#15話 黒い襲撃
左右から覆いかぶさる木々の下、川の流れは北に向けて船を運ぶ。俺は測定環から目を上げて、先方を見た。夕焼けの空の下、川の流れが東に分かれるのが見える。旧ダルムオンとの境になっていた支流だ。つまり、あの先にシフィー達の演習場所がある。
もう一度測定器を見る。ここに来るまでに魔の森の中での観測のコツはかなりつかめた。昼にはリーディア達よりも早く、水中に潜んだ巨大なワニに気が付いたくらいだ。
船の揺れは厄介だが、魔獣の魔力結晶はきれいな単色の回転を示すので、強い魔獣の存在はかなり遠方からわかる。
そして今、前方に強い反応を示す存在はない。
視線を上げる。焦りで額に汗が流れる。俺たちの向かう先、遺跡がある森の中からは幾筋もの黒煙が立ち上っていた。
「何が起こってるのよ」
後ろでリーディアが言った。
…………
船から降りた俺達は木の根に乱された石の道を急いだ。樹上から二匹の黒い影が飛び下りてきた。大きさは俺の半分強、全身を毛でおおわれている。魔の森の中でこの大きさの獣は魔獣以外ありえない。
「姿だけなら魔猿。でもこの色は? それに魔力が……」
黒い猿の頭部に魔力結晶の光が見えない。魔猿なら緑のはずだ。いや、よく見ると黒曜石のような結晶がある。
測定環を向けた。三つすべてのリングが細かく振動しながら回転する。三色のどれかではないことは、事前情報と見た目から予想できていた。だが、三つのリングが反応しているのに色が白ではない。くそ、魔力のことは少しは理解したと思ったらこれだ……。
いや、考えろ。反応している以上はこれは錬金術の範囲だ。
「そうか、逆だ」
すぐに気が付いた。リングの回転方向がシャンデリアや結界器と逆なのだ。
「絶対量は下級程度です。ただ、ええっとそう。白の反転したものと考えてください。振動があるので感じられる魔力の三倍は見積もった方がいい」
「反転ね。なるほど、この感じはそういうこと」
狂ったように走り寄ってくる黒い魔猿に向けて、リーディアが赤い光をまとった剣を振り下ろした。魔猿の腕と剣がぶつかった。そして、黒い霧が散ったと同時に、リーディアの剣が止まった。赤と黒の光がぶつかり合う。
「強くはない。でも確かに量と見た目が違う。これは……」
リーディアが剣を振り切る。黒い霧がばっと散ると同時に、黒い猿が弾き飛ばされた。
「あそこ。追撃して」
リーディアの指示が飛んだ。見ると、剣が当たった右腕を中心に黒が茶色になっている。
通常の魔猿の毛皮にもどった右胸に青い軌跡が吸い込まれる。グギャーという悲鳴と共に、胸を貫かれた猿が地に倒れた。
もう一匹が樹の枝を使って上空から襲ってくる。リーディアが剣の腹でもう一匹を打った。吹き飛ばされた猿は樹の幹にぶつかって悲鳴を上げる。立ち上がろうとしたところをサリアの短剣がむき出しの腹に突き刺さった。
「厄介ね。魔力の奥に芯みたいなのがある。持久力も回復力も強い」
「行動も異様です。かなわないと分かっても襲ってきます」
傷一つなく二匹を倒したリーディアとサリア。だが、表情は厳しい。
魔猿は下級魔獣だ。下級魔獣は騎士なら一対一ならまず勝てる。魔力が強くない上に、その魔力を乗せる体の物理的大きさも人間以下だからだ。騎士見習でも狩猟器を振り回せば牽制くらいはできる。
だが、この黒猿は明らかにそれよりも強い。上級魔獣も相手にできるリーディア達だから対処できたが、これがもし一年生だったら。
…………
森を抜けて開けた場所にでた。崩れた石壁に捲り上がった石畳。木々に浸食された旧時代の遺跡だ。演習会場は大きな混乱の中にあった。ねじくれた木や崩れかけた石壁の上を、黒い影が飛び回っている。
その向こう。遺跡の中央にある広場に学院の制服を着た男女が集まっているのが見えた。一年生らしき男女を中心に周囲を少数の上級生が守っている。上級生の指揮を執っているのは緑色の男だ。
ぱっと見ただけで十匹以上の黒猿が取り巻き、とびかかっては撃退されるを繰り返している。黒猿の未知の魔力と予測できない動きに苦戦している。
「まずは包囲を崩すわ」
「了解です」
リーディアとサリアが胸に手を当てた。
剣がひときわ赤い光を放つ。正面の黒猿が強化された魔力を受け止めきれずに一撃で切って捨てられる。その左右の猿の足と腕が、サリアの短剣で地面と樹の幹に縫い付けられる。俺たちはその間を通って学生に合流する。
