#2話 魔力昇華
護民騎士団本部の一階奥にある部屋。ドアには素材管理室と書かれている。まるで入り口から隠されるように存在する錬金術工房だ。
「じゃあ始めよう」
「はい。先生」
俺が言うと、学院の白い制服の上に真新しいエプロンを付けたシフィーが答えた。これから料理でもしようかという雰囲気だ。実際、火と水そして様々な容器に恵まれたここなら可能だろう。
もちろん、これから始めるのは実験だ。錬金術で言えば昇華と呼ばれる実験手法を試そうとしている。
「目的を確認する。俺たちはこれから魔力触媒からこの成分を単離することを目指す」
俺は先日の会議で示した図をシフィーに見せた。とはいえ、この発見は偶然とはいえ彼女のおかげなので、すでに概略は説明済みだ。実験結果を駄目にしてしまったと落ち込むシフィーを慰めようとした時に気がついたのだ。
「ただし、現時点ではそれが何なのかは不明だ。というわけで時間はかかるかもしれないけど……」
「大丈夫です。見つかるまでお手伝いします。寮には見習い団員としての活動ということになってますから」
両手をにぎにぎしてやる気を見せるシフィー。頼もしい助手だ。寮の管理者もまさか錬金術見習いをしているとは思わないだろうな。もちろん、ちゃんと門限までには帰すつもりだ。
染料工房で泊りがけの実験の事を話した時、リーディアには女の子に対して配慮が足りないと言われたからな。
そんなことを思いながら、準備を始める。
分析すべきサンプルは真っ青な粉末だ。先日リーディアとカインが倒した大蛇の血液から精製した青の魔力触媒だ。錬金術の手法で精製して上級相当の魔力伝達効率を誇る。ただ、今回の実験において重要なのは、その過程で不純物が除かれていることだ。更に、エーテルを飛ばすことで粉末に戻している。
最終目標は黒の触媒の分析なのだが、あれはあまりに貴重だ。試行錯誤に耐えられる量はない。白系統と黒系統の魔力触媒に共通点があることがわかっているので、まずは大量に用意できる白系統の魔力触媒を使って条件を色々試すという方針だ。
「私はこれを魔力で曇らせればいいんですよね」
青い粉末を耳かきのような小さな匙で取ると二本の試験管に入れた。そして、天秤でその二本の重さが同じであることを確認する。そして、一本をシフィーに渡した。ちなみにこの二本の試験管は重さが一番近い組を選んである。それは、これからの作業にとって重要だからだ。
「うん。第一段階として曇ることで、目的の素子が分離したかを確認したい」
触媒の曇りにエーテルは関係ない。例えば、紙に書いた魔力触媒が魔力で曇る時、エーテルは飛んでしまっている。逆に言えばエーテルはこの実験の不純物だ。だから今回は昇華という固体粉末を扱う手法を選んだ。
錬金術の昇華は蒸留と同じで熱を使うが、今回は代わりに魔力を使う。そういう意味では全く新しい実験とも言える。
試験管を包み込むように両手を構えるシフィー。粉末の鮮やかな青色はすぐに曇っていく。
俺はシフィーから曇った触媒の入った試験管を受け取った、そして天秤に戻した。ゆらゆらと左右に揺れる天秤を少し緊張しながら見る。曇った方が少し上に傾いた状態で止まった。ほんの僅かな差だが間違いない、魔力を当てる前は完全に釣り合っていたのだ。
これで、魔力を浴びせることで、魔力触媒からターゲットである何かが分離したことが確認された。仮説で考えた一番単純なパターンだ。となれば、次は分離した何かを集めればいい。
「ええっと、魔力の量は大丈夫? これからは量が増えるかもしれないけど」
「大丈夫です。先生のお手伝いが私の仕事ですから」
普通の騎士の常識なら地味な作業のはずだが、シフィーはやる気満々だ。ありがたい話だが、注意していないと。無理させないよう俺が気をつけないとこの子は無理をしそうだからな。じっと見つめると、シフィーの頬が赤らんだ。血色は良さそうだ。
「本番を開始しよう」
俺は試験管よりも大きなガラス容器、ビーカーに青い魔力触媒を入れる。次に、ビーカーの上にフラスコを乗せた。
「今と同じようにして下の触媒を曇らせてほしい。なるべく上のフラスコに魔力が当たらないようにしたいから、横から水平に魔力を当てる感じで」
