#エピローグ 護民騎士団本部
水のせせらぎが心地よい。季節はいつの間にか春だ。
午後、俺達は都市の上下を分ける運河の平民側、市場の横にある地上二階建ての建物の前にいた。真新しい王家の紋章が不似合いな無骨な石造りの建物、茶色の建物に囲まれると白く見えるがよく見ると灰色じゃないかという絶妙な色合いだ。新設された護民騎士団の本部である。
ちょっと前までリーディアには業務内容を説明できない宿泊施設が建っていた場所だ。お役人様の権力により、宿は市場の向こう側に移転していった。騎士から見たらさぞかし馬鹿にされる立地だろう。
だが、採取労役を保護する騎士団の役割としても、その結果から得た収入で独立採算をするという意味でも、潜在的な敵であるデュースターに対して情報を隠しながら、内外の情報を集めるにも適している。
もちろん、錬金術という意味でも最適だ。
とはいえ、発足と言ってもまだ仮のものだ。これまで採取労役の保護を輪番で務めていた平民出身騎士の管理をするところから始まる。つい先日、騎士叙任と同時に任命された団長のカインいわく「団長職に就いた条件や、本部の立地のおかげで人選はだいぶ楽になりましたよ」ということだ。
というわけで、今日ここに入るのは表向きの役割とはちょっと違うメンバーばかりだ。
「城から遠いのは難点よね。まあ、私は名誉団長だしいつでもここには来ることはできるけれど」
そう呟いているのは三年生になったばかりのリーディアだ。名誉団長がそうたびたび顔を出しては駄目なんだが……。
「先生のお手伝い頑張らないといけません」
両拳を握っているのは二年生になったばかりのシフィーだ。
「あなたはまだ学生だし。正式な団員というわけではないのだから。あまり無理をして授業に支障をきたしたら良くないでしょう」
「私は見習い団員です。卒業後はここに所属することになるって言ったら、みんな納得してくれたみたいです。ヴェルヴェットさんにも色々と配慮してもらえますし」
シフィーが言っているのは、落ちこぼれが将来まともな騎士になることを諦めたと思われ、周囲が生暖かく見守ってる状況だ。だが、本人はむしろ誇らしげだ。
「そ、そうなの……。上手く出来てるものね」
リーディアが俺に厳しい目を向けた。
「リーディア様こそご公務と学年代表でお忙しいのでは?」
「私は名誉団長だもの。責任があるのだからいいのよ」
白い制服の少女二人が互いを思いやる光景は春の光の下、実に美しい……はずだ。
「内憂外患ですね」
白い制服の二人を見て、茶色の服のレイラが他人事のように言った。いや、それに対応するための組織だぞ。まずは内憂だけど。そのための注文をこの前したばかりじゃないか。
それを確認するのも、今日の大事な目的だ。実を言えば、中身に関してはかなりワクワクしているのだ。
「さて、レキウス様。まずは工房を見てもらいましょう。そろえるには苦労しましたから」
レイラはそういって俺の腕をとった。
「ちょっと」
「せ、先生……」
「川のこちらは商人のテリトリーですから。ご案内は私の役目です。ささ、お客様こちらに。ご指定の子入ってますよ」
ここにあった宿の客引きみたいな真似はやめてくれ。
◇ ◇ ◇
本部の一階は騎士団員の詰め所と事務室だ。そして、その奥に『工房』がある。左右は棚になっていて、真新しいガラスの瓶や壺、多くの白い上質の紙などが並ぶ。壁際には二つの炉。更に、運河に向かって小さな水車も設置されている。まさに錬金術士の秘密工房、これは色々捗りそうだ。
上に昇るハシゴは本部会議室直通。下には地下室への階段だ。いざというときの革製の小舟が折りたたまれておいてある。
ちなみに、名目は護民騎士団が自らの獲物を解体したりするための場所だ。船は獲物を運ぶための予備だ。
「これが腕がよくて口が堅い職人のリストです。お偉い方々の見方はともかく、私らにとっては騎士団様からの発注ということになりますから、詳細について説明も不要です」
レイラが言った。実験器具や材料なども騎士団の名のもとに集めることができる。工房で得られた成果はそういう形で大量生産に持っていけるわけだ。
税金を私的流用しているような怪しい気分になる。そうか、これが監査委員のお世話になる文官の感覚……。
「レキウス様。なにか悪い顔をしていますよ」
「あっ、いやちょっとな。ええっと、これが……」
「はい。ご注文の品です」
部屋の中心には待望の装置が置かれていた。
上下に分離した二つのガラスの器具。下が円筒形のビーカーで上がお尻の丸いフラスコ。上のフラスコの周りにはガラスの管が取り囲んでいる。錬金術で言えば、昇華という実験のための装置だ。
「これ何に使うの?」
俺とレイラの会話にリーディアが割り込んできた。興味深げに周囲を見回していたシフィーもトコトコとこちらに来る。
「これは、新しい実験のための器具です。そろそろ、結界に干渉した方法について突き止めないといけないですからね」
次の実験は魔力触媒のより詳細な分析だ。実は、これに関しては偶然ながらシフィーが重要な役割を果たした。
黒猿の血液から得た魔力触媒らしき橙紫黄の三色のバンド。クロマトグラフィーで分離した紙を、シフィーが俺に渡そうとした時、彼女の指に残った魔力によりその三色が曇ったのだ。
その結果俺は魔力触媒に関する新たなる仮説を思いついたわけだ……。
「私もしっかりお手伝いします」
シフィーが言った。その気になれば白や透明も含めて全ての魔力を扱える彼女はとんでもない戦力だ。実験に関する限り、その出力の小ささも問題にならない。
「ねえ、レキウス私はなにをすればいいの」
「リーディア様は名誉団長らしく構えていていただければ」
「……」
「ええっと、そうですね。得られた成果はまず優秀な騎士であるリーディア様に試していただかなければいけませんね」
「そう。わかったわ」
リーディアがほっとしたような顔になった。後ろでレイラが「内憂外患ですね」ともう一度呟いた。
……
工房の確認が終わったので、俺たちは建物から出た。今後のことは新団長を迎えた後に話し合っていかなければならない。
「そういえばカイン、新団長殿は今日は来れないんだな」
「ええ、今日はちょうどお父様とお食事になったから」
確かカインも急に日程が決まったと言っていた。王家肝いりの新組織の初代団長を激励する意味だろう。結構なことである。だが、それならどうしてリーディアはここにいるのだろう? 普通は同席するのが王女の役目。ましてや彼女は名誉団長なのだから。
俺は離れた都市の中心、高いところにある本宮の二階を見た。
2020/01/15:
明日閑話を一つ投稿して第三章は完了となります。
第四章についてはその時にお知らせします。