#12話 結界器
冷たく湿った空気。球形の岩の天井。地下の空洞には入ったものを圧する雰囲気がある。そして、圧巻なのが中央に鎮座する六角形の分厚い魔術陣、結界器だ。白い光の柱を天井に向けて立ち上げるそれは、製造者が滅んだ後も数百年に渡りその機能を維持している。
この都市の存在そのものを担保している失われた魔術。普通なら、騎士の家に生まれても一度も見ることがない。
ちなみに俺がこれを見るのは二回目になる。
「覚えてるレキウス、あなたこの前で……」
俺の隣に立つ、光に照らされた少女が言った。結界を管理する王家の一人娘だ。煌めく赤毛が地下の空間とは思えない強い美しさを誇示する。そういえば一度目もこの子と一緒だった。昔は、俺が手を引く小さな女の子だった。
「我ながら生意気なことを言ったものです。おかげで十年後、上司から無茶な仕事を振られました」
少女の成長から目をそらすように言った。自分たちでは理解できない大昔の仕組みに支えられている都市に異議あり、をよりによって当の姫君に言ったわけだ。
なるほど、彼女の父親曰く「こざかしい小僧」である。
「そうだけど、そうじゃなくて……。もういい」
リーディアはプイと横を向いた。先ほどの神秘的な雰囲気が一瞬で霧散している。
「そういえば」
「なに」
「いえ、シフィーの練習の調子はどうかなって」
「………………あれの使い方は教えたし、後はあの子の努力次第よ」
「何というかシフィーに対して厳しくないですか?」
俺は気になっていたことを聞いた。顔を逸らしていたリーディアが俺に向き直る。
「私があの子のことライバル視してるって言ったら?」
「へっ?」
思わず間抜けな声が出た。シフィーとリーディアではすべてが違う。同じ騎士でも王女と平民出身者、肝心の実力だってそれ以上の開きがある。
「ちょっと意味が……。ええっと、じゃあ聞き方を変えますけど、シフィーにどんな不満があるのでしょうか。彼女は確かに落ちこぼれですが、努力してると思うんですけど……」
「ちょっとだけだけど練習を見たから、努力してるのは分かるわ。でも……あの子本当に騎士になる気があるのかしら、そういう気持ちが感じられないのよ」
「えっ、あっ、それはほら。…………生まれついての騎士の子とは認識が違うというか……」
俺は思わずしどろもどろになった。シフィーは普通の平民出身者よりもさらにそういった選ばれた者の自負のようなものがない。
「私はあの子に足りないのは才能や努力じゃないと思ってる。なのにレキウスはすごく同情的だし……」
将来この都市を背負うことを期待されるリーディアからみればなおさら、意識が足りないように見えるのかもしれない。俺はどうしても自分の経験に引きずられて、彼女を何とかしてやりたいと思ってしまうのだが……。
ただ、恵まれているように見えるリーディアも大変だということもわかる。何しろ彼女が背負うあまりに大きな責任が目の前にあるのだ。
俺は改めて、強気に見えてどこか心細げな幼馴染を見る。非難めいた言い方になってしまったのは、不公平だったかもしれない。
「なんというか、目の前のこれのことに関しては、私としてもできる限りリーディア様の力になるようにしますから」
改めて誓うようなことを言ってしまった。これは場所柄、昔の記憶に当てられたか。
あの時の発言も、将来の巨大な責任を前に、強気に見えてつないだ手が震えていた少女を元気づけようとした気もする。
まあ、半分以上はこざかしさだったと思うが。今も錬金術的な興味も大きいけど。
「わ、わかってるならいいのよ。さあ、測定を始めるわよ」
……
測定器を手に結界器に近づく。実は装置には一つの工夫が加わっている。魔力を遮断する素材によって作られた窓のようなものだ。これの開き方で測定環に当たる魔力の量を調整できる。今回みたいな巨大な魔力の測定には必要な構造だ。
