#9話:前半 試作品
二日が経った。文書保管庫で乱れた書類を並べ替える仕事を終え、俺はリーディアの代表室に向かった。途中で短い金属の棒を持ったシフィーを見つけた。マーキス嬢と一緒だ。二人は実習室に入っていった。
シフィーの持っていたのは確か練習用の狩猟器だ。狩猟器は武器。初心者が魔術を暴発させたら本人も周囲も危険だから、最初は小さく刃がないものを使うのだ。これでも、魔術が発動すれば下級魔獣くらいはひるませられる、らしい。問題は無地だったこと。あれではただの棒だ。演習まで後十日くらいか。心配だな……。
ドアをノックして代表室に入る。リーディアとサリアはテーブルの前にいた。二人の前には赤い液体が入った小さな瓶と、黒い布の上に細長いひし形の金属が三つずつある。
「これでどう?」
やる気満々といった感じのリーディアが言った。
俺はテーブルの針を手に取る。銀色に輝いている。魔導金属は高品質であるだけ強い輝きを持つ。薄くて平な造形で大きさも形も寸分たがわない。重量は同じ大きさの木くらいか。息を吹きかけたら動きそうだ。にもかかわらず力を入れてもたわむ気配がない。
小瓶の中は三種類の赤の魔力触媒だ。色がだんだん鮮やかになっている。最後の一つはピンクに見えるほどの輝き。おそらく中級、上級、そして真紅だ。
「はい。十分です」
「じゃあ始めましょう。いよいよ目の前でレキウスの錬金術が見られるのね」
リーディアが目を輝かせ、サリアは瞳を鋭くとがらせた。
これからやるのが歴史的な意味での正しい錬金術かといわれると違うが、旧時代の知識で魔術の分析を行うことが俺の錬金術だ。その可能性を魔力触媒という物質から、魔力という未知の力に拡げることができるかどうか。そう考えるとこれから始めることは極めて重要といえる。
もちろん、成功したらの話だが……。
「まずは、魔力触媒を塗った針が魔力に反応して動くかを調べます」
俺は三本の針に三ランクの魔力触媒をそれぞれ塗布した。次に、持ってきた糸を針の中央の穴に通す。同じく持参した試験管立てにつるした。
赤く染まった針が木枠の中に水平に並ぶ。見た目は本当にしょぼいな。
「では、リーディア様はこれに向けて魔力を出してみてください。魔術陣に流すような要領ですね。念のため少し距離を離して、中級触媒から始めましょう」
俺も椅子から立ち上がり、横によけた。
「お安い御用よ。ちなみにどうなればいいの?」
「それを言っては実験になりません」
「そうなのね。いいわ、見てなさい」
リーディアは右手を中級の針に向けて目をつぶった。リーディアから見て横を向いていた針がかすかにふるえるが、それだけだった。とはいえ、反応しただけで上等だ。
「大丈夫です。次に行きましょう」
リーディアの手が真ん中の針に向く。反応はすぐに表れた。針がリーディアの手の方向に向いたのだ。これは方位磁針が東を向くのと同じだ。魔力という水の流れに綱を付けた小舟を浮かべたような感じだ。
「いいですね」
予断を持たせないために無言でいなければいけないのに、思わず声が出た。
「そう。じゃあいよいよ最後ね」
リーディアの表情が輝いた。俺が「あくまで慎重に」と言おうとしたが、彼女はピンク色の針に手を向けた。次の瞬間、試験管立てが倒れた。そして、さっきまで俺が座っていた椅子に、ピンク色に染まった針が突き刺さっていた。
「……暗殺用か?」
サリアが冷たい声で言った。今日初めての発言は物騒だった。まあ、もし座っていたら腕に刺さってただろうな。
「…………」
恐る恐る針を引き抜く。金属部分は歪みもしていないが、触媒は剥げてしまっている。ちなみに、残りの二本は紐につながったままだ。
「ま、まずかったかしら」
「いえ。むしろすばらしい結果です。これで、最初の問題である魔力触媒を塗った魔導金属が魔力の流れを力として受けることが確認できました。そして、その力に対する感度は触媒の質に対応する。ただ、上級と真紅の差が思ったより大きいですね」
「触媒は等級ごとに十倍近い効率の差があるといわれてるわね」
「なるほど。では次の実験は上級にしましょう」
俺はエーテルを浸した布で触媒をふき取り、三本の針に全体、半分、四分の一の表面積になるように触媒を塗りなおした。
「これになるべく均等に魔力を向けてください」
次の実験は魔力触媒を塗った表面積が受ける力に比例するかどうかだ。リーディアが何度か調整して実験した結果は明らかだった。四分の一しか塗っていない針は中級触媒とほとんど変わらず震える程度、半分まで塗った針は全体に塗った針と同じく魔力の流れに方向を合わせたが、糸の傾きが小さい。
「私としては怖いくらい順調ですが。リーディア様たちはこの結果をどう思いますか?」
「そうね。こんな風にちゃんと比べるのはびっくりだけど。結果としてはああこうなるのね、といったところかしら。私たちが意識しなかったのは、やっぱり針が軽いのが大きいのかしら」
