#1話 呼び出し
2019年10月1日:
お待たせしました。
第二章『進級試験』投稿開始です。
学年最後の授業について、一年生を集めての説明が終わった。一人残されて注意を受けた後、廊下に出た。重い足取りで一人廊下を歩く。同級生たちは初めての演習について興奮気味に話している。
演習用のパーティーを結成するためのグループがあちこちにでき始めている。もちろん、私に声をかけてくるような生徒はいない。進級がかかった大事な演習に足手まといと一緒になんて人間がいるだろうか。
ただ一人、大勢の同級生に囲まれている友人が心配そうな目を私に向ける。学年代表の彼女にいま負担をかけるわけにはいかない。思わず顔を伏せて早足になる。同級生の集団から抜けようとした時だった。
私の前に、赤いきらめきが出現した。ざわめいていた廊下が一瞬にして静まった。
「あなたがシフィーね」
顔を上げると、輝く赤毛を靡かせる上級生が紫の瞳で私を見た。一瞬睨まれたのかと錯覚するくらい強い視線だった。
リューゼリオンの王女にして二年生の学年代表、準騎士の身ですでに上級魔獣の狩りに成功している赤の星。私とは何もかも正反対の方だ。
ヴェルヴェットが慌ててリーディア様の前に駆け寄る。だが、リーディア様はそんなヴェルヴェットに「ああ、今日はあなたじゃないの」といって、改めて私の方を向く。
両手を腰に当てて私を見る。紫の瞳がまるで品定めするように、私の体を上下した。
「私の部屋まで来てもらえるかしら。例の件で話があります」
私は思わず先生の姿を探した。
◇ ◇ ◇
初めて入った二階の学年代表室。一年生のと同じ作りだけど調度が違う。私がお尻を乗せているのは赤い毛皮を敷いた椅子。前には職人が精魂込めて作ったのだろう分厚いテーブル。
テーブルの上で湯気を立てているカップは薄さと白さから磁器製だとわかる。添えられた曇りないガラス壺には黒蜜。お茶も黒蜜もここに連れてこられるまでは、お話でしか聞いたことがなかったものだ。
ここに来た頃はその甘さに幸せな気持ちになったこともあるが、最近は罪悪感と共に飲み込むものだ。私はここにいてはいけないんじゃないかと思いながら。
そして何より目の前の部屋の主。優雅な手つきで白いカップを手にもつ王女様。普通ならサリア様が立っていて、私が座っているだけであり得ないことだ。
「お茶は口に合わないかしら。何なら別の葉を……」
「いえ、いただきます」
私は震える手でカップを持ち上げ口を付けた。リーディア様も同じように口を付ける。カップを傾ける動作の美しさに同じ学生でも自分とは全く違うのだと思い知る。
「そんなに緊張しなくていいわ。今回はお礼のために呼んだのだから。そうでしょ、私の右筆がとても世話になったのだから」
「リーディア様からお礼なんて、そ、そんな……。ええっと、リーディア様の右筆? …………あっ、レキウス先生」
一瞬戸惑った私だがすぐにここに呼ばれた理由に思い至る。先日、私は先生のお手伝いをした。私の答えにリーディア様は顔をしかめた。
「……先生?」
「あっ、はい。私にとってはレキウス先生は……。先生はここに来たばかりで右も左もわからない私に、本当に優しくいろいろ教えてくださったんです」
私は一年生になる前の魔術基礎の授業のことを説明する。
「やさしく……いろいろ……ね。そ、そうなのね」
リーディア様のカップに波紋が広がった。
「それで、兄……レキウスとどんなことをしたか、具体的に聞いておこうかしら。あなたの貢献について理解しておかないといけないもの」
「はい。私がしたことは本当に誰でもできることで……」
私は水車のある工房での一夜を説明した。
「へ、へえ、一晩中一緒だったというわけね。事態が緊迫していたとはいえ、女の子に対して配慮に欠けるわね」
私が話し終えると、リーディア様はカップのお茶を一気に飲み干してから言った。
「えっ、あ、大丈夫です。もう一人の商人の女の人も一緒でしたから」
ガチャという音がしてカップが皿に降ろされた。
「リーディア様そろそろ本題に入られた方が」
隣に立っていたサリア様が初めて口を開いた。
「そ、そうだったわね。レキウスがあまりに……だからちょっと気になっただけ。ええと、そう、本題ね。シフィー、望みを言いなさい」
「の、望みですか?」
「あなたは“私の指示”に従って結界破綻を防ぐために尽力した私の右筆であるレキウスに協力したのだから。リューゼリオン王家の娘として、レキウスの上司として、私があなたに相応の褒美を与えなければならないでしょう」
リーディア様の言葉に私は反射的に首を振った。
「レキウス先生がしたことは先生以外に誰にもできないことです。でも、私がしたことは、ここの学生なら誰でも、多分私よりも上手にできることです。それに、あれは私が先生に触媒のことで助けてもらったご恩返しです。あっ、もちろん秘密は誰にも言いません。もともとクロマトグラフィーは先生と私の秘密ですから」
私は何とか言い終えた。リーディア様を見ると、顔を伏せ肩を震わせている。あ、あれ、私何かおかしなこと言ってしまった?
