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#14話:前半 触媒精製

 市場を中心に水路に沿って左右に広がる職人工房。その中の端の一つが染料商人レイラが取引する職人の物だ。


 工房の中では大きな木の歯車が回る。原料である花や根などを潰したり、原液を絞ったりするための水車が付いているのだ。温度に敏感な染料を緩やかに煮詰めるため高さを調節できる窯もある。


 普段は職人が作業しているその場所は、今日は俺たちの貸し切りだ。


「騎士様とデートとはレキウス様も隅に置けない」


 工房を借り切ってくれたレイラが俺の横に立つ白髪の少女を見ていった。


「そのからかい文句って年寄りっぽいよな。言われて気が付いたよ」

「レキウス様はほんと失礼。それで、こんなところに女二人連れ込んで何をするつもりですか。まさか二人まとめてとか。平民娘じゃそういう扱いも仕方ないですが、せめて初夜くらいは……」

「誤解を招く発言はやめろ。シフィーがびっくりしてるじゃないか。悪いなレイラはいつもこんな感じなんだ」


 初対面の女性に目を白黒させているシフィーに言う。


「は、はい。大丈夫です。あの私はまだ見習の見習で、出身もこっちですから……」


 なるほど、騎士家のご令嬢には聞かせられない下町ノリだが、シフィーは大丈夫か。俺はぎこちなくも会話を交わす二人を少しだけ見守った。


「そろそろ本題に入りたい。レイラに無理を言ってここを用意してもらった理由だ」

「無理も聞きますよ。……何しろ、魔獣素材の商いに食い込むって話ですから」


 レイラは工房に置かれた陶器の壺を見て声を潜めた。カインから届けられたもので、上級魔獣の素材が入っている。壺の中には白クローバーを煮詰めて発酵させた薬剤が添加されている。


 血液の凝固と腐敗を防ぐ作用があり、本来は騎士が心血を保存するために用いられる。職人が城に物納させられる品の一つだ。


 ちなみに、魔の森の産物は騎士が狩った魔獣と労役で採取された物だが、当然魔獣の方が大きなお金が動く。ただ、今回の話は厳密には魔獣”素材”というよりも、本来商人が扱わないものになる。


「大儲けにつながる話であることは確かなんだが……。まずはこれを受け取っておいてくれ」


 俺の署名がある文官の指令書をレイラに渡した。


「……レキウス様が命令により私にここを用意させたと、そう読めますね。……ちなみにレキウス様に文官としてそんな権限ありましたっけ?」

「ないな。つまり、レイラは不埒な文官にだまされたわけだ。……いざという時はそういうことにしてくれ」


 カインは俺に命令されたは通らないが、レイラならとおる。


「しょっぱなから飛ばしてくれますね。まあ、一応受け取っときましょう」

「で、理由なんだが――」

「それは素材の処理をしながら伺います。材料の鮮度は大事ですから。それにレキウス様がここまでしてやることですから、実際に見ないと多分わかりません。何しろ、騎士様の見習まで連れてきてですから」


 レイラはシフィーを見ていった。


「……まあ、こっちもぶっつけ本番だからな。やりながら説明するか」


 …………


 俺たちの目前で、丈夫な網に入った壺が二つ水平に回転している。水車の力で回る壺は一つはタダの水で、もう一つは上級魔獣の素材の入った壺だ。


 回転がゆっくり止まった。壺をゆっくり網から降ろし、揺らさないようにふたを開ける。よく洗ったからの壺に、慎重に上澄みを移し替える。曇った赤色の液体が壺に満ちる。最初の壺の底を見る。赤い糊のようなものが溜まっている。


 第一段階クリアだ。この時点で元の量の半分だな。このステップは普通の触媒作りでも同じだ。だが、俺たちの素材は心血ではない。触媒にできないただの血だ。


 薄い赤褐色の液体の一部を広いパッドに移す。そして、乾燥させた後パッドに張り付いた赤褐色の粉末をとり、シフィーに渡す。シフィーはそれをエーテルに溶かす。


 これ以上ないくらい曇り切った液体が出来上がった。しいて言えば完全に劣化しきった赤の魔力触媒に似ている。


「最初にすべきはこの中に目的の物質があるかの確認だ」


 俺は家から持ってきた実験道具を開いた。ガラス棒を上澄みに漬け、一滴だけ紙に落とす。そして、この前と同じようにクロマトグラフィーにかけた。


挿絵(By みてみん)


 綺麗な赤のバンドと錆のような褐色のバンドが現れた。幅は下の褐色の方が少し太い。紙を縦に切る。細い方をシフィーに渡す。


「この前みたいに、この綺麗な赤のバンドだけに触れてくれるかな」

「は、はい。…………ぁ」


 指を付けたシフィーがびくっと肩を震わせた。


「シフィー?」

「だ、大丈夫です。指先の感覚がちょっと。一気に魔力が引き出されました」


 シフィーは確認するように手を握っては広げるを繰り返す。


「いや、完全に俺のミスだ」


 練習用の下級触媒にも苦戦していたシフィーには刺激が強いことは当然予想しておくべきだった。ただ同時に、その反応は目の前の色素が希望通りのものであることを示す……。


「さっき綺麗な赤だった所が濁ってますね。最初から濁ってた下の色と同じに」


 黙って俺たちの作業を見ていたレイラだが、目ざとく色の変化を指摘した。さすが染料商人だ。そう、魔力を通したことで曇ったということは、これが触媒成分であることを示す。


