#5話 決意表明
リーディアと向かい合って座る緑髪の好青年。十六歳の少女と十八歳の青年の組み合わせは、その身分差を知らなければ随分お似合いに見える。そういえば、俺はその場にいなかったが、演習地ではこの二人は肩を並べて戦ったのだ。随分と絵になったのだろう。
リーディアの隣にはサリアが座っているが、俺に対するのとは違い普通に学院の先輩に対する態度だ。
考えてみれば錚々たるメンバーだな。まだ正式な叙任前とはいえ王女、名門の娘、そしてもう一人もいわば平民出身者の星だ。
ちなみに俺は少し距離を空けて立っている。言うまでもないことだが、これが本来の文官の位置というものだ。
カインの表情がいつもより硬い様に見える。珍しいことだ。いつもの彼なら、上位者の前だからこそ冷静で隙のない対応を崩さないのだが。
「先日の演習において救援いただいたこと、改めてお礼申し上げます」
「私にとっても大事な後輩達ですから。危ないとわかれば助けるのは当然のことです」
卒業間近の最上級生が深く頭を下げた。赤毛の二年生はそれを当たり前のように受けてから、微笑む。
「それに、あの件はあくまで不測の事態ということになったのでしょう」
デュースターへの不満をおくびにも出さない、王女として満点のリーディアの態度だ。だが、それを聞いたカインは顔を上げた。
「私は演習の運営に関しては最上級生の副代表として関わりました。無謀な計画については私にも責任はあると考えております」
リーディアは表情を変えないが、サリアの体に力が入ったのがわかる。
カインの言葉に俺も驚いた。彼が自省していることは不思議ではない。だが、今の発言には二つの危険がある。一つは騎士院が承認し実行許可を出した演習を「無謀な計画」と言ったこと。もう一つは学年副代表の彼に責任があるなら、学年代表であるデュースターの次男には更に大きな責任があることになる。
俺の知るカインなら決して口にしないはずの言葉だ。もちろん、この場の人間は誰も彼の言葉を問題にしない。だが、万が一漏れれば……。考えてみれば錚錚たるメンバーが揃うこの状況は、彼が本来なら避ける形のはずだ。
ただでさえ今の彼は微妙な立場のはずだ。
「今期の卒業生総代として自らを律するその姿勢、感服するわ」
リーディアはこの状況で彼女が言うべきことを言った。平民出身者を取り込みたい王家として、必然的な発言だ。
「その卒業生総代という名誉も、リーディア様に推薦いただいてのことと理解しております」
「私の言葉など小さいものです。お父様もあなたには期待しているということでしょう」
「身に余る光栄にございます」
リーディアの言葉にカインはあらためて深く頭を垂れた。デュースターの次男を差し置いての総代の座は、本来の彼ならなんとしても辞退したいはずのものではなかったか。
俺は固唾を飲んで、次のカインの言葉を待つ。彼がなんのためにこの場に来たのか、それがわかるはずだ。だが――
「本日はお礼までにて。それではこれで失礼いたします」
カインはそう言うとすっと立ち上がった。少しだけ拍子抜けした俺だが、ドアに向かう途中の彼の瞳がちらりとこちらに向いたのに気がつく。
俺はリーディアに断って、カインを追って廊下に出た。
◇ ◇ ◇
「先輩にもお礼を言わなければなりませんね。演習場に駆けつけてくれたのですから」
階段の前で立ち止まっていたカインは、俺が追いついてくるのを待っていたように口を開いた。
「いや、俺は大して役に立ってないから」
「はて。サリア殿とヴェルヴェット君を従えて森に向かう勇姿を見ましたが」
「本人たちに聞かれたら俺が怒られる冗談はやめてくれ」
俺は両手を振った。
「ちなみに、どうやってボクたちが謎の魔獣に襲われるとわかったんですか?」
「いや、あれはたまたまというかだな……」
少し迷ったが出せる情報は出すことにする。カインは信用できるし、そもそも当事者だ。
「……なるほど。デュースターが北部の情報の一部を隠していたわけですね」
カインの瞳がすっと細まり、表情が冷えた。
「ただ、まさか黒い魔獣なんてものが出てくるとは予想外だった」
「その割には駆けつけたリーディア様は、すでに戦っていた僕たちよりもあの魔獣に対する戦い方を知っていましたが?」
いたずらっぽく笑うと俺に聞いた。
「なんだ、疑うのか?」
黒い魔獣とそれを使った敵の意図は、俺たちもまだ掴みきれていない。色々矛盾があるのだ。
「ボクが疑ってるのは自分自身の先輩に対する認識ですよ。間違っても過小評価はしないつもりだったんですが、最近の先輩の活躍に自信がなくなってきました」
