#2話 文官長
かび臭い文書保管庫から灰色の文官棟をへて城の一番奥、白い本宮に入った。
本宮は一階が騎士院の議事堂、二階に夜会などが開かれる大広間がある。二階に上がると、廊下から広間のシャンデリアが見えた。三色の魔力により夜の会場を明るく照らす、グランドギルド時代の遺産だ。
三色の魔力で白く光る点においては結界器と同じだ。一方、機能は照明にすぎない。これが壊れても都市は滅びたりしない。
とはいえ遺産は遺産だ。前回の件でグランドギルド時代の魔術について改めて興味を持った俺にとって、最も身近なサンプルといえなくもないな。
呼び出しも忘れてしばしシャンデリアを見上げた。三色の魔力が合わさって白く見えるということは、それはつまり各色が同じ……。
俺が考えていると、広間の奥から三人の白服が出てきた。慌てて廊下の端によけた。中央の一人は熊のような大柄な男だ。よりによってこんなところで鉢合わせるとは……。
グリュンダーグの御曹司ダレイオス。血縁としては四歳上の従兄ということになる。
「文官落ちが本宮に何の用だ」
「文官長殿からの呼び出しでまいりました」
仕方なく答えるとダレイオスは鼻で笑った。昔は親戚の兄貴分という感じだったんだけど今や天と地くらい立場が違う。といっても、次期当主としては一族本流から出た文官落ちはいないものとして扱うのが正解なのだが、無視してくれないようだ。
「そういえばリーディア姫の右筆になったと聞いたな。年下の女に縋るとは情けないと思っていたが。なんだ、文官の仕事すらまともにできんか」
表情を読まれまいと、黙って頭を下げる。多分だけど、仕事を果たしたから呼び出されている。まあ、まともな仕事じゃなかったのは確かだけど。
ダレイオスも危険な火竜狩りをしなくて済んだのだから感謝してほしいところだ。彼が結界破綻に噛んでないことが前提だが。
いや、そうとも言い切れないか。彼は典型的な、いや典型的すぎる騎士だ。より良い獲物をより多く狩れば問題はすべて片付くという思考。狩猟においても緑という色の特性に似合わず、先頭に立つらしい。それでケガを聞かないのだから実力があるのは間違いない。
あくまで狩猟騎士としての資質であり、グリュンダーグの跡取りとしては少し不安だが、都市の基盤は狩猟成果なのだから文句を言う筋合いではない。
リューゼリオンが一都市として完結している現状ではだけど……。
「ふん。こんなものと話していては、出発の前に興が削がれるわ」
黙って頭を下げ続ける俺に吐き捨てるように言うと、ダレイオスはパーティーメンバーを従えて行ってしまった。
顔を上げた俺は、筋骨たくましい背中を見る。火竜狩りが空振りになってやる気を持て余している感じかな。やはり、彼が結界破綻の陰謀を企んだというのはしっくりこないな。
といってももう片方、気取った言動のわりに慎重なアントニウスも、逆の意味でしっくりこないのだが……。
まあ、そこら辺については、これから向かう先の上司が詳しいだろう。
俺は大広間を周回する廊下の向こうにある目的地を見た。文官長の部屋は広間と王家のスペースの間にあるのだ。それは文官組織を束ね王に直属する彼の立場をよく表している。
さて、一度も話したことがない文官の頂点は、俺にとって敵か味方か?