「サリア。この子、手強いわ」
「先に緊急の方を進めましょう。私の方からいいですか」
「……任せる」
リーディア様がしぶしぶ頷く。サリア様がリーディア様の隣に座って、温度を感じさせない黒い瞳を私に向ける。
「『真紅』の情報管理の体制を整える必要がある。あなたはすべてを知っている数少ない人間の一人であることをまず自覚して。あなたとあの者の個人的関係云々に収まらない案件なの。何人に対しても口外は不可。もし漏らした時は最低でも投獄を覚悟してもらう」
「は、はい。わかりました」
震える声でコクコクと頷く。
「当面は限られた人間でこの件を扱う。中心はリーディア様ということになる」
「ことは結界の安全にかかわるわ。結界を管理する王家の一員である私が最適ということ。何よりもレキウスは私の右筆なのだから。……ええっと、問題はあなたの位置づけなのよ」
リーディア様の言葉に私は思わず顔を伏せた。私がリーディア様とかかわることは明らかに不自然だ。
「あなたの成績について云々言うつもりはないわ。私は別に心配していないもの。卒業時に王家から狩猟器を下賜するという形を考えているわ」
「狩猟器の下賜……。私にはあまりにもったいないお話です。色も決まってない身ですから」
私は思わず顔を伏せた。突出した成績を示した卒業生が与えられるもの。毎年出るわけではない栄誉。ヴェルヴェットが目標にしていることだ。私にはあまりに現実感がない……。
「何を心配しているのか理解できないわね。…………わかったわ。万が一あなたが騎士に成れなくても将来は王家が面倒を見ます。私の侍女というのはどう。普通の文官よりも高待遇を用意しましょう」
「リーディア様の侍女なんて私には恐れ多いです。あの、かなうならレキウス先生のお手伝いができれば……。下働きのような形でも十分ですから……」
私はもしかしたら一番望ましいかもしれない将来を口にした。
「……。サリア、この子もしかして分かって言っているの?」
「秘密の保持の為にも、悪くないと思いますが。錬金術とやらの研究に、魔力を最低限使える文官が付くというのは検討の余地があります」
「あなたはどちらの味方なの」
突然お二人が言い争いを始める。私はそれを見守るしかない。
「……とりあえず保留でよいのではないでしょうか。チームの体制が軌道に乗るうちに最適な配置もわかるかもしれません」
サリア様が取りなすように言った。
「そうね。重大なことだし。もう少し様子を見ましょう。ええっとシフィー。急に悪いことをしたわね。今日はここまでにするわ。私はこれから私の右筆であるレキウスと今後のことについて相談しなければいけないし」
リーディア様が誇るように言った。廊下に出てすぐ大きく息を吐いた。浮彫のドアを見る。
とてもお綺麗な方で、先輩としても尊敬すべき方。それなのに私なんかにも丁寧に接していただいた。ちょっと怖かったけど、あれが王女様の威厳というものなのかな。
……リーディア様はこれから先生とお話しするんだ。騎士と右筆なんだから自然なこと。でも、どうして何度も「私のレキウス」という言い方をしたのかな。先生はリーディア様の右筆だけど、リーディア様のものというのはちょっと違う気がするけど……。
「シフィー!!」
ふわふわの金髪を揺らしながらヴェルヴェットが駆け寄ってきた。私を心配して待っててくれたみたい。手に持っている紙の束は、多分次の外での演習のパーティー決めだろう。一年生の最後、初めての演習まであと一か月しかない。
先生からあれだけ触媒のことで教えてもらったのに、私は相変わらず自分の色も見つけられていない。
2019年10月1日:
二章の投稿ペースは二日に一度を予定しています。
次の投稿は10月3日(木)です。よろしくお願いします。