#7話 先祖返りの経済政策
静かな地下室に擦音が響く。先程までいたかしましい空間と違って、本来の仕事場は沈思黙考に向いている。とはいえ、それで取り組む問題の難易度が下がるわけではないのだが。
曲面黒板で考えているのはサリアから突きつけられた宿題、新組織の構想だ。まず決めなければならないことは……。
『何を目的とした組織で、そのために満たすべき要件は何か』
目的は『リューゼリオンの結界を狙う敵に対抗』することだ。リューゼリオンの全員の命がかかっているのだから、これは明白だ。
『敵』の定義もだいたい固まっている。ラウリスが派遣したと想定される旧ダルムオンで活動している謎の騎士の一団。そして、それに通じている騎士院のデュースター家だ。
まず外の敵、謎の騎士達だ。現在の魔術を超える黒い魔力を用いて結界に干渉し、学院の演習を妨害した。いわば主犯、敵の本体だ。対抗するには魔力や魔術についてこれまで以上に研究を進めなければならない。
内の敵はデュースター家。結界破綻を企んだ実行犯と思われる。ただ、俺の見る限りデュースターの行動は黒い魔力を知るものではない。ラウリスに利用されているだけの可能性はある。もちろん、それはデュースターにはデュースターの目的があるという意味でもある。
まっとうに考えれば本体であるラウリスを潰してしまえば、手先に過ぎないデュースターはおとなしくなる。だが、都市連合としての強大さはもちろん、遠く離れていて直接手を出せる相手ではない。情報も少ない。
というわけでまず対処すべきはデュースターだ。手先を潰せばラウリスからの距離は、向こうの次の手までの時間稼ぎという意味で、こちらの有利になる。
だが、デュースターを潰そうとしたら騎士院との軋轢は必至、王家対騎士院の形にされるだろう。最悪内乱になる。結界破綻に関与した動かぬ証拠を掴んで、誰もが納得する形で断罪しなければならない。さらに、それに成功しても次の問題が生じる。リューゼリオンの食料供給量だ。
食料が足りなくなったら、食料交易を使ってリューゼリオンを従わせることができる。ラウリスは食料交易が盛んなのだから、お手の物だろう。
つまり、これから作る新組織は最低でも二つの要件を満たす必要がある。一つ目は、結界への将来の攻撃を防ぎ、過去の攻撃の証拠を掴むためグランドギルド時代の魔術の研究を進めること。二つ目は、デュースターを排除しても食料を確保できるようにすること。
……チョークを投げ出して、文書保管庫の書類の順番を揃えるという本来の仕事に戻りたくなる。
実現可能性を無視、最低限の要件ですらこれだ。なぜ最底辺の文官がこんな事を考えているのか、まずその疑問を解きたいところだ。
「って、現実逃避してる場合じゃない」
チョークを握り直す。次に考えるのは設立する上での障害だ。これは一にも二にも騎士院との軋轢だ。新組織は王家の肝いりで設立される形になるだろう。騎士院に対抗して王家を強化するために見える。厄介なことに半分くらいは正解だ。新組織はデュースターを潰すその瞬間まで力を隠さなければならない。
やらなければならないことが困難極まりないのに、それを最小限の、とるに足らないと思われる戦力でやらなければいけない。
チョークがギザギザの線を黒板に刻む。
「……ええっと、こちらの強みはなんだ?」
気持ちを立て直そうと反対方向から考える。俺達にあるのは錬金術により新たに得られた魔力と魔術に関する知識だ。高品質の触媒を供給でき、魔力検出器は森の中でも役に立つことがわかっている。決して小さな力ではない。
だが、まだ戦力化というのには遠い。というか、戦力化するために組織が必要なのだ。そして、この力を表に出せば優位性の大半は失われる。騎士院は技術を公開しろと言うだろうし、それを通じて外の敵にまで漏れる。
何故かチョークが折れた。
「だいたい騎士の力が強すぎる。旧時代の騎士は平民が食料を作らないと生きていけなかったのに」
旧時代の騎士団は、少なくとも建前上は平民を守るために存在した。食料生産を平民の農業に依存していたからだ。あのまずい麦が主要な食料と言うのは閉口するが。旧騎士も狩りをしていたようだが、それは軍事訓練の一環で、遊びのようなものだった。
そうだな、無理やり比較すれば、現在の平民の採取労役が旧時代の主な食料供給源だったわけだ。いや、現在でもそれは食料供給という意味で決して小さくはない。前回外円でそれを確認したじゃないか。
「……」
リーディアと街に出たときのことを思い出す。彼女は粗末な食事に閉口しながらなんと言った? 平民にとって採取により得られる食料の割合は大きいのだ。そして、リューゼリオンの人口の多くは平民だ。つまり、採取労役で今よりも多くの食料が得られれば絶対量は足りる。
「いや、だから有力騎士が強力な魔獣を排除しないと採取もできないんだって……」
いや、必ずしもそうか?
次に思い出されたのはカインの言葉だ。彼ら平民出身者は採取を守護する役割を負わされている。
なぜ採取の守備が平民上がりに押し付けられるか。それは、騎士としての力が低くてもできるというのはあるが、損な役割だからだ。狩りは騎士の力の証、誇りであり、実績だ。王宮の広間で開かれる夜の宴会は獲物の自慢大会だ。
採取の警護をしても魔獣はほとんど狩れない。魔獣が狩れなければ、魔力結晶や魔力触媒という次の狩りのための必需品も得られない。カインが言ったハンデはそういうことだ。
そう、まるで平民のお守りのようなその仕事は、現在の騎士の常識から言えば誇りのかけらもない。だが、旧時代なら騎士の本来の仕事といえる。
「採取を守る騎士は魔獣を倒す必要はない。万が一の時、平民が都市に逃げ込めるだけの時間を稼いだり、魔獣の接近を警戒できればいいんだよな」
ある組織の形が浮かんだ。まるで先祖返りだ。新組織の参加者にとっては抵抗がある形だ。だが、それはこの組織にとっては利点にもなりうる。
騎士院との軋轢が少ないことを意味するからだ。彼らにとっては文字通り取るに足らない存在と認識させることができる。
活動場所が都市に近いことも、相手とする魔獣が弱いことも、錬金術の実用化訓練という意味では悪くない。生産体制と効率化を揃えれば、下級魔獣の血液から中級相当の触媒は取れる。
なにより、最大の障害が片付く可能性がある。
「まず数値を確認しよう」
俺は地下室を出て書類が大量に並ぶ棚に向かった。いつも調べている狩猟記録ではなく、徴税記録のほうだ。毎年どれだけの人間が採取労役に回されるか。それによって得られる食料の量は……。
俺は大量の書類を棚から下ろし、計算を始める。まずは去年の分だけでも……。
…………
朝になった。俺は徹夜で調べた一年分の数値を見る。整理した資料を手にアメリアを探す。より長い期間における妥当性と、政策として実行する上での現実性を確認してもらわなければならない。何しろ、この組織ができたら、リューゼリオン全体の経済活動に影響する。