#9話:前半 勧誘
ねじれた大木と厚い下生えが両側から迫る。城門から少し離れただけなのに、すでに森は深い。茂みの向こうから今にも魔獣が飛び出てきそうだ。臆病な文官には酷な場所である。
とはいえ、足元は人により踏み固められた道であり、荷車の車輪のあともある。人の行き来があることがわかる。
「あそこにメルベリーが生えています。そっちの木は上に乳椰子の実が見えますね、まだ熟してないですけど……」
横を歩く白い髪の毛の少女が周りを指差して説明してくれる。ここは平民の採取労役が行われている領域なのだ。
「シフィーは採取に出たことがあるんだね」
「はい。上に連れてこられる前の少しだけですけど。孤児院の子ができることはあまりないので……」
親のいない子どもたちに可能な生業という意味では、確かにこれくらいしかないだろうな。だが……。
「私が知ってる人だけで、何人も魔獣に襲われてます」
そう言って暗い顔になるシフィーだが、すぐに顔を上げる。
「でも大丈夫です。先生は私が守りますから」
「準騎士でもない一年生を危険に晒したりはしないから心配しないでいいわ」
先頭を歩く赤毛の少女が言った。まあ、この近辺に出る魔獣なんてすでにリューゼリオン有数の実力者である彼女にはとるに足らないだろう。というか、そうでなければ採取なんて成り立たない。
「先輩のお誘いなので乗りましたけど、いささか複雑な状況ですね」
困惑の表情で俺に聞くのはシフィーとは反対を歩く緑髪の青年。つまり、俺は今前を二年学年代表に、左を四年学年副代表に守られているわけだ。
「カインは守る必要がないからな……」
引きつりそうな表情をなんとか固めて、俺は後輩に言った。「そういうことじゃないんですけど」とカインはリーディアとシフィーを見てつぶやく。この状況は二日前、俺がカインを新組織のリーダーとして勧誘したことに始まる。
◇ ◇ ◇
「王家の肝いりで設立される新組織のリーダー、それをボクにですか?」
一介の文官が持ってきた話に、今期卒業生総代は左右を見て声を潜めた。多くの学生が行き交う学院の廊下、彼がこれまで以上に注目されていることは感じ取れる。平民出身者だけでなく歴代の騎士の家の学生にもだ。特に後者の視線は好意的ではない。
これまでも少なからずあったのだろうが、表面化している。おかげでいつも慎重な後輩がいつも以上に警戒している。
まあ、この話はどれだけ警戒しても警戒しすぎることはないんだけど。
「表向きはそういう話になる。だが実は裏がある」
「先輩の話に裏がないわけはないのでそれはいいんですけど……。どの裏でしょうか?」
「そんないくつも裏があったら、表がない人間みたいじゃないか。まあいい、まずはこの組織の目的だが」
「裏のですか、表のですか?」
「いきなり裏から始めるわけ無いだろう」
俺は平民の採取労役を警護するという組織の目的を告げる。
「採取の警備体制を強化することは賛成です。ですが……、その組織のメンバーは普通の騎士からは一段も二段も下に見られるでしょう。それが狙いの一つだということはわかりますが……」
「ああ、それどころか積極的にそうなるように話を持っていくつもりだ。例えばその組織のリーダーは将来……の資格を失うって感じだな」
「それは厳しいですね。ボクの将来の目的が達成できなくなります。まあ、現状を改善する役に立つといえば立ちますが。……命令の出どころから考えて断れる話ではないでしょうが、望ましくありません」
カインは周囲の昏い視線に肩をすくめた。王家の肝いりとか、頼りになる先輩? の頼みとか、そういう要素を排して冷静に判断するとても頼もしい後輩だ。
リューゼリオンの危機的状況を考えるに、無駄遣いできる人材じゃない。俺はニヤリと笑った。
「もちろん先輩のことですからデメリットを打ち消せるだけの何かがあるんだと思いますけど……」
「もちろんだ。ただ、それに関しては口じゃなくて直接見てもらうのが一番でな。ちょっと外まで付き合って欲しいんだ」
◇ ◇ ◇
「本題に戻りましょう。先輩の秘密の力ですが、まずはその不思議な魔術器ですね。見たことがないものですね」
演習場に駆けつけたときも持ってたんだけど、カインは防衛戦で大変だったし、俺はすぐにシフィーを探しに森に入ったからな。
「赤と青と緑の魔力触媒……かなりいいものですよね。というかボクには見たことないレベルの純度みたいですけど」
「ちなみに地下の結界器に使われているものと同程度だ。付け加えるとリングを作ってる魔導金属は王家の宝物庫にあったグランドギルド時代の物を潰して用意した」
「……まだ始まったばかりだから驚かないことにします」
「いや、それくらいの品質がないと探知機として役に立たないんだよ」
「更に気になるのは見たことがない他の色が三つもあることですね。その黄色のは緑の魔力がおかしな引っかかり方をしますし。魔力触媒ですか?」
カインは俺の言い訳を涼しい目で流して、続きを促した。
「ひと目でそれだけ分かるのはさすがだな。これはかなりの秘密だぞ。実は、この三色はあの黒い魔獣の血液から取り出したんだ」
「……驚愕の事実ですね」
「まったくだ。俺たちもびっくりしたよ。ちなみに、この黒側の三色は白側の三色と対応する。いまカインが見抜いたように緑は黄色と、といった具合だ」
「次は聞いたことがない話ですね。いえ、半分くらいは先輩がこだわる魔術基礎の延長なのかな……」
「勘がいいな。さすが魔術基礎でも優秀だっただけのことはある」
「おかげさまで。でもあまり褒めないでもらえますか、今の先輩の顔ちょっと怖いので」
失礼な。人を錬金術師みたいに言うな。
「……ちなみにこの六色と、そして結界の白の魔力、更にあの黒い魔獣の魔力の関係はこうなっている。魔力の色というのは回転方向とつながっていてだな……」
俺は例の模式図をカインに見せて説明した。
「それがリーディア様たちが黒猿に対処できた理由ですか……」
「ちなみに、結界破綻を防ぐために用意した赤の超級触媒は、上級魔獣の血を職人の技術で精製して作った。その時協力してくれたのがシフィーだ。で、そういった超高純度の触媒があれば、魔力をその成分ごとに感知することができてな。形とか色々工夫したんだが、結果として……」
俺は回転を始めたリングを見て方向を決める。そして、首をかしげる後輩に告げる。
「前方の川の中に青の中級相当の魔獣が潜んでいることがわかる」
「了解したわ」
リーディアが赤い剣を抜いた。
「悪いけど、カインも前に出てくれ」
「……わかりました」
カインは半信半疑の表情でリーディアの隣に立った。次の瞬間、川から水柱が上がった。
2019年12月31日:
2019年最後の投稿になりました。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
新年の投稿は1月3日からの予定です。
2020年も『狩猟騎士の右筆』をよろしくお願いします。
それではよいお年を。