#4話 一人方針会議
黒い曲面の前に立って白墨を握る。自分の結婚相手の候補を見繕え、というリーディアの命令。一応の理由は聞いたが理不尽かつ不明瞭といわざるを得ない。
だが、俺の知る彼女は何の意味もなくこんなことを言い出さない。騎士として優秀な少女だし、王女としての責任感も強い。
最下級の文官にすぎない俺に命じたことも、詳細を隠していることも理由があるはずだ。その理由がいまだに想像がつかないのが問題なのだが……。
指先で白墨が回転する。うん、やっぱりわからない。解らないなら、解らないなりの考え方をしよう。
要するに、分析の軸は彼女の動機だということだ。彼女の立場から動機は複数のレベルが考えられる。まずはそれを区分して一つ一つ検討する。
回転を止めた白墨を黒板に向かって動かす。心地よい擦過音が部屋に静かに響き、黒い曲面に白い文字が刻まれた。
・リーディア個人の動機
・騎士としての動機
・都市の王女としての動機
まず、個人的動機だが。リーディアも十六歳。恋に恋する年齢といえなくもなく、色気づいてもおかしくない。だが、心に思う相手がいるなら俺に結婚相手を選べなどといわないはずだ。気になるのは「レキウスは私について詳しいし」という言葉だが、彼女が個人の感情として慕う男がいるとしよう。
誰だそのラッキー野郎は…………。
じゃなくてだな、俺にそれが誰か察して動け?
無茶を言われては困る。あの年頃の女の子の気持ちなんてわかるわけがない。
それなら誰々を調べろと指定してくれればいい。気が進まない仕事だが、身辺調査的なことも文官の業務としてはないわけではない。優れた騎士ほどそちらの関係は荒れているというのは一般的な傾向で、特に二人の候補なんか、それだけで落としたくなるくらいだ。
カインは……不思議とその手の話を聞かないんだよな。平民出身者の中なら人気があってもおかしくはないと思うのだが。
まてよ。言えない相手。絶対に皆に反対される相手、とか。例えば……そう妻子ある相手に道ならぬ……。この手の感情というのは理性を超えるらしいので、絶対ないとは言えないが……。いや、とにかく却下だ、却下。
よし、個人的動機についてはあまり考えられない。そして、考えてもわからない。よっぽど何か情報が出るまで、対象から外したほうがいいだろう。
次だ。個人を超えた動機が存在するなら、まず考えられるのは騎士としての立場に基づいた理由だ。
狩猟は一般的に三人から六人のチームで行われる。成果も安全も段違いだからだ。これをパーティーと呼ぶ。パーティーメンバーは互いに協力して戦うし、遠征ともなれば何日も行動を共にすることになる。技能的な相性も人間的な関係も重要。
必然的に同じパーティー同士で結婚が行われること。あるいは、結婚によって新しいパーティーが結成されることは珍しくない。
リーディアはまだ学生で準騎士で学習中の身ということで、パーティー選択の縛りは緩い。だからこそ、そこに参加している異性が将来特別な存在になる可能性も……。なんか個人的動機とつながって来たな。
ちなみに、現在の彼女のパーティーはサリアだけだ。二人というのは全くないわけじゃないが、珍しい。逆に言えばもう一人加えることは十分考えられる。となると……。
・リーディアが狩猟パーティーの強化および将来を見据えて適切な男性騎士を探している。
一応の仮説を書いてみるが、書いたとたんに首を振った。これはあり得る。あり得るのだが、それを俺に諮ってどうするという話になる。一般的な実力ならともかく、実際に森の中で背中を合わせるパートナーとしての騎士の能力は、彼女の方がずっと詳しいはずだ。
というか、魔力を扱えない俺には到底解らない領域だ。むしろ俺に命じちゃダメ。
指の上でむなしく白墨が回転する。彼女の動機と俺に命じた理由。予想していたが本当に合致しないな……。立場が全然違うってこういうことだよな、ちょっと寂しい。幼いころのリーディアは今より可愛げがあって。何しろ俺のお嫁さんになりたい、なんてことも……。