なんと、サリアのアイデアだ。魔術陣の分析などのためには、より細かく範囲を絞って測定できた方がいいということらしい。
俺はまず結界器の下部、分厚い魔導金属と地面が接している場所を調べる。三色の環は全く反応しない。結界器の下には、地脈が流れているはずだが、やっぱり透明な魔力は測定も不可能か。
そもそも、この分厚い結界器の土台部分も未知だ。魔術基礎の基本的な考え方に従えば、透明な魔力から白い魔力への変換を司っている可能性が高いのだが、その仕組みは想像の外である。
まさか結界器を輪切りにして調べるわけにはいかない。俺の好奇心を満足させるためにリューゼリオンを滅ぼすことになる。
せめて、結界器に覆われていないむき出しの地脈があれば何かわかるかもしれないが、それって超級魔獣の巣とかだよな。グランドギルド跡地とかだ。興味はあるが漏れ出てくる火竜の群れだけで、都市を一つ滅ぼすのだから無理だな。
気を取り直して、結界器の上に上がる。赤、青、緑の三つの三角形の魔術陣が、六角形の一片おきに描かれている。考えてみれば測定環の角度に似ているな。魔力の色と角度に関係があるのだから、これにも意味が在る可能性は高いな。
まあ、とにかくまずは測定だ。最初に赤の魔術陣に近づく。現在の狩猟器のそれはもちろん、シャンデリアと比べても複雑な魔術陣に測定器を向ける。赤のリングが猛烈な速度で回転するのを見て、あわてて窓を絞る。
青、緑も同じように測定する。それぞれその色のリングが回転する。魔術陣の場所ごとに、主にその太さによって回転数に差が出るが、おおむねすべての色が同じくらいだ。シャンデリアの白い魔力を作るのと同じだな。
まあ、行きつく先の中心部が白い魔力の光なのだから妥当だ。ただ、この白が結果ではなく何らかの意味を持つ可能性はあるな。三色のバランスをとらなければいけない共通の理由がある可能性が考えられる。
結界器の側で俺の測定を見守っているリーディアに順調だと合図して、いよいよ中心に向かう。
六角形の中央には円形の穴が開き、三辺から発せられた三色の光が合わさった白い光の柱が立ち上がっている。赤と、緑の間の空白の辺を伝って歩く。中心に近づくにつれて、二つのリングが回転を始める。
そして、あと少しで光の柱という場所だった。三つ目のリングの回転を待っていた俺の手に、異質な振動が伝わって来た。手元を見ると、リングの回転は止まり、上下に振動している。
慌てて窓を最小まで絞り、白い光の方だけに測定器を向ける。すり足でゆっくりと中心に向かう。一歩白い光に近づいただけで、三つのリングの振動は跳ね上がる。
更に半歩足を進めると、リングの音に雑音が混じり始める。とんでもない強さだ。このままでは壊れかねない。俺は窓を完全に閉じた。
…………
「どう考えればいいのかしら?」
「わからない。シャンデリアと全然違う反応とは……」
俺とリーディアは結界器から離れた場所で今の結果について話し合っていた。とはいえ、答えは出ない。完全に予想を外されたのだ。
三色の魔力を合わせて中心に白い魔力が表れるというのは、シャンデリアも結界器も同じだ。にもかかわらず、シャンデリアでは三つのリングが素直に回転した。一方、結界器はすべてのリングが振動する。元となる三色の魔力それぞれ単独では、どちらも回転だったのにも関わらずだ……。
「この振動が結界という白い魔術の効果そのものである可能性はありませんか?」
「結界の効果は都市を覆っているでしょ。もしも、ここに効果があったら上の城でも感じるはず」
「なるほど。となるとやっぱり測定結果ということですか……」
結界の力を考えれば極めて強い魔力が観測されることはおかしくないが、振動が説明できない。そしてさらに、俺たちは振動という結果をもう一つ知っている。
「あの子の時と同じよね」
リーディアが恐る恐る言った。俺は頷き返した。結界だけでなく、シフィーのことまで謎が増えてしまった。