#6話 商売の話?
十三番街は商業区でも小さな商店が集まる場所で、工房群と隣接している。店の奥の窓からは、ゆっくり回転する水車が見える。本日は晴天であり、川の流れも穏やからしい。
一方、穏やかでないのが同い年の女性だ。栗毛を結い上げた商人は窓の鎧戸をぴしゃっと閉めると、俺の前に座った。染料の染みた細い指が、意匠を凝らした小箱を開いた。
天井のランプの光が、大粒の紅玉を輝かせた。
「なるほど真紅の代金か……」
「なるほど、じゃないですよレキウス様。染料の代金として宝石が届いた時のウチの気持ちがわかりますか? ただでさえ偉く凛々しい騎士様が持ってきたのに」
我がお姫様はレイラ相手にもやらかしていたのだ。しかも、聞く限りサリアが直接届けに来たらしい。さすがに灰色のフードで顔は隠していたようだが。
「普通は外円とのやり取りは文官か家の使用人に任せるからな……」
「じゃあ文官であるレキウス様が来てくださいよ」
俺のフォローにレイラは目を剥いた。
「こっちはこっちで、上に呼び出されてた」
「上というのは?」
「レイラ達流に言えば都市で一番偉いお役人様だな」
「っ! ……でもレキウス様は自業自得ですよね」
一瞬ひるんだレイラだが誤魔化されないぞとジト目を向ける。俺は閉まった窓に視線を逃そうとして失敗する。レイラがため息をついた。
「……まあケチなのよりはいいですよ。権力嵩に商品価値を無視した値付けをされたら商売ができませんから。ただですね、ウチ程度がどうやってこれを捌けっていうんですか。宝石は骨董品扱いなんですよ」
大昔、金属や宝石は鉱山で取れたらしい。現在の魔の森に囲まれた中で採掘など不可能だ。金属や硝子の道具の原料は、グランドギルドあるいは旧時代の遺跡の遺物を融かしなおした物を使っている。
ガラス工房や鍛冶屋の仕事であり、俺が錬金術に使う試験管もそうやってできる。
例外的にその美術的価値から現物が商われるのが骨董品だ。そしてこの手の物は誰がどう値付けするかで値段が大きく変わる。いや、誰が持ち込むかでもだな。
目の前の若い女性は十三番街の出世頭だが……。
「先日のガラス器ですら大変だったんですよ。父さんに聞いてご指定の地域から出てもおかしくないのを探しましたから」
「あれは助かったよ」
遺跡の年代や地域によって骨董品は形式があるのだ。それっぽいのでいいと思っていたのだが、骨董品の目録まで作られている。見る人間が見たらおかしいとわかるということだ。本当に商売においては手抜きがない。
「ただ、その分当面の仕入れのお金も無くなってましてね」
「わかった。わかったから。ええっと、とりあえず当面はこれで何とかしてくれ」
恨めしそうに大粒のルビーを見るレイラに、俺は文官長からもらった金貨を袋ごと渡した。資金があれば、換金についてもタイミングを計れる。俺は当面の資金を失ったが、どうせレイラを通じて使うはずだった金だ。
「わかりました。これをお金にする手段は時間をかけて考えます。じゃあ、これは持って帰ってください」
「いいのか?」
「お預けしておかないとおちおち眠れません」
「だよな」
俺は小箱を受け取った。リーディアとしては出来るだけのことをしようとしたのはよくわかるが、やっぱり感覚が違いすぎるんだよな。
「今後のこともあるから、一度会ってもらった方がいいだろうな」
「問答無用で切られたりしませんか?」
レイラは身を震わせた。
「なんでそこまで警戒するんだ。大丈夫だ、リーディアはああ見えて気さくなところがあるし、いざとなったら俺が取りなすから」
「それ一番危険なんじゃないですか?」
「だからなんでだよ。まあ、いずれの話だ」
レイラはしぶしぶと言った感じで頷いた。
「じゃあこの代金の使い方の話、副業の話をしよう。錬金術を今後どうやって進めるかだな」