◇ ◇ ◇
背後に広い窓を背負った部屋は広く立派なものだった。ただし、壁はわざわざ灰色に塗られ、せっかくの窓は半分衝立が覆っている。
左右に書類の山を重ねた広い机に座るのは、灰色の文官服の老人だ。違いといえば、裾に走る控えめな紫のラインくらい。
入室した部下をちらりと見ただけで右の山から紙を取り、ペンを走らせ、左の山に移すという作業を続けている。
黙って待っているとちょうど書き終わった紙を手元に残し、手を止めた。引き出しから別の上質な紙を取り出し、それを俺の方に突き出した。机に近づいた俺はそれを見たとたん、背筋が冷えた。
「監査委員の扉の直前まで運ばれたところで、こちらに引き取った」
ピンクの署名と王家の紋の透かしの入った指令書だ。俺の筆跡で、騎士を一人緊急に外に送っている。あれは急だった。カインが都市を出るにあたって各所に対して無理が行われている。
物が物で、時期が時期だ。興味を持った文官が出てもおかしくない。もちろん、リーディアが確かにそういう命令を出したといえば表向きの問題はない。だが、現状では潜在的な敵、裏切り者に何らかのヒントを与えた可能性はある。
俺はごくりとつばを飲み込んだ。それを見た文官長は無言で紙を掴むと、背後の暖炉にくべた。どうやら彼は味方であるらしい。俺ではなく王家のだろうが。
「ご配慮ありがとうございます」
頭を下げる俺に無言で頷くと、出来立てのもう一枚を俺に見えるように向けて持ち上げる。書式は文官への任命書だ。
「文官レキウスをリーディア殿下の右筆として正式に任じ、書庫番の任を解く」
事務的な口調の後こちらに押しやった。
これまでは準騎士である学生に、業務時間の一部を割いて仕える形だった。これからは専任、それも学生リーディアではなく王女リーディア付きだ。任命書に書かれた俸給はこれまでの倍はある。古い書物の目録作りや、閲覧で乱れた書類を時系列順に戻すという仕事ともおさらばである。
「不満か」
手を伸ばさない俺に文官長は言った。俺は希望を答える。
「右筆はあくまで兼任、書庫番の職はそのままにしていただけませんでしょうか」
老人の眉がピクリと撥ねた。探るような瞳が俺を見る。俺の要求は要するに今のまま、閑職文官にしておいてくれということだ。
「理由は?」
「文官長殿は私が仮にとはいえリーディア様の右筆であることすら反対だったと思います」
「……」
この沈黙は間違いなく肯定だ。
「私の立場はあくまで書庫番兼任で、準騎士で学年代表のリーディア様の右筆、それも卒業までの間の期間限定。この形を保つべきと愚考いたします」
「……そう思わせておいた方が都合がいいと」
やっとまともな会話が成立したが、誰にとって都合がいいかが意図的に抜かれている。
「いろいろな方々にとっても、そうだと思います」
もちろん俺にとってもだ。俺の最大の武器は情報と知識だ。錬金術の研究の時間の確保、文書保管庫及び書庫の古文書へのアクセス、外円とのやり取り。今の立場はあつらえたように都合がいい。
欠点としては錬金術に使う金が足りないことくらいだ。
「……文官という立場についてどう思う?」
また主語がない。普通に考えたら落ちた俺が現状に不満を持っているか、との質問だが、この前のことを考えると違うだろう。
「一言で言えば矛盾でしょうか」
「……」
「その権限の範囲に対して地位が低いという矛盾。城に仕えている建前と、有力騎士家との個別の繋がりの矛盾。人口数万を数える都市全体の安定を志向する立場と、小さな集団で行動し不確実な狩猟を主とする騎士に合わせる矛盾」
これは歴史を知っているからわかることだ。旧時代の支配者である貴族は二種類に分かれていた。半分は今の騎士の様に力をよりどころにするが、残りの半分は今でいう文官なのだ。
両方を行き来した貴族だって珍しくはない。つまり、基本的に対等なのだ。
目の前の老人は旧時代なら宰相と呼ばれ国政の中心だろう、下手な騎士など及びもつかない地位だ。グリュンダーグの当主と肩を並べていてもおかしくない。だがいまの彼は騎士階級の使用人の総責任者。いや、騎士にとっては雑用係の元締めにすぎない。
