュースターの右筆に取り立てられました。もともとの役職は日の当たらないものですから、デュースター本家の右筆というのは出世ということになります。そこに何があったのかというのがこちらの興味です」
「その払い下げられた品というのは?」
「品は主にガラス器。表向きは壊れたという理由になっていますが、調べたところ入り口がわずかに欠けた程度のようです」
「ちょうどガラスなどが不足する噂が流れ始めた頃ですね。しかし、壊れたということは原材料としての払い下げですか?」
「ええ。安く払い下げられています。これくらいですね」
「以前よりも少し高め程度ですね。原料としてですが。ただもし、買い取った商人がそのまま容器として売る場合はそれなりの差額が出るでしょうね」
レイラは頭の中で計算する。十分使えるものを原材料として買い取った商人は、それを製品として販売する。差額の幾ばくかが賄賂としてその文官に渡る。有り得る話だ。
「払い下げられた物品を買い取ったのはデュースターと取引があるわけでもない普通の商人でした。容器はガラス工房に売ったと言っています。そこまでは追えたのですが、その先は……」
「溶かして原料になったならどうしようもないですよね。本当にそうならですが」
「そこは疑っています。ただ、調べようがない。そこであなたの視点ならと思ったのですが」
「職人に渡ったのが間違いなければ、商業的にはおかしいです。まず、溶かして再利用と言ってもその過程で量が減りますし、燃料その他の費用もかかります。十分使える品ならそのまま転売したほうが利益になります。しかも売りっぱなし。溶かして原料という話が本当なら、それを使って作った品は別の商人と取引することになります。最初から約束がなければ、職人的にはリスクです」
その間に一人噛めば、それだけで経費は増える。取引のために商談をするのも、最終的な使用者に渡るまでの間の保管も、そしてちゃんと代金が支払われるかどうかも全て費用だ。
商人、職人、商人、客。これだけ噛んで、しかも最上流で文官が十分な賄賂をとる。それは経済的には成り立ちようがない。
「もちろん、騎士様の家と取引する場合は無理を聞かされることは珍しいことではありませんが。それでも相場というものが存在します。最終的に客が払うお金を超えることは出来ないですから」
レイラは机の金貨を見ながら言った。
「複数の手を経るということは、それに見合うだけの利益が存在しなければならない。そして、純粋に商業的に見てそれは存在しない」
アメリアはうなずいた。アメリアにとって今レイラがたどってみせた道筋は、すべて外円という一言でまとめられるものだ。だが、実際にはそうではないということがはっきり解ったのだ。
「最終的に買い取った客が相場を外れた高値を払った。あるいは、そこまでの経路に対して、商売とは関係ないところ、例えばある騎士の家から手数料が出ている。そういうことですね。つまり単純な不正ではない」
「お金を考えるとそうなります」
「となると、払い下げられた物品の行方、それがやはり問題ですね。とはいえ……」
アメリアはため息を付いた。物品の払い下げは一年以上前だ。そのものを押さえることは出来ないだろう。物品そのもので繋がりを確認できない。何らかの証拠隠滅が目的なら、溶かされて影も形もなくなっていたり、破棄されていることも考えられる。
「品そのものではなくて、職人と商人の関係なら、それを追う方法が一つあります」
レイラは今日持ってきたばかりの実験用のガラス器を箱から取り出した。
「こちらの試験管と、このビーカーを見てください。ちょうど、口のところです」
レイラが指差したのはガラスを作る時にバリが出るところだ。もちろん、使用者の手を傷つけないように、それは丁寧に処理されている。
「同じ様に見えますけど」
「そうですよね。でも、違うんです。こちらの試験管は右から左に跡が流れています。でも、ビーカーは逆です」
レイラは自分の染料で薄く染めてみせる。アメリアは目を見開いた。
「この二つを作った職人は別なんです。ちなみに、試験管を作った職人は右利き、ビーカーを作った職人は左利きです。これは極端にわかりやすい例ですが……」
「職人にはそれぞれ癖がある」
「はい。例えば二人の商人の間を職人を挟んでものが移動したとしても、それが表向き知られてなかったとしても、この手の癖を調べれば繋がっていることはあります」
異常に品質の安定にこだわるレキウスが嘆くように、それに対応するレイラが苦労したように、職人ごとにものの出来には微妙な差がある。逆に言えばそれはたどれる。
「わかりました。その方向で消えた繋がりを調べてみましょう」
アメリアはそう言って立ち上がった。そして、出口に向かう前にレイラに振り返った。
「なるほど。あなたが重用されるわけです。理解できました」