#10話 商人娘の見方
「それで、うちは後回しというわけですか」
多彩な色が浮いたエプロンの前で腕を組むのは、同い年の栗毛の女性。その声はいつもよりもだいぶ低かった。これはかなり不味いかもしれない。彼女との普段の会話ならとっくに利益について話が始まっている。そういう意味で話が分かる相手だったのだ。
「レイラだけが頼りなんだ。引き受けてくれないと発足前に潰れかねない」
俺はとにかく彼女の重要性を強調した。
「そんな重要な人間に事後承諾ですか? まあ、高貴な王女様や立派な騎士様、それにお偉いお役人様と違ってしがない平民ですから、仕方ないですけど」
プイとそっぽを向かれた。まずいな、これじゃ次の実験のための新しい注文どころじゃない。俺は手に握っていた注文書を懐にしまい、代わりに護民騎士団の仕様書を引き出した。
「い、今からちゃんと説明するから」
俺は額に汗をかきながら必死に紙をめくる。
……
「……という感じの組織なんだ。ほら、採取の活発化は商人や職人にとっても利益だろ。それに、例の特別な“染料”の大口顧客になる。それも支払いは、少なくとも一年間はだが、文官長の方からでる。取りっぱぐれなしだ」
王に説明したのと同じ内容を告げる。王に対するよりも丁寧に説明したかもしれない。そのおかげか、窓の外に向いていた顔が何とか向き直ってくれた。もっとも、視線は険しいままだが。
「お役人様のトップが関わるなら、私なんかいらないでしょうに」
「文官組織は都市全体の数字は分かっても内訳が粗い。第一、時間差も大きいんだ。日々動き続ける市場の動向ともなればお手上げだ。採取産物が増えれば増えるだけ対応できない」
俺は額に汗を浮かべながら言った。
「というわけで、組織としての金の管理運用を頼めるのはレイラしかいないと思うんだ」
どうかご吟味を、と俺は国家機密が盛りだくさんの紙を差し出した。レイラは腕を崩さないまま紙を読む。俺は黙って紙を掲げ、指示通りにページを捲る。
彼女の表情がだんだんと真剣なものになっていく。ついに腕がとかれ、俺から仕様書をひったくるようにして読み始めた。俺はただ彼女の答えを待つ。やがて、レイラは書類を丁寧に揃えて置くと、大きなため息をついた。
「騎士様とお役人様に加えて、商人職人をそろえて採取の平民も管理する……。それで、それに加えて錬金術の染料などを開発して、お金は最終的には独立採算で回すことも視野に……」
「あ、ああ、そうだ。さすが理解が早い。最初の準備金は用意される。その後は、護民騎士団の成果によって増えた最終産物に応じてって感じだ。錬金術は副業的な感じだな。ほら、なんというか商家に近い感じだろ。だからこそレイ――」
「そんな商家ありません。これ、都市の中にある小さな国ですね」
「へっ、都市?」
俺は間抜けな表情をレイラに向けた。さっきまで木っ端役人に向けていた威勢はどこに行ったのか、強気だった瞳が不安に揺れている。
「というよりも、これだけ上から下まで通じてるのはこの都市以上ですかね」
レイラはぶるっと身震いした。
俺は冷静に考える。確かにそうかもしれない。この国の金の流れも物の流れも、そして情報の流れも中心は市場だという話を前に彼女とした。加えて新組織は技術の中心も担う。
いやまて、肝心の結界が無い……。って、結界の保持がこの組織の目的じゃないか。
「いや、でもほら規模が小さいから……」
「順調に大きくなったら。商家的には繁盛したら、業務拡大したらどうですか?」
「…………」
俺はさっきのレイラのように、窓の外に視線を逃がした。護民騎士団がそのまま大きくなって、リューゼリオンの統治システムを置き換える未来が、一瞬だけ見えてしまったのだ。
いや、デュースターを潰すだけならそこまでいかなくても大丈夫だ。だが、仮に将来彼らの背後にいるラウリスを相手にすることになったらどうなる。ラウリスは単独でもリューゼリオンよりはるかに大きいのだ。
「未来のことは予想できないだろ。黒幕に対するときには、リューゼリオンも体制を整え直すだろうし。その時は指揮系統も変わるかもしれない」
半分しか信じてないことを口にした。
「まあそうですけど……。でも、これだけのことに関わってしまったらうちは……」
さっきまで怒っていた彼女の肩が小さく見える。
「一つお聞きしていいですか。お役人様ではなく、錬金術士でもなく、レキウス様個人にです」
「あ、ああ、もちろん。何でも聞いてくれ」
「将来、この組織のことに絡んでトラブルが発生します。それで、リーディア様、シフィーさん、そして私が危険になったら……。レキウス様はまず誰を助けますか?」
トラブルの発生を断言して、レイラは俺を見る。
「そ、それは……。もちろん、そういうことにならないように全力で考えるけど」
「……」
レイラは唇を結んだまま、俺を見る。
「危機の性質次第だけど騎士じゃないレイラの安全は最大限配慮する。というか、レイラに関しては、俺が矢面に立つ。俺が引き込んだ以上、レイラを守る責任からは絶対に逃げない。約束できるのはそこまでだ」
都合のいいことを言ってると思いながら、何とかそう答える。立場が全く違う三人が含まれるのだ、全員を守るのは確かに難題だ。
「もし、リューゼリオンを支配する力が目の前にあって、私を見捨てればそれが手に入るという状況でもですか?」
「いや、さすがにそれは…………。その程度のものとレイラを比べたりはしないぞ」
簡単に答えられる質問になったことにホッとして、俺は即答した。
「……」
「ど、どうした。もしかしてなんかひっかけ問題だったか」
顔を伏せたレイラに俺は焦る。だが、レイラはそのままの姿勢で頬を二回叩くと、顔を上げた。
「うちとしたことが大事な大事なお金の話を忘れていました。さて、この件を引き受けた時我が商会にもたらされる利益について、お話を始めましょうか」
レイラはなぜか顔をそむけたまま言った。俺は大っぴらに魔力触媒を扱えるようになるなどのメリットを並べていく。やっと本業の話になったのに、彼女はどこか上の空だった。
なんにせよ、俺は代わりの利かない貴重な仲間を引き込むことに成功したのだ。全く、彼女のことを後回しにするなんて、確かにどうかしていた。