#17話 白の覚醒 & エピローグ
周囲を見渡し地形を確認する。逃走経路を頭に描き、足元の石を拾う。
俺の考えている作戦を実行するためには、魔獣の動きを少なくとも一時的に止めなければならない。
マーキス嬢の側面に回ろうとしている子分猿に石を投げる。魔力を持つ人間しか意識して無いせいか、あっさり背中に当たった。
猿の顔がこちらを向いた。そこにもう一度石を投げてやる。魔力で体を守る魔獣にしてみれば攻撃というよりもいやがらせだろう。それでも、あっさり挑発に乗ってこちらに来る。
一瞬の判断を争う戦いにおいては、魔獣の本能は人間よりも優れているくらいだ。だが、こいつらは明らかに正気を失っている。さっきも、魔力から見たら敵わないことが分かっているリーディア達に突っかかってきた。
予定していた逃走経路を走る。池の周りの木がない場所を一目散に逃げる。予想していた通りすごく怖い。
さっき確認した二本の木の間に走りこみ、片手で薪を構えた。普段は文書保管庫にこもりペンより重いものを持たない文官には、これだけでも結構こたえる。
どこまで追いつかれたかと振り返った途端、黒い腕が目の前にあった。思わず首をひっこめた。枝がへし折れる。
懐に手を入れて瓶を一つ左手に握る。薪を猿の顔面に投げる。簡単に払われる。猿が木を越える瞬間を狙って左手の中の瓶を猿に向かって投げた。またかといわんばかりの無造作な動作で、黒猿が腕を振った。ガシャンという音がした。そのまま黒い暴力が俺の前に迫った。
恥も外聞もなく後ろに転がる。草と土まみれの俺に、グギャーという悲鳴が聞こえた。
恐る恐る前を見ると黒猿が両手をめちゃくちゃに振り回している。体のあちこちから、光が飛び散る。毛が飛び散る勢いだ。
俺が投げたのは真紅の瓶だ。それをこいつは自分で割って中身を被ったわけだ。
下級魔獣程度の魔力量のこいつらが強いのは、結界器と同じように透明な魔力を活用しているからだ。ただし、その活用の形は結界とは逆回転。
ならば正回転用の魔力触媒、それも超級触媒をかけてやればどうなる。部分的な魔力の逆流が起こる。それはこいつらの魔力の本体である透明な魔力の制御を崩す。これが俺の仮説だ。
つまり今こいつは自分の魔力によってダメージを受けているわけだ。
実験成功だ。
猿は体のあちこちをかきむしる。俺が騎士ならここに追撃して勝利といったところだ。もちろん、俺はさっきと同じように一目散に距離をとる。そしてもう一本の青の瓶を取り出し、蓋を開ける。
触媒が曇ったのか、猿がやっとこちらを向く。俺は触媒を手に垂らし、猿の方に向けてにぎにぎと動かす。魔力が体を逆流するのがよほど不快だったのだろう、正気を失っているはずの猿が明らかにひるんだ。
作戦はここまでのところ見事成功である。うん。これやっぱり戦いじゃないな。小さな魔獣が自分には毒があると体色でアピールする感じだ。まあ、騎士じゃないので気にしないけど。
問題はこれでどれくらい時間を稼げるかだ。サリアが駆けつけてくれれば、俺の出番は終わりなのだ。
ちなみに、シフィーに渡したあれは彼女の力を引き出す呼び水としか期待していない。彼女の努力は信じているし、将来の可能性は大きいのではないかと思っている。だがそれとぶっつけ本番で実践を期待するのは無茶だ。
「あぶないっ!!」
子分に気を取られていた俺に横から警告が来た。あわててマーキス嬢の方を見るとボス猿がこちらに飛んだところだった。なんでこんな雑魚に……。
体がついていかない俺の目の前を金糸のきらめきが舞った。次の瞬間、俺は地面を転がっていた。
視界が回転する。手足が草や石で傷つく。何とか天地をそろえて体を止めると、マーキス嬢の剣がボス猿の腕を受け止めているのが見えた。剣だけでなく、手足の狩猟衣まで赤く輝いている。這うようにして距離をとる。
さっきは冷徹な判断を下していたのに……。こんな性格だからシフィーを見捨てられずにってことか……。
マーキス嬢の剣が赤く光り、ボス猿が飛び下がった。彼女の胸元で砕けるような音がした。赤い砂が零れ落ちる。彼女の指がポーチに延びて、むなしく下がった。
この場で唯一の騎士の膝が落ちる。残った一つの瓶を投げつけようとした時、逆の方向から気配がした。片目を押さえた猿が見えた。反射的に前に出した右腕に衝撃が来た。
俺の体はさっきとは逆方向に転がっていく。
天地がひっくり返った視界の中、子分が俺に近づいてくる。勝ち誇ったように歯を剥くその表情が妙に人間じみていて腹が立った。サンプルのくせに勝手に実験を終える気らしい。
猿が腕を上げる。最後の瓶は手から吹き飛んでいた。視界が急に速度を落とし、黒い腕が俺に向かってくるのが認識できる。
頭は動いているのに体が動かない。実験サンプルにやられるとは錬金術士失格だな。こいつの心血をクロマトグラフィーに掛けたかった。そんなあほなことを思った時……。
……背後で白い光が弾けた。
涙で揺らめく視界。震える指を必死で動かす。
何もできない私のために、目の前で二人が戦っている。立派な騎士として将来が約束された友人。私にいろんなことを教えてくれて、助けてくれた先生。私なんか見捨ててもいいのに。もう十分だから、今からでも逃げてほしい。
あの大きくて黒い魔力は違う。危険な存在なんだとわかる。
このままじゃ先生もヴェルヴェットも死んじゃう。私が騎士じゃないせいで……。先生、戦う力もないのに、どうして来てくれたの。
私が最後に一度だけでもいいから顔を見たいって思ったから?