「わかりました」
シフィーはビーカーを両手で挟むようにして魔力を込める。ビーカーの粉末が青白い光を発した。中の触媒が曇ったことを確認してから上のフラスコを取り外した。見る限り表面は綺麗なままだ。丸いガラスのお尻を触る。つるつるのままだ。やっぱりそう簡単には行かないか。
「上手くできてないですか?」
シフィーが心配そうに言う。
「そんなことはないぞ。というか、俺も何が正しいか分かってるわけじゃないんだ。上手く行かなかったらまず俺の考えが足りないと思ってくれればいい」
シフィーと違って俺にできるのは考えることだけだ。大昔の『テキスト』を思い出す。
錬金術の場合、昇華は熱で揮発させた成分を上で再結晶させる。つまり、下から加熱して上では熱を取るために冷やす。今回の場合、熱は掛けていないので除くべきは魔力ということになる。俺はフラスコにエーテルに溶かした青の魔力触媒を注いだ。
シフィーが同じことをすると、ビーカーの青い粉末が曇っていく、しばらくして上のフラスコの青い液体もわずかに光を発し、くすんだ色に代わっていく。シフィーがビクッと手を離した。
「大丈夫。そのまま続けてみて」
俺はフラスコの下が僅かに曇るのを見ながら言った。
下のビーカーの粉末が全て曇った。フラスコを持ち上げると、表面が微かに白っぽく見える。触ってみると、微かなざらつきの感覚がある。白い紙を用意して、慎重に匙でこそぎ落とす。白色の粉末が取れた。わずかに光沢があるな。
虫眼鏡を取り出し、粉末を観察する。針状の結晶に見える。よく見ると螺旋のような筋がある。光沢はその螺旋の筋に沿っているように見える。そこだけ見ると、銀貨を擦った時のようだ。テキストのいろいろな結晶の形を思い出すが、似たものが見つからない。
結晶化というのは同じ素子が並んだものだ。例えば四角の煉瓦と三角の煉瓦では積み上げた時に形が違うように、その素子の性質によって特徴が現れる。つまり、こういう風に規則的な形状をしているということは、純度が高いということだ……。
「……色からすると銀に近いけど、ちょっと違うよな。シフィーは何か見覚えがあったりしないか?」
シフィーが俺の横に来る。俺たちは顔を突き合わせるように、銀色の粉末を見る。
「ええっと、形はわからないですけど。でも、このキラキラの感じは――」
「その魔導金属はどこから出てきたのだ?」
戸惑うような声が背後から聞こえてきた。額をくっつける様に接近していた俺達は慌てて離れた。黒髪を後ろで結んだ元義妹がいつの間にか後ろにいた。
「魔導金属?」
「知らずにどうやって。光沢からかなり高等級に見えるぞ。それに、この形状は……」
俺が渡した虫眼鏡を覗き込みながら、サリアの眉が寄った。
「いや、どうやってと言われましても……」
俺は銀色の粉末をどうやって得たのかを説明する。意図して作ったわけじゃないことを強調する。シフィーといいサリアといい、俺が全てわかった上でやってる様に誤解するのは困ったものだ。
「魔力触媒から魔導金属が取れた、だと……」
サリアは余計に難しい顔で考え込む。そして、しばらくして顔を上げた。
「王宮の魔導鍛冶に聞いてみよう。これを持っていって構わないか?」
「え、ええ。頼みます。」
魔導金属なら魔導鍛冶が専門だ。これまでもリングなど魔導金属の加工は彼女を通じていたし、その方がいいだろう。普通の触媒だって本来は貴重なものなのだ。
「丁度いいから、今日はここまでにしておこう」
サンプルを持ってサリアが去った後、俺はシフィーに言った。
「はい……」
「どうした?」
「いいえ、サリア先輩なんだか先生に対して柔らかくなったみたいな気がして……」
「そうか?」
まあ、前なら有無を言わせずサンプルを持っていった気もするが、相変わらず俺のやることに警戒していると思うが……。
とにかく、触媒の中に魔導金属らしきものを確認したことは大収穫だ。確認できれば『曇』とは魔力触媒から魔導金属が失われること、そう定義できる。
ただ、赤と緑に対しても同じことが起こるかは確認しないといけない。次はそこらへんからだな。俺はシフィーに次の実験の予定を説明した。