#4話 白と黒の魔導金属
下のビーカーには黒い粉末が入っている。黒猿からの貴重な魔力触媒だ。三色を分離してなんてロスを出す余裕はない。それでもサンプル量は心もとないが、魔力昇華実験のやり方もかなりつかめてきから、なんとかなると思いたい。
言うまでもなく、慣れたのはあくまで彼女だ。これまでの実験から、分離した魔導金属の純度には透明な魔力が絡むことが解ってきた。魔力で触媒を曇らせる、つまり魔導金属と色素の分離はどの色の魔力でも起こるのだが、分離した魔導金属が結晶化する効率は透明な魔力が格段に高いのだ。
サリアやカインにちょっと試してもらった時に分かったことだ。シフィーの存在は本当に大きい。更に深読みすれば、魔導金属の精製にも魔脈の存在は重要だったのではないかなんてことも考えられる。
まあ、魔導金属生産の復活なんて現在はおろか考えうる限りの未来でも手を付ける算段は浮かばない。
今はできることに集中。そう、黒い触媒の昇華実験だ。
シフィーが魔力を浴びせると、黒かった粉末が灰色に近くなる。上のフラスコを取り外し、慎重に表面を観察する。この時点でこれまでとの違いがはっきり現れている。白系統のサンプルでは白い毛が生えた様に見えたが、今回は黒い毛が生えたように見える。
一片も逃さぬように匙で削り落とし、虫眼鏡で観察する。螺旋回転の針状の結晶だ。黒曜石のような光沢もある。形状から見て魔導金属の可能性は高い。予想は白系統の魔力触媒から取れるのとは共通かつ正反対の性質のものだから、ここまでは注文通りだ。
小さじ一杯にもならない。結晶の形状を考えると更に少ないだろう。とはいえ、必要な確認はする必要がある。
「まずは、これが白と黒の違いを生むのかを確認しよう」
俺は青みがかった鼠色の液体の入った試験管を見る。曇った“青”の魔力触媒、つまり色素部分だ。本来なら白い魔導金属が結合していた色素だ。
黒い魔導金属(仮)を一部エーテルに溶かす。その一部を曇らせておいた青の触媒に加える。コルクで入り口を塞ぎそれをシフィーに渡す。ちなみに、触媒の復活の効率はこうした方が上がる。
魔力を通し終わると、クロマトグラフィーに掛ける準備をする。対象として、白い魔導金属を添加したものを横に並べて流してみる。
「曇った青の触媒が紫の触媒に変わりました。先生の予想通りです」
さっきまで貴重なサンプルを前に緊張してたシフィーが弾むような声で俺を見上げる。ふわふわの白い髪の毛が揺れる、彼女の瞳に浮かぶ光が眩しい。
「これは、助手の腕がいいからだよ」
俺が褒めると、シフィーはくすぐったそうに笑った。出会った頃の印象では大人しい小さな女の子だったのだが、最近ちょっと成長したというか、その真っ直ぐな笑顔が眩しく感じることがある。こんな笑顔を向けられたら学院の同級生男子なんかはころっといっちゃうんじゃないか?