「全然話が軽くならない……。まあ、商売人としてやると決めた以上はやりますけど。ええと、真紅だけなら次の注文は下手したら十年後とかですよね。臨時収入ならそれでも別にいいですけど、生産体制を維持するにはそれじゃまずいです」
「そうだな。少なくとも必要になったらすぐにあの手の作業ができる状態を保ちたい」
「真紅を別のお客様に売るのが一番簡単ですけど、魔力触媒は表向き扱えない上に、一番上の触媒は普通の騎士様は使わないんですよね」
「普通の魔術に超級触媒は過剰品質だからな。ただ、触媒としての性質が優れているのは間違いない。入手の困難性から用途が失われている可能性があるから、将来的には可能性がある。あるいは都市外には需要はあるかもしれないな」
「禁制品の密交易とか本当に勘弁してください」
せっかくの錬金術の成果だ、有効に活用したい気持ちはあるが現状では無理だ。大体、リーディアにも言った通り、俺自身が錬金術の可能性を把握しきれていない。
「そうだな。ゆっくりいこう」
「すでに急ぎすぎですけどね。……それではお客様は当面リーディア様御一人と考えます。そのお客様のお望みは都市そのものである結界の安全。……商売している気がしなくなってきましたけど。ええっと、どんな商品が必要そうですか?」
無理やり商品とかお客様という言葉を使っている。あくまで商売として考えようとしている彼女は頼もしい。途中で挫けかけているが……。
「まず考えられることは真紅と同様に青と緑の超級相当の触媒を用意できるかだ。次に結界に問題が起こったとき対象が赤とは限らないからな」
犯人捜しは文官長に任せるとして、こちらは錬金術で予防的な手を打つ。
「王女様……じゃなかったお客様に青や緑に同じことが起こっても対応できるという安心にお金をお支払いいただく形ですか」
「そうだ。あくまで万が一のための用心だ。成功の保証はないし、これだけなら一過性の取引にすぎない。でも、錬金術で触媒の精製がどこまでできるかを把握できる。原材料、青と緑の上級魔獣の血も要求できるだろう」
俺としても三色の超級相当の触媒はそろえておきたい。触媒自体に通常の魔術的な需要はなくとも、グランドギルド時代の魔術を理解するには必要になってくるはずだ。
「お客様のお金と材料で……お客様と利害を一致させる形では理想的ですね。……わかりました。商売としてはその線で行きましょう」
「ああ、上司のリーディア様にもそれで話を通す」
俺たちはかろうじて踏みとどまりつつ『仕事』の話をまとめた。
レイラが窓を開けた。涼しい風が吹き込んだ。俺は窓の外を見る。染められた布が風にはためいている。「いい東風です」髪の毛を抑えてそういったレイラ。背景の布の流れと相まって絵になる。
「そういえば。頼まれていたことなんですけど」
「えっ、あっ、なんだっけ?」
「ラウリスとグンバルド。東西の都市連盟からの商人のことです」
レイラは頬を膨らませた。さっきまでのドレスでも着せたら騎士の令嬢にも負けない雰囲気はきれいに消えている。
「そっちもあったんだったな」
俺は以前市場で見た外からの商人のことを思い出した。
「といっても先日の骨董品を仕入れる時に世間話として聞いたことで、まだ大したことはないんですけど。ええっと、向こうでは商人の間で骨董品を集めるのが流行になってるって話はしましたよね。ちょうど今頃、東のラウリスでは大規模な骨董品オークションが開催されてるみたいです。加盟都市からも大勢の好事家が集まって、それは盛況なものらしいです」
「すごいな。希少な骨董品にそんな大規模な市場が成立するのか」
「今の情報だけでそう判断するレキウス様は本当に文官ですか? といいたいところですけどいまさら言いません。まあ、向こうは人の数が違いますからね。ラウリスは岬の先ですから陸の猟地は小さいんですけど、人の数はどんどん増えてるみたいです。平民街の建物でも四階とか五階とか」
「それはすごいな……。ええとちょっと待てよ。地図を持ってきてる」
俺はテーブルに地図を広げた。