…………
「いったい何が起こってるのかしら。教官たちは何をしてるの?」
「はい。実は……」
カインが説明する。夕方、野営の準備に生徒たちが森に入った時、北方から複数の中級魔獣の魔力が勢いよく近づいてきた。臨時教官であるアントニウスを中心に演習場への接近を防ぐために打って出た。ちなみに四年生の学年代表も、カインに演習場の警備を任せてついていったらしい。
戻ってきた教官が言うには、中級魔獣はあの黒い猿の群れに追い立てられていたらしい。中級魔獣に注意を向けていたアントニウスたちは、そもそも魔獣の魔力と認識できない、猿たちの存在に対処できなかった。
中級魔獣は倒したものの、猿どもの奇襲に教官すら負傷。ましてや、ついていったアントニウスの弟と取り巻きは大混乱になった。
アントニウスが四年生たちの救出を優先し、黒い猿たちが演習場にというわけだ。
アントニウスの性格が裏目に出たな。彼なら未知の敵、それも見たこともない色の魔獣に対しては最大限の安全策をとるはずだ。自分たちだけで行動しているのなら適切極まりないその判断は、後ろに守るものを抱えた時は……。
結果、半減した四年生と一年生が残った演習場に、対処方法を知らない黒猿が襲ってきたというわけだ。当然、直前まで接近には気が付かなかった。
広場には血を流している学生が何人も横たわっている。教官らしき騎士が周囲の森から傷ついた生徒たちを運んできた。最悪だ、まだ森の中に学生が残っている。
「シフィーは?」
俺は周囲を見る。一年生の中に白い髪の少女の姿がない。腕を押さえた金髪の少女が近づいてきた。綺麗にそろっていた髪の毛が、汗で額に貼り付いている。
「なんであなたが」
「そんなことは今どうでもいい。シフィーはどこにいるんだ?」
俺はマーキス嬢を問い詰める。
「多分まだ森の中。野営の準備で薪を集める班で、他の子は戻ってきたのだけど……。あの子、何かおかしな魔力が近づいてくるって。私がちゃんと聞いていたら……」
悔やむように言う少女。右手で押さえた左腕から血が伝っている。俺は周囲を見る。教官たちの救出活動は続いているが、彼らは魔力の反応で生徒を見つけようとするはずだ。
シフィーの弱い魔力では、自分を守る力がない彼女が後回しになる可能性が高い。だが、俺の手の中にあるこれなら逆だ。
「大体の位置でいい。シフィーがどこらへんではぐれたかわかるか?」
「多分、川の方……」
「南か……」
川によって範囲が決まっているのは不幸中の幸いだ。
俺は懐から改良された測定球を取り出す。演習場への連絡船が出るまでの時間で改良されたものだ。測定方向を絞るための窓が付き、中の水と同程度の比重になるように中空構造を調節され、魔力触媒の面積も増やしている。
猿に向ける。結界とは逆の螺旋だ。シフィーと区別はつく。問題は感度だ。測定環の振動がシフィーよりも弱い、回転の方が強いのだ。なら、猿が感知できるなら、シフィーを見つけられる可能性はある。
ただ、微細な反応を拾うには魔力のない俺の手で操作するしかない。これは大きな問題だ。ただでさえ完全に足手まといの俺を連れて、しかも、首尾よくシフィーを見つけたら足手まといが二人に増える。
シフィーに渡すために持ってきた銀色の魔導器を見た。リーディアが見つけていた三色の魔力を前提とした小さなリングだ。それに、三本の練習用の狩猟器。これに期待するのは無茶だよな。
リーディアはカインに二人一組になるように指示している。こっちはこっちで学生だけで防衛線を守らなければならない。となると、割ける戦力は……。
「サリア殿。お願いが」
俺は測定球を手に、サリアに頼む。
「失うわけにはいかぬ人材だ」
短い言葉が頼もしい。俺とサリアが川の方向に向かおうとした。
「待ってください。サリア先輩。私も行きます」
包帯を巻いたマーキス嬢が剣を手に言った。サリアがちらっと俺を見る。測定器の秘密が漏れるリスクがある。マーキスはデュースターに近い家だ。だが、いまは戦力が必要だ。
「同行してもらいましょう」
背中合わせで戦うリーディアとカインの姿を見ても、友人を優先すると言ったこの子が、存在する選択肢の中で最良だと信じよう。