#9話:中編 勧誘
川から立ち上がった水柱が崩れるのも待たず、キラキラ光る巨大な槍の穂先のようなものが二人の男女を襲った。
「事前にわかってればこの程度」
「驚いたな。直前までなんの気配もなかった」
赤髪の少女と緑髪の青年はタイミングを合わせたように左右に跳び、鱗が煌めく一噛みを躱した。体の側面に櫂のようにひし形の鱗を生やした大蛇は、虚しく開いた顎を地面に打ち付けた。もちろん、魔力で守られた体はその程度の衝撃でダメージを受けない。すぐに鎌首を持ち上げ、左右に別れた小さな獲物を睨む。
三角形の位置関係で三色の魔力が光を放つ。リーディアの剣、カインの長物。そして大蛇の額の魔力結晶。
シフィーが俺の前に立った。俺は後ろで見ているだけ。実に情けない姿だが、これも一つの役割ではある。今回の狩りは新組織のデモンストレーションでもある、俺はいわば採取労役をする平民の役だ。
もちろん、手中の魔力測定器を活用するための実地試験も兼ねている。
状況を確認する。相手は大水蛇という中級魔獣だ。中級魔獣は魔力により支えられる巨大な体の運動能力と、その魔力に守られる防御力が特徴。要するに頑丈で巨大な蛇なわけだが、これは普通の人間が束になっても勝てず、逃げることすら難しいことを意味する。採取の場で出会ったら終わり、大量の犠牲者が確定する。
水の中で極力魔力を使わずに待機していたのだろう。だが、感知器は魔力の存在自体を検知する。おかげで魔獣の客観的な脅威性を事前に知ることができる。逆に、魔力が普通に使われ始めるとノイズになる。
狩人二人はその位置をジリジリと変える。リーディアが前に、カインが後ろに、三角形が歪んでいく。リーディアの赤い光をまとった剣が、大蛇に斬りかかる。魔力の強さに脅威を感じた大蛇がかわそうとしたら、その首の先に緑色の障壁が発生した。赤と緑の光に挟まれるように、青い光が散り、遅れて大蛇の首筋から血液が飛び散った。
青い光を帯びた血は地面に落ちるか落ちないかで光を失う。痛みにのたうつ巨大な長い体、その尾がカインを襲う。カインは己の狩猟器である、斧付きの槍を構える。魔力を通すことで狩猟器は重量にかかわらず扱える。緑の騎士が攻撃的な狩猟器を持つことは珍しい。他者に頼らないカインのスタイルを現しているのだろう。そうでありながら先程の様に補助役を軽々とこなしてしまうのが彼の優秀さだ。
この場には彼に匹敵、いや凌ぐパートナーが居る。カインの攻撃にひるんだ蛇の背後には、すでに剣を構えたリーディアが位置しているのだ。引き絞った弓が放たれるように、彼女の細くて白い足が地面を蹴り、次の瞬間大木のような体が切り倒された。
シフィーが感心するように二人を見ている。あの演習地でもこういった連携が行われていたのだろう。年下の女の子が立派な騎士であり、俺とは違うのだということがはっきりわかる。そして、その隣に並ぶのは同じような……。
何故か手に力が入った。その瞬間、二人が俺の方を向いた。俺がとっさに作り笑いをしようとした時、シフィーが俺の横に移動した。
次の瞬間、茂みが揺れ赤い鋭いくちばしを持った虫型の魔獣がこちらに飛んで来るのが見えた。
ゲートの死角になっていた。単独行動するタイプの蜂、人間よりも小さな体、もちろん単独で狙われたらかなわないが、平民が大勢で木の棒を必死で叩きつければ、追い払うことくらいはできる。
そんな定義上の下級魔獣に、俺の足は震える。
「私にまかせてください」
シフィーが両手を広げた。普通の練習用狩猟器の半分程度の棒を二本。それぞれが赤と緑に光っている。緑色の半透明の盾で赤いくちばしを防ぐと、松明のような先端が赤く光る棒が虫を打つ。思わぬ打撃に弾き飛ばされた魔獣は、そのまま森の奥に逃げていった。
使える魔力の強度は低くとも、複数の色を同時に使えるのはやはりかなりのアドバンテージだ。これで、ふさわしい狩猟器があれば……。
「緑と赤を同時に……」
こちらに応援に来ようとしていたカインが呆然とつぶやいた。
……
俺達は円形に座って今回の成果の確認と評価をしていた。
「川から上がってくる魔獣は採取の警護の課題でしたからね。これの存在は想像以上に有用ですね」
カインの評価は高い。やはり実地で動いている人間は課題がよくわかっている。
「流石に遠くの森ほどの頻度は期待できませんが、積極的に見つけることも可能ですし。さらに、心血だけじゃなく、普通の血も触媒になるとなると……」
そしてカインの視野は広い。生まれたときから最高のものを与えられてきたリーディアと違って、価値の判断が客観的だ。間違っても、大粒のルビーで商人に支払いをしない。
