#2話:後半 お忍び
順調に進んでいたはずのリーディアとレイラの話し合いはなぜか突然俺の話題になった。
「ずっと前から……ね」
「はい。レキウス様が文官になられてすぐからのお付き合いです。レキウス様の知識で当商会の染料の不調をお助けいただきました。それ以降、私共もレキウス様の錬金術に協力させていただいてきた関係です。今回の“特別な染料”のための技術はそこから生まれたのでございます。もちろん、その一端ですが」
レイラはそこで小首をかしげた。
「ちなみに、レキウス様がリーディア様の右筆になられてから、どれほどでしょうか?」
「っ! 私は兄……レキウスとはあなたよりもずっと昔から……。ただ、レキウスが文官になったあとはどうしても……。あなたはその間に……」
リーディアの表情が悔しげに歪んだ。
さっきまで仕事の話をしていたはずだ。二人ともなぜ俺との付き合いの長さを張り合っているのだろう。というかレイラさん、あなたの営業スマイルが何故か怖いんですけど。
「なるほど。確かにリーディア様にはお立場というものがお有りですものね」
「そ、そうよ。私だってもしもっと自由に……。せっかく右筆に任じてもレキウスは全然……」
「お立場ゆえのご苦労は及ばずながらお察しします。確かに、リーディア様と私では立場は大きく違いますね。ですが……」
「なにかしら」
「立場が違う私どもは共存可能なのではないでしょうか?」
レイラはちょっと怖い笑顔でリーディアの耳に言葉を送り込む。雰囲気はまるで商談のものだ。リーディアが戸惑う。
「お城と。それぞれの場所と立場でレキウス様を」
「そ、そんな事を言って、本当はあなたが……」
レイラの甘言? にリーディアは警戒心を示す。
「いえいえ、考えてもみてください。相手はあのレキウス様ですよ。私あるいはリーディア様だけで管理……支え切れるでしょうか?」
「た、確かにレキウスは気がついたらとんでもないことばかり……」
「左様でございますとも。ですから、私とリーディア様は共存どころか、協力し合うことが必要なのでございます。レキウス様のお力を発揮していただくためにも、お守りするためにもです」
「考えてみたら……そ、そういう考え方もできるかもしれないわね」
さっきまで敵を見る目つきだったリーディアは、なぜか頼りになる姉を見るような目になっている。
「それに、私達だけでしょうか? 私達よりも立場としてはレキウス様に近い相手が――」
「っ!? それってあの子」
レイラの雰囲気がますます怪しくなった。俺は慌てて二人の間に割り込む。
「二人共仕事の話は終わったのかな……。そうだレイラ、頼んでいたものを出してもらえるか?」
俺の言葉にレイラは我に返ったようにビクッと震えた。そして、さっきまでの堂々とした態度が嘘のように不安な顔になった。
「リーディア様にあれを……ですか?」
「ああ、いい機会だからな」
ここに来たもう一つの理由、リューゼリオンの食糧事情の実地調査だ。ちゃんと自分で体験しないといけない。俺もそして“お姫様”もだ。
…………
サラダ、腸詰め入りのスープ、干し果物。遅めの昼食がテーブルに並んでいた。普段の彼女の食事よりも少し質素だろう。つまり、外円の住人にとっての標準的な食事ということだ。
順番に味わう。うん、こちらの味だ。最下級の文官、それも錬金術に給金をつぎ込んでいた俺だが、それでもあちらの住人なんだと実感する。
「さて、どうでしょうかリーディア様」
全く手が動いていないレイラの代わりに聞く。
「え、ええ。ええっと、そうね、これは本当にお肉なの?」
スープに浮かぶ腸詰めを見てリーディアが言った。
「魔獣の腸に肉の断片、内臓、筋などを刻んで詰めたものです。燻製にしてありますね」
リーディアは腸詰めにナイフを入れる。赤黒い中身を恐る恐る口に運ぶ。
「……た、食べられなくはないわね。でも、どうしてこんなに塩辛くて、えぐ……くどいのかしら」
「それは血の風味です。クズ肉の部分は脂も多いです。燻製することでかなりマシになっていますが」
庶民はこれを火で炙っただけで食べることもある。はっきり言って革を食ってる感じがする。
「こっちは果物を干したものかしら」
救いを求めるようにリーディアは最後のものを口に入れる。だが、その口の動きがすぐに止まった。思ったよりも硬かったのだろう。
「……これ、熟れていないのかしら」
