#6話 シフィーの決意
カインと話した翌日、俺は学院の廊下を急いでいた。演習で大怪我を負った一年生が学院に復帰したのだ。廊下を早足で進む俺の耳に一年生たちの会話が聞こえる。
「……さんじゃなくてあの役立たずが助かるなんて皮肉ね」「勝手に森の奥に入って迷ったらしいわよ」「今頃またリーディア様に叱られてるわよ」聞こえてくる陰口に思わず拳に力が入る。
平静を装って階段に向かう。今の話ならシフィーはリーディアの部屋だ。
ノックもそこそこに代表室に入った。人差し指を立てたリーディアの前で、白い髪の女の子が縮こまっている。
「随分急いできたようね」
リーディアがきまり悪そうに言った。
「リーディア様。シフィーは病み上がりですから。穏便に……」
「別に責めてるわけじゃないわよ。この子も必死でレキウスを守ろうとしたのはわかってるのだから。ただ……」
リーディアは面白くなさそうにそういうと、シフィーに「行っていいわよ」と言った。シフィーは立ち上がって俺の前まで来た。
「先生……」
足取りにおぼつかないところはないし、頬に赤みもある。演習帰路の青白い顔色に比べるとすっかり回復したようだ。ただ、こちらを見上げる両目の端にじわっと涙が浮かんだ。俺は慌てる。
リーディアが叱ったのではないのなら、廊下の陰口に心を痛めているのだろうか。いや、考えてみれば数年前まで街にいた十五歳の女の子があれだけの危険にあったのだ。回復したとはいえ、これからを考えれば不安なことばかりのはずだ……。
「えっと、色々――」
「私を先生の騎士にしてください」
どう慰めようか戸惑う俺の言葉は途中で切られた。涙を拭ったシフィーは胸の前で両手を握りあわせ、きっぱりとした口調で告げた。俺は意味がわからず混乱する。
「えっ、騎士? 俺の??」
「さっきからそう言って聞かないのよ。文官につく騎士なんて聞いたことがないのに……」
視線でリーディアに問う。リーディアはふいっと顔を背けて言った。
「リーディア様達みたいに生まれながらの騎士様にとってはそうかも知れませんけど。でも、平民出の私にとってはそういうことは関係ないですから。何より、私にできる恩返しなんて私自身しかないです」
「ちょっと、その言い方だと私が……。っていうか今どさくさに紛れて何を。サリア放して」
立ち上がろうとしたリーディアがサリアに腕を掴まれている。
「少し落ち着こうか。そうだ、あの時は俺もシフィーに助けられたんだし。そもそも俺は俺の判断であそこに行ったわけだし、恩返しとかそういうことは気にしなくてもいいんだ」
思いつめた表情のシフィーに言った。だが彼女は大きく首を振る。
「気にします。あの時、先生が来てくれて本当に、信じられないくらい嬉しかったです。でも、先生は私のせいであんな危険な目に。休んでいる間考えたんです。先生はあんな危険なことしちゃダメだって」
ええっと、それは俺がシフィーに対して考えるべきことでは?
「それに関しては反論できないのよね」とリーディアが悔しそうに言った。それを聞いたサリアがリーディアの手を放した。
「それに、先生は言いましたよね。騎士になって先生を守れって」
「いや、そういう言い方だったっけ?」
あくまであの時の話で、永続的な意味じゃなかったんだけど。
「透明な魔力を扱う能力、誰にも知られていない強力な戦力。そういう意味では最適の人材だな。あの黒い魔力の解析にも必要だ」
口を閉じていたサリアが言った。隣でリーディアがびくっと震えた。
「わかりました。まず、先生の錬金術の役に立てることをお見せします」
…………
「ええっと、なるべく純粋な魔力そのものを、ですね。こんな感じでしょうか……」
シフィーが輪を作るように両手の指を合わせる。向かいから見ると、作った輪の周囲が白く輪郭を作るのがわかる。赤青緑の白の三色は綺麗にそれぞれの向きで回転する。一方、黒の三色である橙紫黄は、最初震えるだけだったが、シフィーが手の位置を調整したら、回転を始めた。回転の速度は白の三色よりもずっとゆっくりだし安定しないが、対応する色と反対の回転の方向は予想そのものだ。
「シフィー。あんまり無理してまた」
「これくらいなら大丈夫です。自然に出ていくのを抑えてないだけですから。ちゃんと意識しないと中心まで白くしちゃうから難しいですけど」
どうやら、白い輪の中心に透明な魔力の流れがあるらしい。
「お前の仮説とやらはだいたい証明されたな。やはり欠かせぬ人間だ」
サリアが言った。俺はこの前書いた模式図を見直して頷くしかない。シフィーの表情がパッと輝いた。
「実験に必要なのはわかってたことだけど……。でも、騎士というのはどうなのかしら。あなたが戦うためには特別の狩猟器がいるでしょ。前回渡したのは壊れてしまったのだし」
「それは、……ごめんなさい」
シフィーが。そうだ、いくら白い魔術を扱う能力があっても、それを魔術にして発動するには結界器のような三色の魔術器がいる。前回の黒猿は正反対の魔力だったから、それをぶつけるだけですんだが、実際には術式やその他のことも新たに考えなければならないだろう。
「そもそも、あなたはまだ学院生。それも一年生だし。大体、白なんて言えないでしょ。表向きの色とかはどうするの」
「それなら、白い魔力を引き出したときに感覚がわかったので。ええっと……」
シフィーは自分が持っていた三色の触媒で、サラサラと魔術陣を書く。そして、順番にその上に指を置く。すべての魔術陣は最後まで魔力を通した。
「簡単な術式しか実行できませんけど……」
「三色を全部使える」
リーディアが絶句した。ちょっと前まで落ちこぼれだったシフィーの力に、俺もまだついていけない。
「緑ということにしておくほうがいいだろうな。我々とのバランスからいって色々とやりやすい」
サリアが冷静に言った。自分の色を勝手に決められたシフィーはうなずく。俺とリーディアを放って、勝手に話が進んでいく。
「当面はとにかく今の方針で目立たないようにする。発動できるようになったのは死にそうになって必死にやったら成功した、あたりだな。狩猟器や白の魔術の開発も含め、お前の考えている新組織に組み込む必要はある」
サリアが言った。「先生の組織。入ります」シフィーが即答する。「まあ、組織の一員なら……」とリーディアが不承不承うなずいた。それから少しだけ新しい組織についてシフィーに説明する。
「先生。これ、忘れています」
退出しようとしたら、机の上に置かれたクロマトグラフィーをシフィーが持って来た。俺はシフィーから短冊を受け取った。すっかり頼りになる助手だ。
「私もこれから授業ですけど。何かあった時はすぐに呼んでください」
「あ、ああ。ええっと、頼りにしてる」
決意を込めたシフィーの瞳に、俺は曖昧にうなずいた。
「レキウス。あなたは私の右筆なんだから。なにかするならちゃんと報告するのよ」
リーディアが後ろから言った。
「私は先生の騎士ですから。先生の言うとおりにします」
シフィーが俺の横で言う。サリアがため息を吐いた。
俺は逃れるように廊下に出た。いろいろな意味で頼りになるメンバーの誕生に、何故か複雑な問題に巻き込まれているように感じる。
とにかく新しい組織の形を考えないといけない。そうすれば、メンバーの関係も定まるに違いないのだから。