涙をぬぐうと手元を見る。三色の魔術陣がかかれた魔導器。この前まで練習に使っていた三本の練習用狩猟器。どちらもすごいものだけど、一色すら扱えない私にはどうしたらいいのかわからない。分かるわけがない。
だってこんなの勉強してない……。
でも、先生は教えてくれた。
私の魔力は逆に使うんだって、体の中の魔力全体を動かす。それぞれの色はあくまで体の中の魔力を動かすための手段だって。
学院で教えられるのとは全く違う。
「でも」
先生はこれまで一度も間違ったことを言わなかった。誰も知らないことを魔法みたいに実現してきた。私はそれを近くで見ていた。その先生が私にできるというのなら、きっとできる。ううん、死んでもできなくちゃいけない。
「私が先生の騎士にならなくちゃ」
魔術陣の魔力の流れを読む。この前まで借りていたおかげで流れは理解している。そう、あの時は上手くいかなかった理由がすっと頭の中に入った。
これまで何度かあったあやふやな感覚がはっきり掴める。三つの練習用狩猟器の角度を決める。
私の中の見えない魔力、本当の魔力の流れがわかる。三色を放出するんじゃない。三色の魔力を使って、大本を引き出す。頭の中のごちゃごちゃが一瞬で解けたようになる。
そう、これはむしろ簡単なことなんだ。一本の指で引っ掛けるより、三本でつかむ方がしっかりと持ち上げられるのは当たり前なんだから。
この魔力の形を私は知っている。ずっと前から、生まれた時から私の頭上にあるのと同じもの。よし、引き出す準備はできた。後は、これをどう使うか……。
先生が言ってた、今目の前で黒い魔獣がやってることを参考に……。
三本の狩猟器の角度を整え、白色のリングにつなぐ。これだけじゃただ溢れるだけ。何か芯がいる。練習用狩猟器に通す。これでいい。
準備はできた。指に力を入れる。体内の魔力をそのまま狩猟器に導こうとする。
心臓がびくっと震えた。冷や汗が頬を伝う。体の中身がすべて吸い取られるような、そんな恐怖が心に絡みつく。自分の扱おうとしている魔力の大きさに自分の体がおびえる。
その時、先生が魔獣の腕に殴られて地面に飛ばされた。その隣で、ヴェルヴェットが膝をついたのが見えた。
私の体なんて、もうどうでもいい。ここで命が尽きてしまっても構わない。
「私は先生の騎士なんだから!!」
俺の目の前に迫った黒い猿。腕を振り上げて無防備になったその胸部に、白い光が弾けるのが見えた。犬歯を剥きだしにした毛だらけの顔が、呆けたような表情で不思議そうに自分の心臓を見た。ちょうど円形に茶色の毛皮にもどっていたそこに向かって、体中の黒い霧が渦を巻いて集まった。そして、猿の口から黒い血があふれ、そのまま地面に倒れた。
何が起こったのかとマーキス嬢の方を見ると、腕を振り下ろそうとしていたボス猿と顔があった。俺も振り返る。
白い光をまとったシフィーが立っていた。
白い髪が逆立ち、体を覆う白い光が見える。
彼女の手元の赤、青、緑の光。そして、それらを束ねたような白い光の筒。どうやらさっきの光はシフィーがやったらしい。
……今の魔術何? なんか、黒猿を一撃で倒したけど?
