#5話:前半 市場
朝、官舎を出た俺は都市の外円へ向かう。城を中心とした騎士街と平民街は外から引き込まれた川による円形の堀で分かれている。その堀に隣接するように建つのが平民街最大の施設である市場だ。
騎士が狩った魔獣と、狩猟により魔獣が一時的に排除された領域で労役夫が採取する魔の森の産物を取引することが、市場の役割だ。都市の金の流れの中心だ。
市場の左右には川に沿って職人の働く工房群が広がる。回転する水車が水しぶきを上げている。
支配階級である騎士と平民の活動が接する場所だ。もっとも、騎士がここに姿を現すことはほとんどない。商人とのやり取りは文官に任せる仕事だ。
「これはレキウス様」
灰色の俺の服に気が付いた茶色の服の男が慇懃に挨拶してきた。茶色の服は平民の印。首に掛かった馬蹄型の金属版は市場の利用証。つまり、彼は商人だ。確か名前はボーランド。腕章を見ると今月の管理役の一人だ。
市場は基本的には商人が管理する、彼らは納税額で決まる有力者会議を持ち、月替わりで管理役を選んでいる。文官は彼らを監督しているというのが建前だ。
文官が騎士階級の家臣であるのに対して、商人や職人などは平民。つまり、城では低い立場の俺たちも、ここに来れば様付けで呼ばれる。商人相手に威張り散らしたり、あるいはその権限で便宜を図ることで不正な収入を得る文官もいる。
特に商人からの納税を担当する文官は見返りが多いことで有名だ。毎年一人二人が騎士院の監察委員会で吊るし上げられ、牢にぶち込まれたり、最悪は処刑もある。
ただ、俺には無縁だ。超閑職では商人にそういう対象に見られないということもあるが、文官だろうと商人だろうと、騎士の使用人の立場に変わりはないからだ。
実際両者とも納税の義務がある。都市住人は一人当たりの人頭税と収入に応じた税が課される。商人は金銭で支払い、職人は騎士が必要とする品での物納もある。
人頭税は都市に住まわせてもらう代償だから、貧しくても課される。特別な技術を持たない平民は労役によって支払うことも多い。払えなければ、都市に住む資格がなくなるのだ。
騎士階級は無税だ。騎士が狩りをしなければ都市は滅びる。食糧その他あらゆる物資は手に入らず、結界が維持されなければ魔物により住人は食い殺される。平民は都市に住まわせて貰っている立場。文官は明らかにこちら側だ、威張ってもむなしい。
大体管理役のボーランドなど、実際には俺よりも力があるだろう。俺の組織上の上司が篭絡されてても驚かない。何しろその地位に比べて彼の生活は……っと今は関係ない話だ。
「活況のようだね」
「おかげさまで。本日は出物がありまして」
市場は活気に満ちている。一番奥に裕福そうな商人が集まっている。俺はボーランドが指さす方を見た。ぬめる黒い体表に赤い流線型の模様の巨大魔獣が横たわっている。
額は抉り取られ、胸は大きく割かれて心臓が見えている。額の魔水晶と心血は最重要の素材で、騎士が直接持ち帰る。とはいえ残った体も十分すぎるほどの価値がある。
「これはすごい火蜥蜴か」
赤の上級魔獣だ。火蜥蜴の鱗は耐火性があり有用な素材になる。大量にとれる肉も味の良さで有名だ。魔獣の首に付いた札を見る。北部猟区でデュースターの家紋がある。なるほど、アントニウスのパーティーの成果か。さすが騎士院を二分する一方の御曹司だ。
上級に分類される魔獣は、狩りの獲物の中では最上級。多くの騎士にとっては獲物にされかねない。実力はあるんだよな。パーティー人数がいささか多く、負傷率に疑問がなくもないが、大勢のチームを統率するのも器量といえるからな。
ただ、デュースターが北にというのはちょっと珍しいな。普通は西が狩り場だ。俺は念のためメモをしてから、ボーランドと別れて市場の端に向かう。
魔獣ではなく、採取された産物が並ぶ。果物など食物が中心だが、木材や草の根なんかもある。
赤い花が積み上げられた一角で、俺に向かって手を振っている女性を見つけた。先日手紙を寄越した染料商人のレイラ。今日の俺の目的の一つだ。
栗色の髪を後ろで結い上げた女性で、同い年だ。銀縁のプレートは中堅商人、それも最近上がったばかりだ。規模は小さいがその分動きが早く、職人との距離も近い。今回の情報収集という意味では、ボーランドよりも適役だ。
「市場の様子はどうだ。最近何か変化はなかったか?」
「ここの景気ってことですか?」
「ああ、ここ最近、なにか変化は起こってないか?」
「そういう情報は監督がお城の方に上げますよ。文官様の方がお詳しいのでは?」
レイラが小首をかしげて見せる。口元のほくろが上がる。わかってるだろうに。
