#9話:後半 試作品
「その、脱ぐ必要があるってことよね……」
頬を染めて上目遣いで俺を見るリーディア。とんでもない誤解をさせてしまった。いくら実験でもそんな要求できるはずがない。
「測定器具はお渡ししますから。本宮のお部屋で侍女の人とかに手伝ってもらってください」
俺は慌てて両手を振った。
「でも、ここで答えを出しておかないといろいろと手間でしょ。今言った針の形にも関係するかもしれないのだし」
「そ、それはそうですけど」
サリアが戻ってきたら俺が席を外してと言いたいところだが、この針は魔力があるものが触れるとぶれるので、それもできない。
「それに、これは実験というものなのでしょう? さっきだって、私にあれだけ近づいていたのに、レキウスは針ばかり見ていたみたいだし」
俺は答えに窮する。さっきだってちょっと危なかったのだけど。
「大丈夫、レキウスのことは信じてるから」
信じられても困るが、リーディアの言ってることは正しい。同じ条件で測るには今やってしまうのがいいし、さらに針の作り直しということになったら二度手間だ。
「で、では背中の方からにします」
…………
制服の前を開いて半脱ぎになった白い背中が目の前にあった。胸を守る肌着の紐が解かれている。顔を伏せた少女の赤い髪から耳の先が覗く。髪の毛に負けないくらい真っ赤になっている。
両手で胸元を抑えるリーディアの白い肩がかすかにふるえている。さっき、これは実験といった時の勢いが欠片も残っていない。いつもとは違うか弱い姿だ。
染み一つない白い背中に恐る恐る針を近づける。柑橘系の香りに、乳椰子と呼ばれる白い果実の、それも上澄みだけを集めた滑らかな舌触りを感じさせるような甘い香りが混じる……。
これはまずい、錬金術で魔術を扱う以上の禁忌を冒してる気分になる。
「……レ、レキウス?」
「あっ、はいすぐに終わらせます」
駄目だ駄目だ。これは実験だ、実験。大体、相手は四歳も年下の女の子だぞ。
息を止めて針を近づける。リーディアの肩甲骨近くで、針が回転を始めた。一回転、二回転……。回転のスピードがやけに間延びしたように感じられる。
……よ、よし大丈夫だ。服を着たままと変わらない。大きく息を吐きだした俺がリーディアから離れようとした時だった。
「何をしている」
背後で殺気が弾けた。恐る恐る後ろを振り向くと俺に向けて剣を抜いているサリアがいた。彼女の目には服をはだけたリーディアが、背後からの吐息に背中を震わせている。
…………
床の固さと冷たさが足を伝って胸元まで上がってくる。
「……という理由なの。ね、仕方ないことだったの。だからええっと、レキウスを放してあげて。その、私が言い出したのだし、ね」
膝をそろえて座らされ、首筋に剣を突き付けられている俺をリーディアが弁護する。いい上司だ、一瞬実験を忘れそうになった情けない部下をこうもかばってくれるとは。
「服は関係ないとわかったので、今後は今のようなことは起こりません」
俺も必死で事実を主張した。だが、サリアは冷めた目で俺とリーディアを見比べて口を開いた。
「リーディア様がお持ちの、例えば蜘蛛絹のハンカチを測れば目的は達成できたのではないのか?」
「……」「……」
俺は黙った。なるほど、冷静な視点というのはいつも正しいものだな。
「……それで、実験結果というのはどうなったのだ」
やっと椅子に座ることを許された俺は、サリアにも測定の結果である針の回転のことを説明した。そして、サリアの感覚との比較で赤の魔力針がサリアの感覚より鋭敏に魔性を捉えることもわかった。さらに、背後からの測定でリーディアが意識して魔力を放出しようとすると、回転が一時的に弱まることも確認できた。
「ここまでの実験で、騎士の体内の赤の薄く色づいた魔力。『潜在魔性』とでも言いますか。これを魔力針の回転という形で計測できる可能性が確認できました。回転の理由は分かりませんが、僥倖と思われます。回転の速度、つまり時間当たりの回転数で魔力の強さを数値化できる可能性があるからです。ただ、現時点では赤の結果でしかありません。青と緑の測定をしてみなければ確定はできません」
さっきまで場にいなかったサリアに向かって丁寧に実験の意味を説明する。
「ただ、赤の結果から青と緑の測定にも超級相当の触媒が必要だと考えられます」
「青と緑の上級触媒があればレキウスの方法で超級触媒が得られるのではないかしら」
「そうですね。この実験の場合は少量しか用いませんから。元となる上級触媒がある程度の量あればクロマトグラフィーで足りるでしょう」
俺とリーディアは足早に話を進める。そして、期せずして同時にサリアを見た。
「それなら可能そうだな」
両手を組んだサリアは表情を変えず言葉短く答える。
「あとは針の形についてです。測定の感度のために針の表面の広さが重要であること、結果が回転で出ることがわかりました。ですから、針の形をこうしたらより効率的に測れるかもしれません……」
俺はさっき見せた模式図を示した。
「サリアの意見は?」
「…………」
「ええっと、サリア?」
「可能でしょう。私が話を通します」
「あの、忙しいようでしたら私が直接……」
「これに関しては私が管理する」
俺の提案は即座に拒否された。まあ、狩猟器の整備をする魔導鍛冶は魔術院の技官で、文官より格が高いからその方がいいんだけど。
「順調じゃない。サリアもほら、レキウスの錬金術がまぐれじゃないってわかったでしょ」