「そうですね。私の短剣と比べてもこの針の重さは数百分の一ですから。このように小さな魔導金属を使うことはない。触媒を全面に塗るなどということもしないですから」
サリアとリーディアが狩猟器を使い慣れた人間の感想を言う。
「あっ、でもコツがつかめてきたわ。ほら、こんなこともできるわよ」
リーディアの言葉と共に、針がいろいろな角度で動く。器用に針を回転させるまで、やってのけた。
「ええと、すいません。術者の意思によって結果を左右されては実験の目的にそぐいません」
「そうなのね……」
「いえ、むしろはっきりしてよかったです。今のがあくまで術者が意識して動かした魔力ということですから。次は、本題である騎士の体内の白と三色の中間の魔力ですが、その前に確認です。今のリーディア様の手からの魔力だとサリア様なら感知できるでしょうか」
「そうだな。魔術が発動するほどではないが、私ならわかるだろう」
なるほど。少なくともこれを超える感度じゃないと意味がないということだ。
「では次は意識せずに、リーディア様から自然に漏れる魔力を針が感じ取れるかということです」
……
「ピクリともしないわね」
俺は全面に上級触媒を塗った針をリーディアに近づける。リーディアが意識して魔力を発した時は十分反応した針が全く動かない。
ちなみにサリアは席を外している。一年生の学年代表、つまりマーキス嬢が相談に来たので、リーディアの代理として廊下で話を聞いているのだ。
「これを試すしかありませんね」
俺は針の一本の魔力触媒をエーテルで洗い、真紅に塗り替えた。
「何も考えないようにするのよね」
リーディアは深呼吸をして、手から力を抜く。俺は針を吊り下げた台をゆっくりと彼女に近づける。手のブレが伝わらないように慎重に。針がピクリと動いた。あわてて手を止める。
「ど、どう?」
「すいません。静かにしてください」
じっと糸を見る。今のは俺の手の動きに反応しただけか? さっきと違ってまったく角度は変わらない。方向もリーディアに向いたりしない。もう少し近づこう。あっ、また反応した、左右に振れている感じか。よし、もう一歩……。
「あの、レキウス……」
ちょうどリーディアの心臓の高さに針を近づけた時だった。針が大きく揺れた。落ち着いて位置を保つ。……あれ、おかしいぞ。
「レキウス?」
俺の目の前で針が水平に回転を始めている。これは……。
「リーディア様。今意識してますか?」
「そ、それは、仕方がないんじゃないかしら。だってこんなに近くに」
リーディアの焦るような声。柑橘系の香料が鼻をくすぐる。強気な彼女には似合う香りだ……。俺は目をつぶった十六歳の少女と息がかからんばかりの距離にいた。針の向こうには制服の白い生地を押し上げる形のいい膨らみが見える。
俺の方が冷静さを失ってどうする。頭を振って雑念を払う。
「ええっと、確認です。さっきの様に意識して回転させようとはしていないですね」
「え、ええ、それは大丈夫」
これは面白いんじゃないか。
俺は興奮を抑えて少しづつ距離を放す。回転はすぐに弱くなり、すぐに停止した。どうやらこの力はすぐ近くじゃないと感知できないごく弱いものだ。
「このまま続けますね。背中に回ります」
「お、お手柔らかに」
…………
ぎゅっと身を固めるリーディアを右回りと左回りの二回測定した。針の回転はどの角度でも全く変わらなかった。純粋に距離に従っているようだ。
つまり、リーディアの体内から自然に発せられている赤い魔力、俺の想定では薄く赤に色づいた魔力だが、これは同色の魔力触媒を塗った魔導金属の針を回転させるのだ。
「回転している?」
「はい。おそらくリーディア様の胸部、えええと心臓を中心にそういった魔力が発生しています」
「私たちが普通に魔術を行使しようとしたときとは、違う形の魔力があるということ?」
「厳密に言えば違う状態の赤の魔力でしょうか。方向性がないこと、ごく微量であることから、今回の実験の目的である体内の薄く色づいた魔力である可能性があります」
「私たちが意識していない魔力……」
「さらに言えば、回転の速さで魔力の強さを判断することができる可能性があります。ただ、まだ一色ですので。例えばリーディア様が食事を通じて体内に保持している白い魔力が反応した可能性もあります。ちゃんと測定するためには三色すべて。それも、もう少し感度が必要です。これは形について少し工夫した方がいいかもしれません」
俺は針ではなくリング状の構造を紙に書いた。
「サリアに相談してみる必要があるけど。できるんじゃないかしら」
「あとは……ああそうだ。微弱な反応ですので、一つ気になることが」
「何かしら?」
「リーディア様のその制服ですけど、魔獣の素材ですよね。服に魔力が残ってるとかあったらと……」
俺はリーディアの服を見ていった。
「大丈夫だとは思うけど。そうね、その針の感度から考えて絶対とは言えないわね……」
そこまで言ってリーディアはみるみる赤くなっていく。そして、左右を確認して口を開く。
「その、脱ぐ必要があるってことよね……」