「先生?」
心配になった俺に小首をかしげるシフィーから実験結果に目を移す。余計なことを考えてる場合じゃないな。
改めてクロマトグラフィーの結果を見る。まずは今回の実験ではっきりと確認されたが、白系統の青の触媒と黒系統の紫の触媒は、共通の曇った『色素成分』と、性質の異なる白黒の『魔導金属』から成る。
つまり魔力触媒は『色素』と『魔導金属』が結合したものであり、色素が回転の角度を決め魔導金属が回転の方向を決めているのだというところまで推測できる。
美しい結果に、錬金術士としての感覚がゾクゾクする。俺の仮説が当たった外れたというよりも、魔力の仕組みそのものが美しいのだ。俺はそれを取り出しただけ。それも、自分の手では出来ないのだ。
ただ、じっと眺めていると一つ気になることに気がついた。
「紫になる効率が予想より高いな……」
「そうですね。青のときよりもはっきりしています」
シフィーもうなずく。予想していたよりもクロマトグラフィーで現れた紫のバンドが濃い。白の魔導金属と同じ効率で入れ替わるなら見えるか見えないかのはずだった。ケチり過ぎかとビクビクしていたくらいだ。
「魔猿の緑の触媒を圧倒するんだから、普通の白系統よりも強くてもおかしくないが……」
触媒の等級の違いと魔導金属の関係はまだ調べていないことに気がつく。
「白系統だけでも確かめておかないとな」
俺は上級から下級までの三種類の青の精製触媒を用意する。品質で言えば中級、上級、超級なわけだが、それはあくまで触媒中の不純物を錬金術の手法で除いて魔力伝導効率が上がった結果だ。魔導金属自体は下級、中級、上級のままだ。
三種類の触媒を昇華して、得られた魔導金属を比較する。虫眼鏡の下ではどれもきれいな白銀色だ。全く違いが見えない。試しに青の上級触媒を曇らせたもの、つまり青の上級触媒の色素部分と下級触媒から得られた魔導金属を結合させてみる。
僅かに曇りから回復した青のバンドは、鮮やかな青色だ。青の上級触媒に見える。つまり、触媒の等級は魔導金属ではなく、色素部分で決まるということだ。
「魔獣の等級は同一の白の魔導金属を利用する上手さということか。あくまで上級まではだから超級はわからないけどな。そういえばリーディアが前に言ってたよな、もともとの結界器の触媒は真級だって」
「リーディア先輩……ですか? 私はその時いなかったと思います……」
シフィーが困ったような顔になった。
「ああ、旧ダルムオンが滅んだ時のショックで結界の赤の触媒がおかしくなった後、火竜から得られた超級触媒は劣化させられていない状態でも十数年しか保ってない。まあ、それだけ持つこと自体がすごいんだけどさ。でも、その前の数百年は触媒の塗り替えなく保たれてたわけだ」
真級というのはつまり、グランドギルドの技術で特別に作られた魔力触媒ということだ。
「それにサリアも魔導金属には等級があるって言ってただろ……」
魔導金属は銀の上に金と白金があるといっていた。仮に、等級の高いほうが色素との結合が強いとしたら、黒い触媒の魔導金属の等級が金、あるいは白金級相当である可能性はある。
この黒い魔導金属が結界の超級触媒を邪魔したとしたら、超級触媒の魔導金属よりも等級が高いという可能性がある。大胆に予想したら、超級魔獣の触媒の魔導金属が金級で、この黒い魔導金属は白金級ということだ。
「つまり、結界がおかしくなったのはこの黒い魔導金属が混ぜられたことで、赤の魔力触媒の白い魔導金属が黒い魔導金属に置き換えられたということですか?」
「そういうことだな。それで一応説明はつく……」
また新しい仮説だ。完全に証明するためのサンプル取得難易度を考えると頭が痛い。とはいえ、グランドギルドの技術が特別なのは今に始まったことじゃないし、それを解き明かすことが俺の目的でもあるからな。
まあ、まずはこれまでの結果を報告しておくか。
……
「というわけで団長。これまでの実験結果は以上です」
本部二階の会議室の隣にある団長室。難しい顔で書類をさばいていたカインに俺は結果を報告した。俺の説明を聞いていたカインは、提出した報告書をしばらく見たあとで顔を上げた。
「たった十日そこらで結果が出ましたか。……いえ、さすが先輩ですね」
「頼りになる助手がいるし。サリア殿の魔導金属の知識のおかげもあってだよ。後は、工房の使いやすさも大きい。まあ、組織の力というわけですよ、団長」
