#15話:前半 理不尽な復命
文書保管庫の窓から城の中央広場を見た。緑色の熊と青い狼の旗が立ち幔幕と椅子が集められている。その合間を文官が駆け回っている。二十五年ぶりの出猟式である。二日後の本番に向けてリハーサルが必要というわけだ。
自らのパーティーを引き連れ本宮に入っていくアントニウスとダレイオス。この期に及んで全く協調の様子がない。
二人の御曹司に背を向けて、俺は窓から離れた。学院への階段へ向かいながら、小さな包みを手に取る。厳重に布に包まれた中身は、装飾に凝ったガラス器だ。
二年の学年代表室のドアをノックして「右筆のレキウスでございます」と告げる。「……入りなさい」という少女の声にドアを開ける。机に座るリーディアと横に立つサリア。赤と黒の綺麗な髪の娘が並ぶ。この指令を受けた時と同じ光景だ。
ただ先日と違うのは、かすかにハーブっぽい香りがすること。そして……。
「…………いったい何の用かしら」
リーディアがとても機嫌が悪いことだ。いや、あなたに頼まれた仕事を持ってきたんですよ。
「先日のご命令についてです。リーディア様の婚約者候補の調査の件でございますが……」
「…………それはもう済んだと思っていたけど? 二日前、私があなたに渡した命令書を持ったカイン先輩が突然狩り場に現れたわ」
なるほど。あれが俺の推薦結果と思ったわけだ。それは誤解だ。いや、確かにどこへ出しても恥ずかしくない自慢の後輩だし、事と場合によってはそうなる可能性もあるんだけど……。
いや、この香りを考えるとそれもダメだな。リーディアから漂ってくる香りの正体に思い至る。
「もしかして、狩猟でケガを?」
俺の言葉にリーディアは右手を背後にかばった。利き腕じゃないか。
「別にこの程度何ともないわ。ちょっと火蜥蜴の尾がかすっただけ。……そうね、レキウスの差し出口がなかったらもうちょっと大変だったかも。そういう意味では評価するわ」
どうやらカインは頑張ってくれたらしい。後で感謝しておかないとな。
「それよりも私は忙しいの。他に用件があるなら早急――」
「忙しいというのは、リーディア様も北に向かわれるということでしょうか」
思わず上司の言葉を遮った。
「……ええそうよ。都市を挙げての狩りだもの。私が参加しなくてどうするの」
部屋の主、王女であり狩猟騎士であり、そしてこの都市を破滅から救うための人身御供でもある少女。なるほど、都市の王家の一員たる堂々たる態度だ。一文官の身としては「良い狩りをお祈りします」というしかないところだろう。
ただ、俺にとって彼女はまず年下の幼馴染だ。ケガをしてるならなおさらのこと。
「それはいささか無茶では?」
この臭いの薬草は軽い打ち身程度では使われない。
「あなたが口を出す問題ではないでしょう。もう一度言うわ要件があるのなら――」
「要件は先ほど言った通りです。リーディア様の結婚相手の候補についてご報告に参りました。どうやら誤解されているようですが、先日リーディア様の命令書を使ったのは、その為の準備です」
「…………推薦するのはカイン先輩ではないということ?」
「はい。本命は別にございます。いささか変則的な形になりますが」
というか、今のリーディアに大事な後輩の命は預けられないぞ。彼女自身の命もだ。
「いいわ。一応聞きましょう。報告書を見せなさい」
「いいえ。お望みの“モノ”は持参いたしました」
「持参した? …………者!?」
リーディアの表情に困惑が浮かんだ。だが次の瞬間、アメジストの瞳が驚いたように見張られた。
「貴様。言うに事欠いて」
久しぶりに聞いた鋭い声と同時に、サリアが見ほれるような騎士の動きで俺に迫る。その腕が首元に……。
「待ちなさいサリア。……私は、確かに、そうどんな相手でも検討すると約束したわ。だから、話だけは聞かなければならないでしょう」
しぶしぶという体でサリアが配置にもどった。だが、俺に向ける目はこれまで見たこともないくらい鋭い。
一方、リーディアはさっきまでの傲然たる態度が崩れている。瞳は左右に揺れ、引き結ばれた口元は緊張しているように見える。
自分の結婚相手の候補を聞くんだから無理はないか。といっても君が命じたんだけどね。
「では」
俺は机に近づく。机の前まで来て止まった。俺を見上げるリーディアが唾をのんだのがわかる。
「今から私が提案するモノは、状況が整うまで他言しないでいただきたいのですが、よろしいですか。事があまりに重大なので」
この事態を引き起こしたのがどこの誰で、どんな目的を持っているかもわからないのだ。こちらの手の内を知られることは避けなければならない。何よりもシフィーとレイラ。さらにカインとその家族の安全にも影響しかねない。
「え、ええ、そうね。でも、それはあなたの言葉次第じゃないかしら。私は王女としての立場と義務があるのだし……」
リーディアは目を左右に揺らす。何かかみ合ってない気がするが……。
完全な自信には程遠い。だが、この子を火竜の目の前に差し出すことはできない。もちろん、アントニウスやダレイオスにもだ。
あと、カインはこんな無茶振りを部下にする君にはもったいないほどいい奴だからな。
「これがリーディア様のお望みの“物”です」
懐から取り出した包みを彼女の机に置いた。赤属性のリーディアの魔力に反応してか、布の中から光が漏れた。包みを解くとピンク色にすら感じられる輝きが机を照らした。
「…………えっ?」
目の前に現れたプレゼントを前に、リーディアは目をぱちくりさせた。困ったようにサリアを見る。だが、サリアの視線は瓶にくぎ付けだ。
サリアの視線に引きずられるように、リーディアの焦点が瓶に合う。左手がゆっくり伸びる。瓶を引き寄せ、恐る恐る揺らした。壁面に流れる液体がルビーの輝きを放ち、彼女の頬を染めた。
「うそ、真級に近い……」
呆然とつぶやく。蓋を開け、胸元から抜いたペンに一滴を取る。そして、机の上に簡単な模様を描き。そこに指を乗せた。
俺にも分かるほどの赤い光が部屋を覆った。サリアが思わず目を覆っている。見ると描かれた模様の形そのままに机が炭化している。すごいな、最高級の触媒を使って発動するとこんなになるんだ。
「いかがでしょうか、リーディア様」
俺の言葉に、リーディアの口元がフルフルと震えた。
「あ、あなた。じ、自分が何を持ってきたのかわかって……」
「一応わかっているつもりですが、詳細については自信がありません。何しろ一介の、というか最下級の文官ですし。リーディア様は最低限の情報もお渡しいただけませんでしたから」
ちょとだけ意趣返しをする。そして、改めて上司に問う。
「リーディア様がお求めなのは、この都市の結界を維持するための赤の超級触媒でよろしかったでしょうか」
「どうやってこんなの入手したの。まさか火竜を狩ったなんて言わないでしょうね」
言葉が全く足りないが、どうやら正解らしい。
「学院の一年生にも協力してもらって街の染料商人に作ってもらいました。ちなみに材料はリーディア様が狩った火蜥蜴です」
「一年生? 街の商人? 私が狩った? サリア、レキウス兄様はいったい何を言ってるの」
「わかりません。ただ、リーディア様、その呼び方は」
サリアの言葉にリーディアは頬を染めた。なんか昔に戻ったみたいだな。
「と、とにかく話を聞く必要がありそうね」
しばらくしてやっと表情を上司の物に整えた彼女が言った。