いやまてよ、確かその時のセリフは「私がお嫁さんになってあげてもいいわよ」だった。昔からじゃじゃ馬気質は変わらないじゃないか。
いかんいかん。仕事。これは仕事だ。
最後だ。リーディアはこの都市の姫君だ。それも王の一人娘。王の妹とかの親戚一族もいるが、彼女の婿が次の王になる可能性は高い。
正直気が重くなるほど、どうしようもないくらい政治的存在だ。そういうくびきから離れた、追放されたのだが、結果ある意味のむなしさを知った俺にとっては余計にだ。
学院の廊下を思い浮かべる。この都市の騎士たちは二派にわかれている。リーディアの相手がまだ決まっていないのはそこら辺のバランスに王が苦慮していることもあるだろう。
国家レベルの話だから、狩猟そのものよりは文官向きといえなくもない。文官は国家の上と下、つまり騎士と平民に挟まれたところにいる。国全体を見るという意味では、その知識や情報が役に立つ分野ではある。
何より現状を最大限考慮という言葉と矛盾がない。
加えて俺は元名門騎士家の人間だから、上の事情もある程度……。
「ないな。そういうことなら彼女の側に最適の人物がいる」
元妹のサリアだ。元実家の養女になるまでは、分家の分家くらいだったが、今や二年生で準騎士だ、将来を嘱望されているといっていい。
「となると逆だな。俺に期待されるとしたら最下級の文官として直接平民に接していることに絡む。つまり……」
・リーディアの結婚に絡む国家全体レベルの問題について、特に彼女たち騎士階級の立場からは集めにくい平民の情報が必要とされる。
不明瞭で婚約者選びという意味ではいささか間接的すぎるきらいがある。だが、関係は否定できず、何より俺に命じる理由がある。とりあえずこの線で情報を集めることにしよう。それで何かが見えてきたらもう一度検討だ。
平民の情報となるとやはり市場だ。狩猟動向についても直近の情報を集めたいし。明日は官舎から直行しよう。
しかし、十六歳のそれも個人的に知っている女の子がこういうことを考えているというのは、やっぱりちょっと気分が重くなる。個人的に言えば、彼女には幸せでいてほしいのだが……。
まあそれを言う資格は俺にはないか。
とりあえずの方針が決まった俺は白墨をしまう。官舎に帰る準備をするために、机にもどる。机の上には作りかけの目録と共に、一通の手紙が置いてある。レイラという署名と13という数字。
手紙を開いた。馴染みの商人である十三番街のレイラからのものだ。「水の不調についてご相談したい」とある。文官、彼女らは役人といっている、への陳情にみえるが、実は裏の意味が在る。俺の知識を生かした彼女との副業に関する相談だ。
「そういえば、これもあったな。市場に行くならちょうどいい」
地下室を出る前、書棚から一巻の巻物を手に取った。俺が『テキスト』と呼んでいるものだ。大昔の道楽貴族が書いたもので、ある特殊な知識体系を記したものだ。作者である彼は自分を錬金術士と呼んでいた。多分周りからは詐欺師と呼ばれていただろうが。
副業に必要そうな部分を写し取り、懐にしまう。自分の頬が不敵に歪むのがわかる。文官落ちしたのみならず商人や職人と一緒に仕事なんて知れたら、城の権威を落としたと監査委員に呼び出されかねないな。
外に出ると夜風が腕を撫でた。満天の夜空を見上げる。
「もう秋だもんな。温度が下がるわけだ」
結界の向こう。空に三角星が見える。赤、青、緑に光る三星は魔術の象徴だ。まあ、魔力が発生する前からあったことは記録されているから後付けだろうが……。
「……あー、黒板を使いすぎたか。目が疲れてるな」
赤い星の光が揺らいでいるように見える。
俺は城壁の向こうの魔の森を見る。将来の騎士候補だった時の習慣だな。赤、青、緑の煌めく光が木々の中に見える。
夜の狩りはいつも通りだ。危険な魔獣の接近はないということだ。俺は眉間を抑えてから、帰り道を急いだ。最下級の文官用の官舎は、城から遠いのだ。