#2話:前半 お忍び
騎士街と平民街の境である市場の喧騒が耳に届く。リューゼリオンの経済がしっかり機能しているしるしだ。結構なことである。デュースター云々の前から市場が落ち込んでいると困る。
ただ、いつもなら城よりも気が休まる場所を前に、俺は緊張していた。理由は灰色の服の同行者である。
「ゴワゴワしてるわね。それにちょっと匂いが……」
灰色のフードを口元に近づけた。はずみで綺麗な赤い髪が零れた。
「リーディア様、出てます。髪の毛」
どんな服装でも、この綺麗な赤い髪の毛を晒したら、王女だと気が付く人間は絶対に出る。
「だって、引っかかるのよ。どうにかならないのかしら」
「蜘蛛絹と比較したら駄目です。それでも平民よりは上等な服なんですから」
行く先の茶色の人の群れを見ながら、俺はたしなめる。白くて汚れが付きにくくて肌触りもいい、あの魔獣素材と比較したらどんな服でも劣る。
「まあ、レキウスとおそろいなんだし。二人だけでこうして街を歩くなんて初めてじゃない」
同じ色の服の俺を見て一転して機嫌を直した。切替のタイミングがわからない。やけに浮かれているけどこれは一応仕事なんだけど。
「ふふっ。今の私たちどう見えるのかしら」
コケティッシュな表情で俺を見る。いつもなら身分が隔絶していることを示す服装という壁があるのに、それがないというのは俺にとっても新鮮ではあるんだけど……。
「ねえ、今の二人見た? 昼間からこんな往来で腕を組んでいたわ。平民はふしだらだって本当なのね」
リーディアが二階建ての建物に入ろうとする若い男女を見た。ふしだらって……、まあ彼らの向かう先はそういう宿なんだけど……。
「ねえ、あそこは何を――」
「とにかくリーディア様は正体がばれないように注意を」
おかしな場所に興味を持たれると、後でお目付け役からなにを言われるかわからない。
「わかってるわよ。でもそれだと「リーディア様」はまずいんじゃない? 今の私はあなたの同僚なのだから。例えばディアとか」
よりによって昔の愛称を持ち出してきた。確かに呼び間違えないという意味ではだけど。
「……わかりました。ええっとディア殿」
「殿はいらないんじゃないかしら」
「これは仕事なんですから。しっかりお願いしますよ」
「わかってるわよ……」
フードから俺を上目遣いに見るリーディアを再度たしなめる。そのアメジストの瞳が陰った。ちょっと言葉が強かったか。城では常に人の視線を意識せざるを得ない彼女にとって、お忍びというこの状況で多少浮かれるのは仕方ないのかもしれないな。
「……今後のことを考えるとディア殿にも市場のことを理解しておいてもらったほうがいいかもしれないですね。色々と見ていきましょうか」
「いいの!?」
「ただし、その髪の毛だけは注意してください。リーディア様ほどきれいな赤毛は目立つんですから」
「……えっ!! う、うん、わかったわ」
「ではまずは狩りの獲物を競っている市場の中心にいきますから」
俺はこういう場所に不慣れな少女をエスコートする。
……
「私たちが狩った魔獣はこんなふうに扱われていくのね」
少し離れたところから競りを見たあと、リーディアが言った。興味深そうに観察していた。なんやかんやで真面目な子だ。
騎士は魔獣の心血と魔力結晶、後はせいぜい狩猟器の直接の素材になる特定の部位くらいしか関心がない。残りは商人に丸投げ、金や必要な物品として返ってくるという意識だ。
騎士家の使用人やつながりのある文官が関わるが、基本任せっぱなしなのだ。高位の家ほどそうだ。グリュンダーグの一員だったときは、俺もほぼそんな感じだった。
そういう意味でも都市外との交易に興味を持つデュースターは不自然だが……。
「こっちは魔獣じゃないわね」
リーディアが市場の奥に広がる、多様な産物に目を移した。
「こちらは森の産物です。例えばファノレの実のような果物、黒蜜などですね。平民の採取労役で得られます」
「ふうん。見たことのないものが沢山ね」
「まあ、リーディア……ディア殿の口にそのまま入るのは高級品ばかりですから」
王女になると小さな傷がついた果物すら食卓には上がらない。
「……平民は木の根を食べるの?」
「それは染料の原料です」
紫色の根の束に驚くリーディアに説明した。これから向かう先で体験してもらうことが不安になってきた。リーディアの社会勉強という意味では、直接経験してもらったほうがいいのだが。
「そろそろ目的地に向かいましょうか」
「わかったわ。いよいよ本番ね」
俺が職人街の方を指差すと、リーディアが真剣な顔になった。『真紅』チームの仲間なんだから、そんな挑むような顔をしないでほしいのだが。
◇ ◇ ◇
「これはレキウス様。……とまた別の女性ですか」
俺を迎えたレイラは灰色のフードの同行者を見て呆れたように言った。だが、その表情はリーディアがフードを取った途端にこわばった。ここまでフードに押し込まれていた反発のように店の中で輝く赤い髪。腕を腰に当てレイラを見る王女殿下の登場だ。レイラ自慢の営業スマイルが引きつっている。
「……いつも『真紅』をご用命のお客様をお連れした」
恨みがましい瞳で俺を見るレイラに言う。仕方ないだろ。一人で来るつもりだったのだが、リーディアが突然ついてくると言ったんだから。
……
「なるほど。表向きはあなたの店が注文しているという形で血を……」
「そうでございます。従来は我が商会が仕入れていない素材ですので、あまり量が増えますと同業者の関心を引くことになります。それに生産効率のためには……」
レイラが魔獣の血からの魔力触媒の精製について説明している。
「なるほど、遠くから運ばれる場合は狩場での処理も考えないといけないようね」
「ご理解いただきありがとうございます。次なのですが、青の魔獣の場合はカモフラージュとして皮を……」
狩猟者と加工者の話し合いは順調だ。緊張していたレイラもこと商売のことになるとペースを取り戻している。俺が口を挟むことがないくらいだ。
おかげでこちらは今後使うための精製触媒のチェックに集中できる。どうやらかなり生産効率も上がっているようだ。
「大体わかったわ」
「今後ともご贔屓にお願いします」
リーディアがうなずき、レイラが頭を下げた。どうやら話し合いはうまく行ったらしい。全く立場が違う二人の話し合いを心配していた俺はホッとした。
「ああそうだもう一つ。あなたは今後私の右筆であるレキウスとどういう関係を結ぶつもりなのかしら」
リーディアが腰に手を当てたポーズで聞く。レイラは一度ビクッと震えるが、すぐに柔和な笑みを浮かべて答える。
「……おっしゃることの意味がよくわかりません。私にとってレキウス様はこれまで何年にもわたりお取引いただいている関係です。今回のような特殊なお仕事が始まる前からですね」
あれ、二人の間の空気が変わった?
2019/12/07:
来週の投稿は12/10(火)、12/13(金)の予定です。