#エピローグ 新しい世界
広い半円形の会場は灰色の男女で埋まっていた。中央の馬蹄型の卓には四人が座り、中心に置かれた白銀のモノリスの前で議論をしている。それぞれの背後には数十人が見守っている。
中央で灰色の服にハンマーの意匠を付けた男が立ち上がり、何かをまくしたてている。言葉を向けられているのは、同じ灰色の服に剣の意匠を付けた男。ヴォルディマールは何とかこらえている様子。そんな二人の様子を抜け目なく観察しているのが天秤の意匠を付けた男。明らかに戸惑っている最後の一人は籠の意匠を付けた女だ。
中心卓の四人は騎士、商人、職人、採取者の各ギルド本代表であり、後ろに座る各三十人ほどは各都市のギルド支部長だ。大陸の全三十余都市から集まった約百三十人の人間達が『ギルド会議』の参加者である。
「みんな灰色なのに文官が一人もいないっていうのもアレな光景だよな」
会場横の廊下から会議を見ていた俺は呟いた。全員が同じ色の服なのは立場に関係なく議論を交わす場であるという建前である。だからと言って初めての試みが順調に進むわけでもないわけだが。
白銀の板にはまだ何も刻まれていないのを確認、肩をすくめて会場から離れた。
グランドギアーズが消滅してから一年がたっていた。今日は記念すべき第一回ギルド会議だ。あの時、辛うじてエレベーターに乗り込んだ俺達は光の筒を通じて地上に脱出した。皮肉にも中心炉の暴走により、本来よりも距離が開いた状態でもエレベーターは地上まで届いた。とはいえ上昇していくグランドギアーズにより薄くなった力は、地上近くでほぼ切れた。エレベーター自体に安全装置がなかったら地上に届いたのは死体だったはずだ。
「騎士会議では参加者の多くが王族、それも後継者ではなく二番目、三番目でした。本会議もこの様子では憲章は決まっても各一条でしょうか」
「それぞれ一条でも決まれば御の字ですね」
廊下の向こうから来た明るい金髪の女性が俺の隣に並んだ。ラウリスの王女のクリスティーヌはギルド会議の事務方トップを務めている。大陸規模の会議はラウリスでの経験がある文官姫にしか仕切れない。
「ギルド会議自体ではないメリットが重要であるという点は、頭が痛いです」
「結局利益が見えないとってことです。参加しなければ二つの特典が得られない。いや、三つかな」
廊下の途中を見て言い直した。その部屋からは甘く香ばしい香りが広がっている。ちょうど石窯から鉄板が引き出されたところだ。鉄板に並ぶ焼きたてのパン。各国から集まった料理人がそれを切り、各地の食材を挟んでいく。
その中心にいるのはまだ少女といってよい年齢だが、料理人たちは彼女の一挙手一投足を見逃すまいとしている。香りはやがて会議室にも届くだろう。その効果は先日の各ギルドの会議で実証済みだ。
その反響にはギルド会議の警備責任者のカインが心配していたほどだ。無理もないかもしれない、何しろ麦粉の料理は『マリー風』と呼ばれ始めていると聞く。
前方から茶色の髪の毛を後ろに束ねた女性が来た。彼女は袋に入った何かを運んでいる。どうやら麦粉の追加らしい。
「大儲けだなレイラ」
「とんでもない、ほぼ原価でご提供させていただいていますから」
レイラは染料工房を親父さんに任せて、自分は麦専門になっている。採取産物の中で最も高価になった麦であり、その最大の産地がリューゼリオンだ。
「なるほど、将来の市場拡大に向けて種をまく時期ということか。流石だな」
「来年はレイラさんがリューゼリオンの商人ギルド代表、いえ本会議の商人総代でしょうか。円滑な運営の為に協力よろしくお願いしますね」
俺とクリスティーヌに言われたレイラの表情が引きつった。