ボス猿がマーキス嬢を放置して、シフィーに向かって突進を始めた。まるで、この場で一番強い相手を優先するように。彼女の次の一撃に怯えるように。強大な魔獣がどこか必死に見えた。
彼女の狩猟器を中心に、三色の光が合わさり、白い光の渦がその先端に収束していく。そして大きく膨らんだ白い光が、黒い魔獣に向けてまっすぐ放たれた。
まるで地下で見た結界器の中心の白い柱だ。なるほど、魔力そのものをただ撃ち出したのか。それなら出来る……のか?
魔獣は右に撥ねた。白い光弾はボス猿の左手を削ぐように通り過ぎた。そして、束ねた紐が解けた荷の様に四散した。
第二射も躱される。第三射が右手をかすり、黒い霧のような魔力を吹き飛ばす。
だが、その時には大猿はすでに彼女の近くまできていた。黒いままの左手がシフィーに向かう。だが、その動きが急に衰えた。猿の足に弱々しい赤い光をまとった剣が突き刺さっていた。
シフィーが狩猟器を構える。白い光の弾が、シフィーとボス猿の間ではじけた。黒い体が後ろに吹き飛ばされた。白い光が収まると、黒い霧が立ち上がる。大猿はそのままピクリとも動かなくなった。
三色の光が煌めいて、白い光が消えた。シフィーが地面に倒れた。
「シフィー」
俺は慌ててシフィーに駆け寄る。白い髪よりも青白い肌。冷たい手足。俺の顔を確認したシフィーは弱々しい表情でほほ笑む。
「私、先生の騎士に……」
そこまで言ってかくっと首が倒れた。あの時と一緒だ。真紅を作ってた時にシフィーの魔力が使い果たされて……。魔力結晶も使わずにリーディアよりもずっと巨大な魔力を使っていたんだから。
握った手の脈が弱い。
その時、二つの黒い影が茂みから飛び出した。こんな時によりによって新手だ。それも二匹。反射的にシフィーをかばった。更に茂みの奥から音がした。
「ちょっと。今の白い魔力はいったい何!!」
そんな声がした。リーディアとサリアが茂みの後ろから現れた。よく見ると、最初に飛び込んできたと思った新手の二匹は地面に落ちて、そのまま茶色にもどっている。
「これ誰が。ってそうじゃない。兄様は、兄様はどこ」
リーディアは倒れているボス猿を驚きの目でみる。そして次に、アメジストの瞳が俺を見つける。
「兄様!! 無事でよかっ…………えっ!」
#エピローグ
リューゼリオンにもどる船の中。
横たわる少女の白い髪が揺れる月光に浮かぶ。穏やかな寝息と赤みを取り戻した頬を確認して、少しだけ安心する。
体中の魔力を一度に放出したショックというのがリーディアの見立てだ。普通はまずないことで極めて危険なことらしい。
そのおかげでシフィー自身も助かったということはできる。
だけど、下手をしたら心臓が止まった可能性すらある。リーディアの言葉が突き刺さる。
俺の責任だ。彼女にやらせようとしたことが難しいという意識はあったが、危険だという意識はなかった。誰も知らない、わからないことをやらせようとしたのに……。
寝台の横に置かれた三色の魔導器を見る。すべての模様が曇り、魔導金属自体もひび割れている。彼女にとって初めての魔術の行使が、どれほどの無茶だったのか雄弁に語る。
いや、むしろ壊れなかったらもっと危なかったのかもしれない。正直言えばシフィーには二度とあれを使わせたくない。
状況は良くない。
瓶に詰められた黒猿の心血をみる。何とか確保したそれは、うっすらと緑色だ。つまり、普通の魔猿と同じに見える。どうやって、黒い魔力なんてものが生じたのかわからない。
これまで全く知られていない黒い魔力を操る魔獣。旧ダルムオンに入り込んでいた外部の騎士が絡んでいる可能性が高い。ラウリスという巨大な都市連盟の騎士だろうか。
さらにその騎士達は、リューゼリオン内部、具体的にはデュースターとつながっている可能性が高い。あの後、獲物を手に弟と一緒にもどってきたアントニウスを、俺は許すつもりはない。
圧倒的に力が足りない。
内外の敵と戦うための組織を、それも相手に敵と知られぬように、作る必要がある……。
「少なくともデュースター程度は潰せる力だ……」
近づいてくるリューゼリオンの都市の光を目に、俺は呟いた。
2019年11月18日:
ここまで読んでいただきありがとうございます。
ブックマークや評価、多くの感想や誤字脱字の報告など感謝です。
おかげさまで第二章『進級試験』を最後まで書き上げることができました。
第三章は『護民騎士団結成』というタイトルで、投稿開始は12月01日(日)の予定です。
それでは狩猟騎士の右筆、今後もよろしくお願いします。
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