#3話 晴れた曇
「先生。片付けは私が」
「シフィーには魔力を使って頑張ってもらってるんだから、今は休んでいてくれ」
俺はビーカーを洗いながら後ろのシフィーに言った。
「でも、私は先生の……」
「今日は昨日の二倍だし疲れてるだろ」
彼女の前には銀色の粉末が二つ、小瓶に入っている。それぞれに赤と緑とラベルを貼ってなければ区別がつかない。
今日は赤と緑の触媒から、青と同じ様に銀色の粉末を得ることが出来た。少なくとも見た目は青から得られたものと同じだ。
シフィーは学院で魔力を使い、そして放課後はここでもということになる。だいぶ扱いに慣れてきたと言ってはいるが、自分の力を隠したまま、しかも他人とは全く違う魔力の運用を考えなくてはならない。
触媒を曇らせるだけなら他の人にも手伝ってもらってもいいのだが、シフィーは自分がやると譲らない。確かに、メンバーは全て仕事を抱えている。今もカインは上で採取警護チームの人選を考えている。リーディアは城での公務もある。ラウリスからの商隊の到着が近いこともあり忙しいようだ。
これだけ手伝ってもらってるんだから、なにかお返しはしないといけないよな。
彼女の白い魔力用の狩猟器のことも考えなければいけない。とはいえ、個人仕様の白魔術など全く見当がつかない。今の知識で古い記録を調べればなにか出てくる可能性はあるが、現状ではとても手が回らない。
そんな事を考えていると、シフィーは「もう大丈夫です」と立ち上がって、俺の隣に来た。俺が洗ったものを受け取って水を切っていく。本当によく出来た助手だ。
「まるで夫婦だな」
「騎士の家じゃどちらも洗い物なんてしないだろうに」
入り口からのサリアの声に答えた。ほら、シフィーが試験管を取り落しそうになってるじゃないか。重さが揃った試験管は貴重なんだぞ。
……
机についたサリアに今日の実験の結果を説明した。
「ようするに赤、青、緑のすべての触媒に魔導金属が含まれていたということか」
「まだ確定じゃないけど……。いや、その言い方だと……」
「ああ。おまえたちが触媒から取り出したのは魔導金属だ。等級は普通だがその純度と。特に形状が普通じゃない。あれを見せたときの魔導鍛冶の興奮ときたら無かったぞ」
「そうか。魔力触媒は魔力を流すわけだから魔導金属が絡んでいたのはむしろ自然だな……。形状に興奮というのは?」
「ああ、伝承上の形状らしくてな。これがまた問題なのだ」
サリアが言うには魔導金属は銀、金そして白金という等級があるらしい。色は全て銀色だが、その輝きが違う。銀級は現在の技術でも自由に加工が可能だが、純度にばらつきがある。例えば学院の練習用狩猟器は純度が低いものだ。
グランドギルド時代には鉱山があったが、現在は魔の森に埋もれ採掘など不可能だし、鉱石が採掘できても精錬できるかは心もとない。昔のものを鋳直しているうちに純度が下がる。
魔力測定器のリングは金級。存在そのものが銀よりもずっと希少。使えなくなった王家の宝を使ったくらいだ。加工には手間がかかる。そして、結界器の土台の六角形が白金級になる。
ちなみに、白金級の加工技術は失われている。例によってグランドギルドが独占していたらしい。その鉱山は世界に一箇所だけ、それを巡って反乱が起こったという話が伝わっているが、場所は不明だ。
それはともかく、螺旋針の結晶という形態は、鉱石を精製したまっさらな魔導金属の形状らしい。つまり、高純度で加工しやすい。なるほど、サリアの反応の意味がわかった。
「具体的にはこの形状だとエーテルに溶ける。その溶液を使って加工ができる、という話が伝わっているようだ」
狩猟器の魔導金属が塗った魔力触媒のエーテルで溶けたなんて話は聞いたことがないから、普通の状態の魔導金属は強いということだ。素子論から考えて、魔力触媒の魔導金属は単独素子の形で存在しているのかもしれないな……。
例えば四角い素子(□)と三角の素子(△)を組み合わせて五角形(△□)の素子が生まれる時、四角い素子側が□□□……という感じで密接につながっていると、組み合わせるのが難しい。積み上げられた煉瓦を引き抜いて別の煉瓦と組み合わせるのが難しいのと同じだ。
「なるほど。魔力触媒の研究をしていたら期せずして魔導金属の遺失技術に絡んだというわけか」
「そういうことだ。つまり、これが大量に取れるというのならかなり重大な問題になる」
「問題って……。あ、いや、無理だと思う」
俺は首を振った。前回と合わせて精密に重さを測った結果、触媒から取れる魔導金属は重量比で良くて数パーセントだ。それも、触媒から失われた量であり、あのやり方で結晶として得られるのは、その更に十分の一以下だ。
