#4話 黒の触媒 Ⅱ
いつもの無表情なサリアが前に置かれたリングを両手で挟むような姿勢をとっている。両手と心臓の三点の中心にリングを置くのが、体内から自然に発せられる魔力を測定するために最適の配置だ。それがわかったのはついさっき、リーディアに試してもらった時だった。それだけ新しく得られた三色の触媒成分の測定が難しかったのだ。
今回のリングには俺が黒猿の心血からクロマトグラフィーで精製した三色の触媒が塗られている。サリアの前で橙、紫、黄の三色のリングは一つとして回転していない。ただ、よく見ると紫のリングだけがごく僅かに振動している。ちなみに、リーディアのときは橙のリングだけが振動した。
「どう解釈すればいいのかしら。予想なら反対方向に回転してもいいと思うのだけど」
「そうですね。おそらく、魔力に色がついていることに関係しているのでしょう。ただ、これまでの結果と合わせると見えてくるものがあります。おそらく黒猿の三色の内、橙は赤と、紫は青と対応しているのだろうということです」
「つまり、我々の色と対になっているということか」
測定を終えたサリアが言った。
「はい。魔力の色には角度と回転方向があるんだと思います。つまり、ええっと……。こういったゲートを考えるんです」
俺は紙に「― / \」という三つの角度の窓を書いた。
「赤と橙の魔力は角度が水平《―》で共通ですが回転方向が右と左という違いがある。青と紫の魔力は角度が右斜《/》で共通でやはり回転方向が上下の逆」
「残った緑と黄が左斜《\》の角度で回転方向が逆というわけね」
「付け加えると白い魔力は上向きの螺旋回転、黒い魔力は下向きの螺旋回転でしょうね。とにかく魔力の色と回転が関係していることは間違いないでしょう」
そこまで言うと俺は二人を見て慎重に言葉を続ける。
「むしろ、回転の角度と方向が人間の目には色という形で見えている、と考えたほうがいいのかもしれません。これは完全に想像ですが、ならば見えない透明な魔力は回転していないと考えられます」
回転が与えられることが魔力がその力を魔術として解放するために必要という仮説を置くことができる。更に言えば様々な方向に回転できることから、魔力の本質は球形なのかもしれない。
二人から異見が出ないのを確認して続ける。
「我々は結界を調べて、グランドギルドの白の大魔術が赤青緑による透明な魔力の操作だとわかりました。そして今回、黒い魔力はおそらく橙紫黄の三色による同様の操作でしょう。透明な魔力を活用することが現在を超える魔術とつながることになりますね」
俺はここまでの考えをまとめるためにペンを取った。
「グランドギルド時代の魔法学者達が見ていた図はこうでしょうか。やはり現在とは理解のレベルが違いますね……」
自分で描いた美しい図式に戦慄する。現在の“魔術基礎”では透明な魔力はただのお題目だが、グランドギルドはやはりレベルが違う。魔力の根源が見えていたのだ。
顔を上げて、同意を求めて二人を見る。だが、リーディアとサリアは困ったように違いを見ている。
「グランドギルドがすごいのは当たり前だけど……。でも、それをここまで解いてしまう……」
「リーディア様、これはそういう種類の話ではなく……」
「別にそういう意味だけじゃないわよ。ほら、サリアだって認めるでしょ」
「それはそうですが。ですが、だからこそその様に個人的感情で扱える問題では……」
同意を求めて顔を上げた俺の前で、二人はよくわからない会話をしている。俺がやってるのはあくまではるか昔に解き明かされた原理の確認、それも更に昔に作られた錬金術の知識と技術を用いて、なんだが。
「回転の角度と方向を決めているのはなんだ?」
仕切り直すようにサリアが問う。確かに重要な問題だ。
「今の所は魔力触媒としか言いようがありません。今の所は黒い魔力に関わっていそうな触媒成分を見つけたことまでが収穫です。確定させるためには緑の騎士の協力。そして、回転そのものを見るために白あるいは透明な魔力に晒してみる必要があるでしょう。それも、十分な濃さのですね」
先走り過ぎは良くない。金が作れるに違いないと決めつけた過去の錬金術の轍を、現在の錬金術士を自認する俺が踏むわけにはいかない。
「結局結界器の力を借りないといけないのね。……実は最近私が地下に頻繁に出入りしていることが噂になってるみたいなの」
「結界に問題が生じているのではないかと言いふらしている者がいるようなのだ」