「ああ、ここまでは予想通りだな」

「何が予想通りか説明してもらえませんか。ウチだけ置いてけぼり。そりゃ、平民ですけど……」


 頷き合う俺とシフィーにレイラがすねたように言った。


「そうだった。ええっとだな。今回の俺の仮説一は『心血じゃない普通の血にも触媒成分そのものは含まれてる』んじゃないかってことなんだ」


 ふてくされた顔になったレイラにシフィーの古い触媒を分析した時のことを話す。


「赤い染料の原料の花があるだろ。花の半分が枯れた状態のまま染料を作ろうとしたらどうなる?」

「そりゃ、使い物になりませんね。ああ、なるほど、まともな花だけをより分けることができればいいと。……つまり、普通の血の中にも魔力触媒のモトはある。そういうことなんですね。まあ、血は血やし。そうかもしれんけど……」


 レイラはじっと紙を見る。額を人差し指でトントンと叩く。


「魔力触媒は、商人が扱うものじゃないですよね」

「勘違いしてもらっては困るな。これはあくまでただの魔獣の血液だ。心血じゃない素材だから商人が扱ってもおかしくない。そうだな、魔力染料とでも名付けようか」


 俺はあらかじめ考えていた名前を告げた。これまで存在してないものは、規制できないのだ。建前としては……。


 レイラは俺から顔を反らし、シフィーに目で問う。


「実際にこんなことをする人は騎士の中にはいません。こんな方法誰も知らないと思います」

「……魔力染料ってバレバレの名前はともかく。ウチはあくまで魔獣の素材を扱っただけ、ですか。ただ、これにどんな名前を付けるとしてもですよ。値段はどうなります」


 こういうところはレイラは本当に外さない。そう、問題はこれが何と呼ばれるかではなく、どれだけの価値があるか。そして、どれだけの影響をもたらすかだ。


「ウチらが市場でみる魔獣は心臓から抜かれてますけど、心臓の血って少ししかとれないんですよね。つまり貴重ってことですよね。ならそれが、血液全部からとれるなんてことになったら。……これ、上級の魔獣のって聞いてますけど」


 紙を見るレイラの目が、金貨を数える時のものになっている。


「二つ訂正しないといけない。まず、血液全部から触媒が取れるとしても、多くが劣化してるから心血に比べて使える触媒成分の割合は三分の一程度だ。さらに、劣化した成分が邪魔する分、加工しなければいけない。この過程でさらに量が減る」


 きれいな赤の部分だけをペーパーナイフで切り取り、エーテルに溶かす。ほんのりと薄く色づいた液体を見せる。


「もう一つは、こっちが本題なんだけどな……」


 俺は上級魔獣の血液から“精製”した高純度の触媒をシフィーに渡す。シフィーは触媒を使って例の練習用の魔術陣を書く。


「慎重に、注意して」

「はい、でも、さっきので大体感覚は分かりましたから」


 シフィーは魔術陣に指を置く。そして次の瞬間、膝から崩れ落ちた。


「シフィー!!」


 俺は慌てて彼女の肩を支えた。


「あー、もしかしたら狙ってやってるのかと思ったけど、これはマジやね」


 レイラが訳の分からないことを言って、シフィーに濡れたハンカチを渡した。


 …………


「上級触媒だって使ったことがないから、わかりませんけど。こんな薄くても中級のよりもはるかにってことは。…………少なくとも上級相当だと思います」


 ハンカチを額からとったシフィーが言った。確かに、彼女が書いた魔術陣は中級の倍以上の長さまで魔力が通っている。さらにその澄み切った光は俺が知っている最上級の触媒に勝るとも劣らない。それを確認して、俺はレイラに告げる。


「もう一つ、俺たちに必要なのは超級触媒に匹敵する、魔力触……ええっと染料だということだ」


 心配そうにシフィーを見ていたレイラの顔から表情が消えた。


「確認させてください。超級の触媒ってどれくらい価値があるんですか」


 レイラは俺ではなくシフィーに聞いた。どうやら副業の取引相手からの信頼が低下しているようだ。


「まず使われないので価値といわれても困るんですけど。火竜の心血からとれる触媒です。そして、この都市を守ってる結界の魔術陣に使われてるのがその超級触媒です……」


 シフィーの答えを聞くと、レイラの首が潤滑油の尽きた水車の歯車みたいに回り、俺に向いた。


「レ・キ・ウ・ス・様?」

「……だから最初に説明をといったんだが。秘密だぞ。実はだな、結界破綻の可能性があるんだ」


 実は俺も途中から実験に集中していてちょっとだけ忘れかけていたのだが、今ここで行われているのは都市を破滅から守るプロジェクトなのだ。


 いささか怪しいが、王女殿下直々のご命令である。


 最下級の文官と、学院の一年生と、そして中程度の商人がプロジェクトメンバーだけど。

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