「リーディア様には甘さが足りないでしょうね。水をどうぞ」
乾燥された果物を苦労して咀嚼しながらリーディアが言った。差し出された水を飲む。食べ慣れないものを食べていても最低限の気品を失わないのはさすがだ。もちろん、城の侍女に見られたらお説教だろうが。
「あれも頼んでたよな」
「あ、あれもですか……。ウチらも好んで食べるものじゃないんですが」
「ああ、いい機会だ」
やがて、彼女は厨房から褐色の粒を煮込んだ鍋を持ってきた。その匂いだけでリーディアは絶望的な顔になった。麦を水で煮込んだものだ。本当に貧しい人間か、あるいは食糧不足のときにしか食べられない。外円でも最も粗末な食事と言える。
……
「どうでしたか」
耐えきれずに水を勢いよく飲んだリーディアに俺は尋ねた。可哀想なので礼儀については口にしない。
「なんというか、同じ都市の食事とは思えないわね」
「基本的に平民の食事は森の採取産物が多いです。リーディア様も果物などの形でお召し上がりになりますが、あれはその中でも甘さが強かったり、香りが珍重されたりと、選ばれたごく一部なのです」
「……そうなのね」
「それに、騎士の家の食事は材料の新鮮さを重視しますが、平民は保存を重視します。硬かったり塩辛すぎるのはそのためです」
「市場で魔獣以外のものが多かったのはそういうことなのね」
リーディアはそこまで言って考える顔になった。
「……私達が魔獣を狩らなくても平民は食べていけるってこと?」
「いいえ。それは違います」
レイラが言った。平民の採取労役は、リューゼリオンの周囲の森が安全でなければできないのだ。
「つまり、仮にデュースターを叩いて狩りの最前線が縮小した場合。影響は採取に及ぶということです。魔獣の肉はもちろん、こういった森の産物も得られなくなります。もしも無理に外に出せば……」
「前にカインが採取の守護をしているのを見たわね。川から上がってきた中級魔獣に追い散らされていたのよ」
「ああ、あれはカインも感謝していましたよ」
もしもリーディアがいなかったら平民に少なからぬ犠牲者が出ただろう。というか労役での犠牲は毎年出ている。商人や職人などが必死で税を納めるのはその恐怖もある。
「ちなみに、最後のあの茶色いのは……?」
「あれは麦と言いまして。腹持ちが良い上に数年の保存に耐えますので、食料不足のときのために倉庫に保存されているものです。内円ではまず口に入ることはありません」
俺だってこちらに出入りするようになるまで旧時代の文献上でしか知らなかった。
結局、リーディアは最後までスプーンを止めず、麦粥をすべて食べきった。それを見守ったレイラの表情はさっきまでと違い穏やかなものだった。
◇ ◇ ◇
市場から内円、騎士街に戻った。堀を渡ったところでリーディアが後ろを振り返った。橙色の夕日がフードの影を伸ばす。
「どうしましたか」
「私、リューゼリオンのこと全然知らなかったんだなって」
「まあ、騎士が狩猟に集中することが基本的に都市のためですから」
騎士の狩りは必須だ。たとえリューゼリオン全体で見て食料の生産の半分以上が採取だとしても、狩りがなければという構造は間違いないのだ。
極端なことを言えば、平民は騎士に狩りをさせるために存在しているのだ。そこらへんは旧時代の騎士とは違うところだな。
「そうね。でも、リューゼリオンでは私達よりも多くの人があそこで生きてるのでしょ」
「ええ。文官などを合わせても内円の人間はリューゼリオンの二割程度でしょうか」
「でも、錬金術がその、染め物のことと関わっていたり……。レキウスが私達と違う考え方をするのはあちらを知ってるからでしょ」
「まあ、中途半端にどちらも知ってることが大きいでしょうね。でも、そういうことをちゃんと理解するディアは立派だよ」
騎士は平民を同じリューゼリオンの住人なんて思わないからな。右筆として仕える相手として、こういう彼女の王族としての資質は素直にすごいと思う。
俺が知っているのはある意味文官落ちのおかげだし、最初はかなり戸惑ったのだ。
「リーディア様?」
「え、ええ。そのええっと。私も今日はすごく良かったと思う。まあ、あの麦のお粥は流石にちょっと、だけど」
そう言ってはにかむような笑顔を見せた。そういえば思わずディアなんて呼んでしまったな。いつもは彼女に振り回されてるが、今日は逆転していたからだろう。
まあ、リーディアにとってもいい経験になったなら良かった。