「報告が正確とは限らないし、騎士は狩場の情報を隠したがる。だから報告は一月程度遅れる。それに第一紙だけじゃ見えないものがある」
「ま、騎士様らはそこらへんはいい加減なとこあるし、お役人はいろいろ曲げちゃうしね。……っと、今のは聞かなかったことに。レキウス様はそこらへんちゃんとしてて好きです。商人の家に生まれてたら、ウチが婿にとってあげましたよ」
「……調子のいいことを。他の役人には言うなよ。せっかくの銀の板がなくなるぞ」
俺は苦笑した。
「言いませんよ。商人は相手をちゃんと区別しますから。ま、それはともかく。市場の活気は見ての通り。そうですね、特定の素材が足りないなんて話も聞いてないです。それどころか二日連続で大物が出ましたから」
「大物? さっきの火蜥蜴じゃなくて?」
「ええ、昨日も火蜥蜴が出たんです」
「赤の上級魔獣が立て続けか。どこが狩ったんだ?」
俺が聞くとレイラはしまったという顔になった。上級魔獣を狩れるパーティーなんて限られているな。デュースターじゃなきゃグリュンダーグだろう。なるほどボーランドも言わないわけだ。こんな小役人の背景まで抑えてる。如才ないことだ。俺は質問を変えた。
「場所は? どの猟区で狩られたんだ?」
「確か北部猟区です」
「北部?」
俺は思わず聞き返した。レイラが情報をいい加減に扱うわけがない。しかし、さっきの火蜥蜴も北部だった。デュースターとグリュンダーグが同じ領域で狩り。普通はぶつからないように東西を狩場にしている。
ぶつかるのは騎士院での議論や、獲物を持ち寄っての宴会での威勢争いだ。そこらへん、最低限の節度があるのだ。有力騎士が集団でつぶし合ったら都市が亡びる。
「騎士様たちの景気が良ければ新しい服を買っていただける。ウチの染料も売れるから結構なことです。というか、頑張ってもらわないとお金の流れが……」
レイラは火蜥蜴の競りが行われてる方を見る。二人の商人が競り合っている。そうやって売却金額が上がれば、市場の利用料もそして税金も、というわけだ。そのうちのいくばくかは俺の同僚上司たちにも……。
まあ、俺は別の方法で市場から金を得ているが。
「手紙の件だけど……」
ボーランドの方を見ていたレイラに水を向ける。
「ええ、また水がおかしくなったんですよ。色がよく出なくてねえ。それで、レキウス様のあれで調べてもらえればと」
レイラは手に持ったカバンから陶器の瓶を三つ。そして、布に包んだ赤い果実を取り出した。
「ファノレの実は念のため用意しました。あと、ご注文の品もできてますよ」
わきに抱えていた木箱を開ける。中には布が敷き詰められ、俺がテキストから書き写した図とそっくりな細いガラスの管があった。
「ちなみにお値段はこれだけ。すべて一個あたりです」
レイラは紙に書かれた数字の列を俺に渡す。
「……やっぱり結構するな」
欲しいだけの個数をそろえると、閑職文官の給料が飛びそうだ。これでも、レイラの商売とかかわるということで折半なのだ。賄賂じゃないよ、あくまで副業だ。
「レキウス様の注文は職人の技術のぎりぎりまで要求するし。形をそろえるために何度も作り直さないとですからね。硝子じゃなくて鉄製ならもうちょっと何とかなりますけど」
「いや、鉄はちょっと使いづらいんだ。染料商なら知ってるだろ」
「鉄の臭いは色を変えるってことは知ってますけど。レキウス様はうちの熟練職人がずっと悩んでた問題をサラッと解決しますからね。まさかあの果汁があんな風に使えるなんて。わかりました。じゃあ、今回のお願いを絡めてこれくらいでどうですか」
レイラは胸元から取り出した羽ペンで、さらさらと数字を修正する。
「助かるけど、これそっちが苦しくならないか」
「そういう数字の計算ができるのは頼もしいですけど。まあ、将来への投資もかねてですよ。これからも御贔屓に。錬金術士様」
「……その呼び名はあんまり大っぴらにしてくれるな。ただでさえ旧時代ので、その大昔ですら詐欺師の別名だ。あと、くれぐれも言っておくけど鉛を金に変える方法なんて期待しないでくれよ」
「いくらなんでもそんな与太話に投資なんてしません。商人はレキウス様よりも地に足のついたことを考えますよ。それに、レキウス様の錬金術はうちにとっても商売の秘密ですから、ちゃんと気を使ってますよ」
「なるほど。詐欺師呼ばわりはカモフラージュというわけだ」
俺は果実と木箱を受け取って笑った。その時、背後がどよめいた。どうやら競りが終わったらしい。
2019年8月29日:
多くの感想ありがとうございます。また、誤字脱字のご指摘に感謝します。
これからの感想への返信ですが、日曜の投稿が終わった後に落ち着いて行いたいと思います。
よろしくお願いします。