「現在の試算だと中級魔獣を一匹使ったとして……これくらいだ」
俺は天秤の横に並んだ重りの一つを指差した。小指の先ほどもない分銅だ。しかも、この魔導金属はその性質上曇った魔力触媒からは抜けている。つまり、劇的に増える要素もない。
「なるほど。当面は問題ないな」
「問題だらけなんだが……。錬金術にとっては実験のサンプルが少ないってことだから」
「これ以上問題を増やされてはかなわん」
そう言ってサリアはくすりと笑った。
「次はどうする? 黒い触媒か?」
「もう一段階挟もうと思っている。曇った触媒に魔導金属を加えてもとに戻せるかを確かめておきたいんだ。つまり、これまでの逆反応だな」
これをやって初めて魔導金属と触媒の関係が証明できる。ここまでは仮説どおりとはいえ、不確定要素は多い。貴重な黒い魔力触媒を使う前に、できることは確かめておきたい。それに、これができれば色々と分析の仕方が考えられるのだ。
「可能なのか?」
「今言ったように、魔導金属の量の問題があるから工夫がいる。出来たら報告――」
「私も見学していこう」
……
サリアの視線が気になるのか、シフィーは緊張している。彼女の手中には、曇った魔力触媒に抽出した魔導金属を混ぜた試験管がある。ちなみにエーテルに溶かした状態だ。エーテル中に魔導金属素子が単独の形で浮いているなら、それのほうが反応が起こりやすいはずだ。
シフィーの手中でわずかに青い光が生じた。だが、触媒の色は変わらない。
「曇ったままだな」
「いや、まだわからない。クロマトグラフィーで分析する」
「その方法は魔導金属を捉えられないのではないか?」
「ああ、だけど今回の場合は大丈夫だ……」
俺は一見何も変わらなかった魔導金属添加の曇った魔力触媒をクロマトグラフィーにかける。隣に、魔導金属を加えずにただ曇らせただけの触媒を流す。この両者を比較するわけだ。
「……よし、なんとか見えたな」
魔導金属と曇らせた魔力触媒を混ぜ魔力を浴びせたサンプルと、曇った魔力触媒に魔力を浴びせたサンプルを並べてクロマトグラフィーにかけた。両者とも一見曇ったバンドだけだ。だが、魔導金属を混ぜた方には極細の青いバンドが見える。
サンプルを半分に切ってシフィーに渡す。見えるか見えないかの青いバンドは、彼女の手により再び曇った。触媒として機能を回復したことも確認できた。
「これで証明完了だな。効率はあまり良くないけど、色の成分と魔導金属を合わせて魔力触媒に戻ったってことだ。魔力触媒は触媒ごとに違う『色素』と魔導金属からなる」
クロマトグラフィーのいいところは、極微量の成分も分離して見ることができることだ。魔導金属自体はわからなくても、魔力触媒に戻れば解るわけだ。
「なるほど。この技術がなければとてもわからんな。これを敵が知っている可能性はあるか?」
「分からないが、これは旧時代の知識だからな」
「なるほど。普通の騎士なら軽視するものだな。……次はいよいよ黒の触媒か」
「ああ。結界破綻の原因究明が本来の目的だからな。実は、今の実験で一つ思い浮かんだことはある。ただ、まずは黒の触媒からも魔導金属が取れることの確認だな。曇りとの関係から、黒の触媒も同じ構造になっている可能性は高い」
とはいえ、今日はここまでだ。魔力昇華の効率はだいぶ上がったが、上手く昇華させるためには慎重に魔力をコントロールしなければならないようなのだ。
……
「どうした毒なんて入っていないぞ」
俺はカップを前に躊躇するサリアに言った。
「別に心配してないが。この湯はあれで沸かしていたではないか」
「……いや、あれはまだ一度も使ってないやつだから」
沸騰するフラスコを疑わしげに見るサリアに言った。確かにあまり美味しそうに見えないよな。
「とにかく助かったよ。おかげでだいぶスムーズに行った」
「別に大したことはしていない。お前に協力するのはあくまでリーディア様とリューゼリオンの為だ。まあ、こちらの方のお目付け役は必要ないみたいだしな」
「こちらの方の?」
「とにかく、この結果をちゃんと団長にも報告することだ。後、リーディア様のことに関しては警戒は緩めないからそのつもりでいることだ」
サリアはそう言って、またくるというと立ち上がった。そしてお茶のカップを一息に煽る。
「次はちゃんとした茶器ぐらい揃えておけ。リーディア様にこんなものは飲ませられんからな。実は忙しくてここに来れないことにかなり……」
「上の会議室にはまともなカップもあるから、それで対応するよ」