「まだわかりません。というよりまぐれでない場合……。とにかく、別の色も同じかを確かめるのが先決でしょう」
異なる色の比較となるといろいろ問題が出てくる可能性はある。魔術なら魔力の色ごとに特性がある。赤はパワータイプだから一番測定に適していた可能性だってある。そもそも、色が違っても同じ量の魔力という基準を決めるのが至難だ。
回転の数というのはそういう意味でも有用な可能性はあるのだが……。
なんにせよ、たった数日の成果としては順調だ。
◇ ◇ ◇
公務の話があるというので、俺は廊下に出た。城にもどる前に一階に降りる。実習室から出てくるシフィーを見つけた。無地の魔導金属の棒を手にうつむいて歩いている。
「シフィー」
「先生」
俺が声をかけるとシフィーは顔を上げた。白い髪が小さく撥ねた。
俺は彼女の手にあるものを見る。先ほどの針に比べてずっと輝きの鈍い銀色。あまり質のいい魔導金属ではないだろう。
とはいえ、それは先ほどサリアが用意した針を見たから言えること。おそらく汎用の物だ。まあ、騎士の子だと先祖から伝わった狩猟器とかで有利なんだけど……。
どう声を掛けようか迷っていると、シフィーは俺が下りてきた階段の上を見た。
「先生はリーディア様とお仕事ですか? あの、もしかして錬金術の……」
シフィーは俺の手にある青い魔力触媒の瓶を見る。部屋を出る前に、サリアから渡されたものだ。俺がこれを持ってる理由はほかにない。
「うん。今この前言った体内の潜在的な魔力の色のことを調べていてね」
「そうなんですか。でしたら私も協力……」
「ああ、ええっと。まだその段階じゃないというか」
シフィーの潜在的な魔力は小さく、三色の差があまりない可能性が高い。現段階の試作品で結果が出ない可能性の方が高い。そもそも、まだ確証はないのだ。今は演習に備えて時間を使ってもらった方がいい。
「今のテストが上手くいったらシフィーの測定もさせてほしい。その時にはちょっとだけ時間をもらっていいかな」
「えっ……。あっ……。はい、もちろんです」
「それまでは演習に向けて頑張って。ほら、お友達が……」
俺はこちらに足早に向かってくる金髪のショートカットの一年生を見る。
「……はい頑張ります」
シフィーはそういってマーキス嬢の方に行く。うーん、やっぱりこの前よりも元気がない。実験がうまくいって彼女の役に立てばいいんだけど……。
◇ ◇ ◇
「これでどうだ」
テーブルの上には薄い輪が三つ並んでいた。車輪のように中央に軸受けがある。もう針とはいえないな。『測定環』とでも名付けようか。軸受けもついている。
真紅を塗って先日と同様にリーディアを測定をする。菱形の針よりもずっとスムーズに回転した。先日よりも遠くまで測定感度を保つ。期待通りだ。
「次はいよいよサリアね」
リーディアの言葉にうなずいた俺は、クロマトグラフィーで有効成分だけを抽出した青の上級触媒、いわば『真青』を二つ目のリングに塗った。二色の測定環が並ぶ。
「二色の超級触媒か。ますますグランドギルドの遺物じみてきたな」
「もともとそういう目的ですから」
測定環を持った俺に鋭い目を向けるサリアだが、無言で目をつぶり力を抜いた。さて、いよいよだ。これまでの測定が赤だけのものなのか、青も、いや魔力を捉えられるのかが決まる。
「……あれっ?」
俺は青の測定環を見て首を傾げた。赤く塗られたリングが動かないのは予想通りだが、青く塗られたリングは反応してはいるものの回転しない。震えているという感じだ。
「反応はしているわね。サリアから意識して魔力を動かしている感じもしないし」
「うーん。ちょっと待ってくださいね」
俺は測定儀を手に取った。まずは、この振動が測定する方向に依存しないかを確かめよう。サリアの背後に回ろうとした時だった。手に感じていた振動が消えた。手を見ると、青の測定環が回転している。あわてて測定儀を水平に戻す。すると回転が止まり振動が戻った。なんだこれ?
「回転の角度が違う?」
何度か手首をひねって原因が分かった。青の測定環の回転は測定儀を右に傾けた時にだけ起こるのだ。
…………
「方位磁針の原型にとらわれていたようです。赤が水平で回転するからそういうものだと思っていましたが、同じ回転でも青は右斜めの角度を持っているようですね」
俺は興奮を抑えて結果を整理した。ちなみに、赤と同じく対象に対してどの向きから測ろうと同じだった。これは、潜在魔性と回転が不可分に結びついていることを意味する。
そして何より、魔力の色が回転の角度という性質を持っていることを示す。
これはかなり大きな発見ではないか。測定という意味でも、魔力の色と強さを角度と回転という二つの量で判断できる可能性が見えた。
「次々と面妖な結果が出るものだな」
「ええっと。ただこれ面白いんですけど。一つ困りましたね。完全に同じ条件で回転数を比べられない」
俺は角度を変えた測定儀を指ではじいた。水平に置かれた赤の輪は、斜めに置かれた青の輪よりも長く回転を続ける。これは摩擦によるものだ。
「緑も含め、この差を補正する必要があります。それも、なるべく厳密にですね」
「どうやるの?」
リーディアが首をかしげる。騎士には個人差があるし、触媒には相性がある。超級相当とはいえ、三色が同じ魔力感度を持っている保証などないのだ。
だが、俺には目論見があった。先日文官長に呼び出されたときのことを思い出したのだ。
「実は格好の測定対象があります」
俺は学院の窓から見える本宮の二階を指さした。