「触媒にできるのは全量の一割以下だ。ただし、錬金術で精製することでランクを一つ上げることができる。まあ、中級魔獣は体も大きいからそういう意味では効率がいい」
レイラの苦労で収率はふえているので将来は更に期待はできる。まあ、その分実験にもバンバン使うつもりだが。
「前回リーディア様と組ませていただいた時は、先輩の馴染みの商人に上級魔獣の血液を届けましたね。アレが、ですか」
カインの目が赤いリングに向かう。
「まあ、そういうことだ。あの場合は現実的に他の入手方法が無かったから収率は度外視できた。逆に普通の狩りには過剰品質だけどな」
「まさか結界用の触媒の原料を運ばされていたとは……」
やられましたとカインは評価を終えた。
「まあ、実際上の課題があるのも色々見えてきたけど」
平民サンプルの俺だが、実際にはこんなメンバーで一人を守るなんて有りえない。普通は一人の下級の騎士が十人以上のばらばらな場所で採取している平民を守るのだ。新組織の目的上、一人あたりの範囲は更に広がる。
騎士院の妨害も考慮しなければならない以上、安全マージンは多めに取らないといけない。いっその事測定器だけを一定間隔で配置するか。採取グループごとに持たせるということも……。いや、それだと触媒はともかく魔導金属が足りなくなる。第一、必ず外に漏れる。
客観的な魔力の感知という意味では測定器は騎士よりも、それも優れた騎士よりも鋭い。だが、今回のように一旦戦闘が始まってしまえば魔力自身がノイズになる。一方、自身が魔力を使っている騎士はおそらく自分で感覚的に補正できる。
あくまで魔獣が散発的にしか出現しないことが前提だ。その前提は偶然、あるいは敵により意図的に崩されることもありうる。
「なるほど。確かにそうですね。運用面での工夫はかなり必要でしょうね。一度でも突破されたら何十人と犠牲が出ますからね」
「そうなんだ。そこらへんも含めてまだまだこれからだ。ただ、結界を狙われていることを考えると時間の余裕もない」
俺は勧誘対象を見る。この組織が表向き守るのは平民だが、真の目的はそれを含めたリューゼリオン全体だ。
「さっきの魔力の基本原理も含めてこれが新組織の持ち札というわけだ。もちろん、組織が動き始めたら測定器の性能も改善していくつもりだ。ただ、それにはどうしても実際の運用が必要になる。そういったことも含めての新しい組織なんだ」
これまでの俺達には欠けていた要素。実行面での指揮、運用は団長の能力に決定的に依存するのだ。
「……魔力測定器の力は十分わかりました。現時点で、これだけでかなり大きな力です。ただ……」
カインは顎に手を当てて考える。
「騎士の運用という点で見た時には一つ問題があります。警護が順調に行けばいくだけ団員が魔獣を狩るチャンスが減ります。魔力触媒はともかく魔力結晶は厳しくなりますね。魔力結晶はある意味命綱ですから」
演習地でマーキス嬢が沢山の魔力結晶を使ってボス猿をしのいでいたことを思い出す。
「もっとも、先輩のことですからなにか策があるのかな?」
「それは勘ぐりすぎだ。残念ながら魔力結晶は現状まだ手がついてなくてな。今後の研究に期待してくれとしか言えない」
「まだ、ですね」
カインがリーディアを見た。リーディアは当たり前のようにうなずいた。いや、簡単に請け負われちゃ困る。錬金術で結晶を扱うのは、液体ほど簡単じゃないんだ。
「もう一つですが、狩りの経験それ自体の不足ですね。団員の能力向上はもちろん、士気にもかかわります」
「確かに、錬金術じゃどうにもならないな。待てよ、採取労役の警護が軌道に乗ったら、遺跡の発掘の事前調査なんかも任務に入れることが想定されている。これで何とかならないか?」
ちなみに、文官長の提案だ。ガラスなど物資の不足はレイラから聞いていた。遺跡の発掘でガラスや金属という物資を運ぶのは平民の労役と強弁できる。もともとは、護民騎士団が情報収集に動ける範囲を広げるための言い訳だが。
「なるほど。ボクとしては組織単位の演習なんかを想定していましたが、それだと警護がおろそかになります。発掘の警護なら労役者の方が付いてくるわけですから、やりやすくはある」
「なるほど。そうだな」
こちらに質問しながら、自身の中には腹案があり、こちらが答えるとそれと比べて評価がされる。まったく、こいつは本当に学生なのか?
俺たちの会話を聞いているリーディアとシフィーも目を白黒させている。
「それで。どうだ、引き受けてくれるか?」
俺が問う。カインは再びじっと考える。