秘密を守らなければいけない俺達には無視できない要素だ。もちろん、こちらが結界に問題を抱えていると誤認させることは利用できないわけじゃないが……。いや、やはりこの実験は安易に考えられない。
「この黒の魔力に関わる触媒成分がリューゼリオン結界への攻撃に関わっている可能性はかなり高いです。つまり、不用意に結界に近づけるのは危険ということです。微量で大きな影響があるとは考えにくいですが、結界が一時的に不安定になる程度のことは十分考えられます」
「私達が結界を壊したら本末転倒ね。仮に一時的であっても流れている噂が真実味を帯びるわ」
「今の状態でそれは避けたい。王家の権威が揺らげばただでさえ不利な我々は……」
二人は深刻な顔になる。
「透明な魔力、あるいは白い魔力を自由に使えないのがやはり制約ですね。となると、やはり旧ダルムオンですね。敵の目的によっては猟地自体よりも都市の跡、地下が重要かもしれない」
高濃度の透明な魔力が流れている地脈は貴重だ。敵も同じことを考えているなら、切り札を切ってまで旧ダルムオンにリューゼリオンを近づけまいとしたことに説明がつくかもしれない。
「旧ダルムオンそのものについて情報がないのが辛いわね」
「確か魔蜂が巣を作っていて近づけないのだったな」
旧ダルムオン領域で言えば端である演習地で痛い目にあったのに、実際に調査してみたい気持ちが湧き上がってくる。そのためにはやはり遠方の魔の森で活動できるだけの戦力が結局必要だ。それも足手まといを連れてだ。
あの森で白い魔術を扱った少女が思い浮かび、慌てて首を振る。大体、遠方に遠征できるだけの騎士戦力なんて騎士院の軋轢が大変なことになる。未解決の技術的問題を、未解決の政治的問題でなんとかしようなんて不可能だ。
「結界に使われている白と違って黒は全く知られていない。この理由はなんだ?」
サリアが水を向けてきた。政治的なことなんかよりもずっと回答が容易だ。
「誤解を恐れずに言えば白のほうが正当、あるいは自然ということでしょうか。騎士の魔術も結界器もですが、基本的に赤、青、緑の三色を用いています。我々が知る魔獣もそうです。いわば我々の目に映る魔力の色は『白』側なんです。これは魔術が成立するまでの流れを想像すれば理解できます」
実は魔術誕生までの記録は混沌としている。遠い過去というだけでなく既存の貴族と魔力を使う将来の騎士の二つの勢力の間で闘いがあった時期であり、さらに成立後もグランドギルドが滅びたことで記録が失われている。
「それでも、騎士が魔力を扱う技術、つまり魔術を獲得したのは魔獣との戦いの中でしょう。つまり、魔獣を真似たということです」
大体、魔力触媒は魔獣の血が原料だ。
リーディアとサリアは微妙な顔になる。まあ騎士の常識として、敵から学んだと言われるのは複雑だろうな。
「魔の森の植物が実の中に蓄えるのも白い魔力。魔獣も白側の三色を使っています。魔術という技術の助けを借りて魔力を扱う騎士もこの白い三色です」
「赤、青、緑の方が普通ということね」
「そうです。さらに言えばあの黒猿もです。血液のクロマトグラフィーの結果から。本来緑の魔力を使っていた普通の魔猿だと考えられます。それを何らかの方法で無理やり黒に塗りつぶした。逆に言えばこの猿の血液の中にある黒い魔力触媒は、ほんの少量で本来の白側の魔力を塗り替えるだけの力があるということです」
「倒された後の変化をみるとうなずけるわね」
効果が大きい代わりに長期間は持たない。魔獣自身が耐えられない。正直ゾッとしない仕組みだが、成分としてはとても興味深い。さらなる分析がしたいところだ。
「ちなみに、少量で効果抜群。そして、しばらくすると痕跡が消えるというのは結界への干渉手段とも合致します」
「なるほど。ますます危険な相手だな。我々の敵は」
サリアが唇を噛み締めた。
「そういうことです」
思案顔だったリーディアが口を開く。
「やっぱり三色の魔力を使って結界と同じことができるあの子の力は必要ね」
「今の所あの秘密が漏れた兆候はないが、こちらで管理せねば本人にも危険が及ぶ可能性がある。今の話を聞けばなおさらだ」
「……そうですね」
俺も渋々うなずく。とんでもないことにシフィーを巻き込んでしまっている。
「もちろん回復してからだけど」
リーディアはそう言って口ごもった。テーブルで向かい合う俺とリーディアの間に沈黙が生じた。
それを破るように「コンコン」という音が響いた。
「カインでございます。先日の件でリーディア様に改めてお礼に参りました」
ドア越しの声音は俺がよく知る後輩のものだった。ドアが開く前に慌てて立ち上がって席から離れた。