「翼を得た……。いえ、とりあえずここまでの結果から考えると、我々の敵はこの黒の魔導金属を何らかの方法で結界の触媒に混入させた。そう考えて良さそうですね。これまで全く未知だった手段について物の方から答えが出たのは大きいです」
さっと考えをまとめる。団長として現在の仕事の進捗として整理してみせるのは、彼らしい明快さだ。
「まだ仮定の部分が残っているけど、そう考えていいと思う。だけど、混入させた方法がわからない」
「それが次の課題ですね。とはいえ、先輩の方は順調すぎるというべきです。人側の調査、アメリアさんたちの報告を待ちましょう。組織の活用というわけです。どうですか?」
「ああ、実はもう殆どサンプルがない。これ以上の実験を進めようと思ったら新しい黒い魔獣がいる」
「王家の騎士の報告では、あれ以来旧ダルムオン南部にそれらしきものは目撃されていないようです」
やはりあれは不自然な存在ということなのだろう。素子論に基づいて考えれば、黒い魔導金属という素子は無から突然生じない。どこかから持ってこなければならないのだ。あの猿が魔の森の植物を食べたとして、魔力はともかく魔力触媒や魔導金属を摂取できないのではないか。
やはり何者かが、黒い触媒を与えたと考えるべきだろう。とはいえ、確かめるのは難しい。
「デュースターに黒い魔導金属を分けてくれないかと頼んでも駄目だろうし……」
「……彼らが「これをどうぞ」と渡してくれれば犯行は確定ですよ。物証そのものです」
「そりゃそうだ。というか、持ってるとは限らないか」
彼らの行動はとてもじゃないが今俺達が得た知識を持っているとは思えない。とはいえ、あのプライドの高い家が、何もわからないままに手先というのも不自然だが……。
「それはそうと、団の表の仕事に問題がでている?」
「平民出身者も色々、ですね。協力すべき王家に近い騎士にとっても平民上がりは平民上がりですしね。引退した平民出身の騎士院議員の協力を取り付けようとしているところです。ちなみに現役は駄目なんですよ」
苦笑しながら「まあ一チームは作りますよ」とカインは言った。こいつが作るといえば、それはできるだろう。
とはいえ、面倒臭そうだ。サンプルの少なさを嘆いたり、火竜の心血がほしいと思っている俺が気楽に思える。政治的な駆け引きよりもグランドギルドの秘密を暴けと言われたほうがずっと気が楽だ。
「……まあ、それが仕事ですから。ただ、チームが出来てもちょっと問題がありまして」
カインが机の上の書類を見た。俺が部屋に入ったとき、見て首を振っていたものだ。
「それは?」
「新しく採取に割り当てられる予定の領域です……」
地図を見るとリューゼリオンの南部、二つの川に挟まれた比較的平らな領域だ。森の中では木々も少ない。もともとの採取地の延長線上だし、川からの魔獣を早期警戒できるのだから、川も問題じゃない。
「悪くないように見えるが……」
「果実などが少なく、麦が一面に生えている痩せた猟地なんですよ。意図してでしょうね」
なるほど、こういう嫌がらせに来たか。食料の保存という意味では実は悪くないが、保存という利点を除けば採取に手間がかかる割に収量が少ない。
「そういえば以前先輩が大昔は麦が好んで食べられていたと言ってませんでしたか」
「確かにそんな話をしたけど。よく覚えていたな」
魔術基礎ですら無い、旧時代の歴史の話だ。
「ボクも学院に上る前はよく食べましたから。あんなものが主食という衝撃で記憶に残ってました」
カインは珍しく口元を歪めた。まあ、あれが毎日毎食と考えるとゾッとする。
「そうだな、ちょっと旧時代の文献をあたってみよう。実は麦を使った料理の記述を見たことがある。とはいえ、あんまり期待されてもこまるけど」
確か旧時代の貴族だか大商人だかの家の料理人の記録みたいなのがあったはずだ。再現できても美味い保証なんてまったくないけど。どうしようと麦料理は麦料理だ。
「お願いします。……実験をとめてすいませんが」
「さっき言ったようにもうサンプルがないからな。それに、こっちは魔力もいらない」
俺はそう言って後輩に笑った。このままじゃ眉間のシワで俺よりも先に年を取りそうだからな。
そういえば昔の錬金術士は弟子にまず料理をやらせたらしいな。料理と実験は似ているからだそうだ。