#3話 書庫
リーディアの婿候補の三番目、将来の緑のエースと目される四年生は不在だった。準騎士として猟地に出ているらしい。まあ、カインは俺にとっても珍しく話せる学生だからいくらでもチャンスはあるだろう。
となると、今できることはリーディアを取り巻く状況の整理だ。静かな場所で落ち着いて考える必要がある難題だ。となると、我が仕事場が最適である。
学院から隣接する城にもどる。城門で振り返ると、城を中心とした円形の都市が見おろせる。中央の城、それを取り囲む第一の円が騎士街。引き込まれた川を境界にそれを取り囲む第二の円、これは城壁だが、が平民街だ。
城門をくぐると中央広場の奥に騎士院と王の本宮。右に白い魔術院、左に灰色の文官“棟”が並ぶ。
左に向かった俺は、文官棟を通り過ぎ、その裏にある円形の古い建物に入った。
灰色の文官が数人、棚に取りつくようにして紙束を出し入れしている。若手が多い。書類運びは下級の仕事だ。
ここは文書保管庫と呼ばれている。部署ごとに棚がわかれ、年代別に列を作る。一番多いのは猟地における狩猟結果の記録、次が平民街の税金関係だろう。
外周を回って最奥に向かう。奥に行くほど古い書類なので、すぐに人の気配はなくなる。
一番奥の扉を開け現れた暗い階段を降りる。古いドアを開けると、古い紙の臭いが鼻孔に届いた。半円形の地下室に入る。ここが文官としての我が仕事場だ。
……明らかに隔離されてるんだよなあ。まあ、文官に落ちたばかりの元騎士階級は扱いが難しい上に、元実家からもとにかく目立たせるなと注意されてるのだろう。
大量の巻物が積み重なった古い本棚が俺の相手だ。もともと文書保管庫は旧時代の遺跡、図書館跡だったらしい。この地下室は司書室と呼ばれていたようだ。
旧時代の書物の目録作り。それが俺の役目だ。誰にも必要とされない、ある意味実に気楽な仕事だ。もちろん、あてがわれた当初は思うところがあったが、今はそうでもない。何しろ、俺はここで自分の将来『錬金術』を見つけたのだから。
まあ、今は文官としての、そのさらに副務であるリーディアの右筆の仕事が優先だ。彼女の「状況を最大限考慮する必要がある」という言葉。これは重要な条件だ。実力というのはその状況により価値が変わる。
アントニウス・デュースター、ダレイオス・グリュンダーグ、そしてカイン。この三人の誰が候補としてふさわしいかは、彼らの実力が発揮される状況を想定して初めて決まる。
まずはこの狩猟騎士社会の概要だ。この都市が成立するまでの歴史。そういえば、昔シフィー達に講義したな。
現在の理解では、これまでの時代は大きく四つに区分される。旧時代、暗黒期、グランドギルド時代、そして現代だ。
旧時代というのは約二千年前まで。人間が魔術を生み出す前の時代だ。魔力すら知らない極めて劣った時代とされている。地面を耕し草の実を栽培するという、狩猟に比べればはるかに原始的なやり方で食料を得ていた。農地、そしてそこで働く農民を支配する貴族と呼ばれる者たちが力を持った社会だったらしい。
ただ、俺は必ずしも未開とは思っていない。魔力がない時代には魔獣がいない。地表の大部分を人間が支配していたのだ。
魔の森に点在する遺跡の数と規模から、人口は今よりずっと多く、ワイン醸造や染色、製鉄などの職人技術も存在していた。この時代の書物、ここに残っている物、から察するに論理的思考や整った法体系があったこともわかる。
とはいえ滅びたのは間違いない。草の実を栽培するには広い土地が必要で、二千年前に魔力により魔獣が生まれれば維持できないのは容易に想像がつく。
旧時代の崩壊後に訪れたのが暗黒期だ。
あまり記録は残っていないが、魔獣に圧迫された人間は魔力の薄い地域に集まって何とか生きていたようだ。年々力を増す魔獣から生存領域を守るために戦う中、人間の中にもわずかに魔力を扱うことができるものが生まれ、その魔力を使って戦う技術として魔術が生まれた。実際は現在の文明の萌芽だ。魔術黎明期とでもいうべきか。
尤も暗黒期には魔力を使える人間は旧時代の、もはや何の役にも立たない権力者、貴族から防衛の最前線で使いつぶされていたらしい。今となっては信じられない話だ。個人的には、騎士が旧時代をことさら貶めるのはこの時の記憶ではないかと考えている。
だが、彼らはやがてギルドという相互補助の組織を作った。ギルドは貴族たちを打倒し社会の主導権を獲得した。騎士革命だ。
その結果生まれたのが栄光のグランドギルド時代だ。
そのままグランドギルドと呼ばれる巨大都市と、そのギルドメンバー、現在で言えば騎士が魔獣を狩るために各地に基地を配した国家が栄えた時代だ。
中心となるグランドギルドは人口が二百万以上。現在よりもはるかに優れた魔術で、強力な魔獣も獲物としていた。伝承では魔術原理を研究する魔法学という学問が成立していたらしい。つまり、魔術の研究に専念した騎士の集団を持てる余裕があったことを意味する。これは現在なら魔術基礎として簡単に教えられるだけのものだ。
魔法院と呼ばれる機関で魔法学は発展し、巨大な船を魔力で宙に浮かせることすら始まっていたという。魔法学の大家たちが未解決問題として定義した大問題は、現在では神話のたぐいだ。
だが、その魔法院は魔力源の実験に失敗。魔力による爆発を引き起こした。グランドギルドは一夜にして消滅したといわれている。つまり、輝かしい時代はその中心を一瞬にして失ったのだ。
これが大体八百年前といわれている。そして現代までの流れが始まる。
グランドギルドの崩壊で、残ったのは魔獣を狩るための拠点として各地に配された狩猟基地だけだ。結界に守られた基地に生き残った人間が集まって都市国家が作られ、その中心が城と呼ばれるようになった。
都市は周囲に猟地と呼ばれる縄張りを持ち、そこで魔獣を狩り、また森の産物を採取して社会を支える。必然的に各都市は魔の森の中に点在していて、交流は小さく自立している。この都市リューゼリオンもその一つだ。
ただ、東西には大規模基地を前身とする大都市を盟主として、緩やかな都市の連合がある。
現在までの歴史の縦糸を手繰った。次はこれを踏まえた現状、つまり横に広げるべきなのだが、候補三人のうちカインの立場に関する情報が欠けている。準備不足だ。
となると、縦と横の交点、命令の起点であるリーディアにもどる。彼女が騎士であり都市の王女である以上、さっきの歴史はそのまま彼女を取り巻く状況でもある。
どこかの俺と違って、騎士としても将来を期待される才能を持つ上に、王の一人娘だ。大きく複合的な立場に頭が痛くなる。なんで俺に言った?
「まあ、部下としては上司の為に最善を尽くしますよ。まずはこの大きすぎる問題を、俺の小さな頭脳に入る大きさに切り分ける」
俺は地下室の奥に進む。『ペンは知の源なり』という言葉が書かれた額の下、外壁に合わせて曲面を描く黒い壁がある。壁に掛かった革製のケースを開け、白墨を取り出した。
もろくて折れやすい白い棒。だが、目に見えない情報を捌くための最良の道具。これが文官である今の俺の武器だ。