「……」
それは過大評価と言うんだという言葉がうまく口から出なかった。
「残念ながら俺は一文官で、情報を自由に管理する権限はないんだ。ただ右筆としてリーディア様にそこらの情報をカインと共有することを進言することくらいはできる。今はここらへんで勘弁してくれ」
「了解です」
カインは邪気のない笑いを浮かべた。さっき一瞬だけ感じた氷のような表情が嘘のようだ。
「俺の方こそカインを過小評価してたかもしれないぞ」
目の前の“学生”が先日対処したのは情報の少ない遠方の魔の森で、謎の黒い魔獣の襲撃という事態だ。それも森に不慣れな一年生を抱え教官の中の最大戦力が分離した状態。そして、俺たちが現場に到着したときには彼の指揮で防衛網が構築されていた。
「ただ必死でしたよ」
「それを謙遜というんだぞ」
お返しとばかりに畳み掛ける。必死だったのは本当だろう。だが、あれを必死だったから出来ましたと言われたら才なき身は堪らない。君は俺よりも年下なんだからね。
「ただ、それでも卒業生総代を辞退しないのは意外だった」
そして切り込んだ。カインは困った顔になる。
「……悩まなかったといえば嘘になります。ただ、あの演習場の様子を見ればですね。守れなかった後輩は二人共『平民上がり』ですから」
同じ学院生といえども両者に差はある。だが、普段なら最低限の建前というものがある。あの演習のような混乱が生じると、それがむき出しになる。彼の目の前でそれも最も深刻な形でそれは起こった。
「……『平民出身』を代表して前に出るつもりか?」
「似合いませんか? そうですよね。実はボク自身そう思っています。実際相手が相手ですから。卒業生総代程度の肩書じゃどうすることもできませんしね」
「実は無策なんですよ」そう言って両手を上げた。
「叙任後に実績を積むしかないんですが。いくら実績が物を言うとは言え平民出身者はそれを得るにもハンデがあります。例えば採取労役の守護は平民出身者が輪番で務めますから、狩りの頻度が減る。というわけで、頼りになる先輩のアドバイスを切に求めているわけです」
俺たちは奇しくも共通の敵を持っているわけだ。
「現時点で有効なアドバイスは手持ちなし。頼りにならない先輩で悪いな。……ただ、あくまで仮にだが。……デュースターを潰したらどうなると思う?」
わからないならゴールから逆算だ。金を作るというゴールから逆算した錬金術は悲惨だったから注意だが、過信さえしなければ方法としては有効だ。そして過信しないためには立場や考え方が異なる有能で信頼できる人間の視点が必要だ。目の前にいる彼のような。
「問題は二つですね。一つは騎士院の勢力バランスの崩壊によるリューゼリオンの混乱。もう一つのほうが深刻で、労役ができなくなり平民が飢えるか、無理して魔の森に入って大量の犠牲者が出ます」
期待通り、一瞬で答えが帰ってきた。だが、そこまで言ってカインは俺を見る。
「デュースター家を潰すんですか?」
「仮定の話だと言っただろ。だいたい潰したくて潰せる相手じゃないだろ。いまカインが言った理由も含めてだ。厄介なことに向こうもそれをわかってる」
「ですね」
「ただ、もし必要があったら必死でそうするしかないよな」
俺がそう言うと、カインは何故か突然真顔になった。
「必死になればデュースター家を潰せると言われたら、力ないボクはたまりませんよ」
俺たちは互いに顔を合わせてたまりかねたように笑った。
「今後のお互いの必死の努力に期待だ」
「了解です。まあ、今日は決意表明みたいなものです。というわけで卒業後も先輩には色々と教えていただきたい」
カインはそう言って俺をまっすぐ見た。言ってることは謙虚そのものだ。正式に騎士に叙任されても文官に過ぎない俺を軽視しないということだからだ。なのに、その瞳に込められた力に少し気圧される。
「今期第一の騎士に頼られて光栄だ。しがない文官だが微力を尽くすよ」
「よろしくおねがいします」
なんとか後輩に対する態度を保った。そこでカインが破顔した。人懐っこさを感じさせる目が俺を見る。
「ところで、ボクがさっき座った席ですが……。ボクの前にあそこにいたのはレキウス先輩ですよね」
俺の答えを待たずに廊下の向こうに去っていった。廊下に残された俺は戸惑う。今の質問の意図はなんだ?
緊張していても注意を怠ってないのは、カインらしいといえばらしいな。今後のことを考えた時、味方として頼りになるということだ。