文官長というシンプルな職名はそれを象徴しているのではないか。
さらにその統制体制だ。文官長は王直属だが、文官は騎士院の監査委員で監督される。それも半ば恣意的に。例えば商人からの賄賂を理由に投獄とかだ。ちなみに半ばというのは、賄賂が本当であるケースが結構あるからだ。
その本質は狩りで都市を離れることも多い騎士が都市を管理する文官を統制するための脅しなのだ。
昔を知っていると歪だと感じる。もちろん、すべてが狩猟に依存する現在の必然であり、そして都市一つの規模であるうちは維持可能ではあると思うが。
「ずいぶんと文官について詳しいではないか」
俺の言葉に文官の頂点は頬をゆがめた。
「それはですね…………。あの、私は文官なんですが」
弁解しようとして馬鹿馬鹿しさに気が付いた。いや、仲間扱いされてないのは知ってるけど。
「本題だ。私は王の命で例の件の犯人を調査している。ちなみに、結界器そのものについての対策はリーディア殿下が担当なさることになっている」
「なるほど。『誰が』『どうやって』結界破綻をもたらそうとしたのかにおける分担ですね」
文官長は魔術には手が出せない。彼のターゲットは当然人だ。
「といっても相手が相手だ。次の動きが出るまでは直接的な手は打てない」
有力な容疑者、つまり結界破綻が起こりうることを事前に知り火竜狩りの準備を整えていた両家、は彼にとっては完全な上位者だ。これがまさしく矛盾なのだ。
「これだけで難題だが、そこにとどまらぬ可能性がある」
「『何の目的で』ですね」
都市そのものの破壊を目的とした場合、真の犯人は都市外の可能性が十分ある。グリュンダーグもデュースターも、リューゼリオンを破壊する理由はない。むしろ、破壊したら一番損する人間に属する。
「それに関しては一つ考えるべき点があります」
「ほう?」
「直接の犯人は結界破綻を最終的に回避する手段を持っていた、あるいは持っていると思わされた可能性です」
「……触媒を外から入手する伝手があった。あるいは狩りの成功を保証する何らかの手段があった、そういうことか」
俺は頷いた。結界破綻を回避する方法を必死で考えた時、まず俺の脳裏に浮かんだのが純粋な力の不足と、外からの入手だった。
「外との接触で考えられるのが商人を介することです。秘かに超級触媒を持ち込むとかですね」
「調査の参考にしよう。……なるほど言われた通り、ずいぶんこざかしいな」
文官長は手元の紙にペンを走らせながら言った。こざかしい、誰の評価だ?
「下級の文官は市場の商人や職人と直接接触する機会もありますので」
「…………なるほど、これはひっこめるのが正解だな」
任命書を両手で二つに割いた。
「代わりに必要なものは?」
「当面の活動資金です」
「副業で稼いでいるそうではないか?」
「先日の件で収支が逆転しました」
古来より、錬金術には金がかかると決まっているのだ。俺と老人の視線が机の上でぶつかった。
「そちらに関しては手も口も出すなといわれているからな」
文官長はそういうと、机の引き出しから革袋と、印章を取り出した。
「当面の活動資金と、私の部下との連絡のための符丁だ。ことの性質上、監査委員の目を避けねばならん」
俺は革袋を受け取った。ずっしりと重い。中身は金貨だ。印章を前に指が止まる。油断ならない上司が増えるのは今回の件を考えれば仕方がない。もともと上司といえば上司だし。
問題は二人の上司が違うことを言い出した時だ。
「今回の人事、殿下にはそなたから説明するように」
躊躇する俺に文官長は付け加えた。リーディアに隠す必要はないということらしい。やはり文官長はあくまで王家側と解釈していいだろう。
…………リーディアの意向に反することの説明を押し付けられたんじゃないよな。
部屋を出た。白い廊下の壁がまぶしい。さっきまでいた灰色の空間を思い出す。壁の色はともかく、せめて衝立だけでも横にずらせばいいのに。