各国の文官が務める本部事務でクリスティーヌと別れた俺は、建物の裏側に向かった。階段を降りるとそこは地下に広がる結界室だ。上の会議堂と同じくらいの広さとはるかに高い天井。ギルド会議本部の中で一番広い空間には二人しかいない。
ヴィヴィーとシフィーだ。俺も含めた三人が錬金術委員会だ。形としては騎士会議の遺産管理理事会の直属で、一応俺がリーダーということになっている。
その役目は二つで、一つが回転魔導器の製造だ。普通の都市の結界を切るわけにはいかないし、高品質の透明魔力結晶を作るための強い魔力を供給できるのは今のところここだけだ。
皮肉なことに爆散したグランドギアーズが材料になっている。使える欠片は限られているので、いずれは鉱山の復旧が必要になるだろう。とはいえ、それはまだ当分先の話だ。
「昨日の職人ギルド向けの粉ひきと水汲みのデモンストレーションはどうだった?」
まず錬金術委員会の技術及び応用担当であるヴィヴィーに声をかけた。
「流石に選ばれた職人なんで理解は早いっすね。ただあいつら頭固いんっすよ。やれ人間の手でやった方が丁寧だの、弟子の仕事が無くなったらどうするだの」
「ヴィヴィーも最初は魔導技術と職人道具を繋げるなんて、って言ってたけどな」
「それは……そうなんっすけどね」
「そういえばやけに早く戻ってきたじゃないか。久しぶりの帰国だったのに」
そういうときまり悪そうな顔をしていたヴィヴィーが「はぁ」と頭を叩いた。
「ここの方が気楽っすから。本国は色々と騒がしくて、ろくに魔導鍛冶の仕事もできないっていうか」
「ああなるほど。ギルド会議の事務と商業活動でもラウリスの力が大きいからな、グンバルドはこっちに影響を持ちたいよな」
モーターの製造や応用に関して彼女以上の知識を持つ者はいない。
「だからそういうのがめんどくさいんっす。ヴォルディマール様が何を言ったのか知らないっすけど、通る都市毎に、王様の推薦状を持った弟子希望者が現れるんっすよ」
「いやまあ、そういう人材は確かに必要なんだし」
「そりゃ、そうっすけど。私はまだ自分の手でここでいろいろ弄っていたいんっす。大体ここのトップはあんたなんっすから、もうちょっと表に出て貰わ…………」
ヴィヴィーが俺にそう言った時、横からぐっと引き寄せられた。
「あ、ああ、そうだったっすね。私としたことがうっかりしたっす」
魔獣の尾を踏んだようにヴィヴィーがびくっとなった。俺の腕をぎゅっと握ったのは最後のメンバーである白髪の少女だ。
出会った頃は頃は肩に届くかどうかだった白髪は胸元に掛かっている。ちぢれがちだった髪の毛もゆったりとしたウェーブを描いて艶やかに輝く。幼さを残しながら女性的な魅力を開花させ始めた美しい顔が心配そうにこちらを見上げる。
「先生は絶対に危ないことしては駄目です」
不安そうな瞳がしっとりとした雰囲気を醸し出し、密着した俺を焦らせる。
「ああ、わかってるよ。ほらヴィヴィーだって冗談で言ってるんだし」
「でも、あの時だって本当に一歩間違ってたら。私の手で…………」
シフィーは腕の力を弱めることなく、俺を咎めるように見る。
「何度も言ったけど。あの時はあれ以外に方法が思いつかなかったんだ。あいつらは俺達を生かしておくつもりなんてなかった。全部説明できる状況じゃなかったし。シフィーならやってくれると思ってたんだ。実際、シフィーのおかげで助かったんだし、な」
なだめるようにシフィーの髪の毛を撫でた。
グランドギアーズから脱出、いや最後はほぼ落下したエレベーターを最初に見つけたのはシフィーだった。地面に斜めに刺さった白銀の筒を開け、衝撃で気絶していた俺を見たのだ。目を覚ました時に初めて見たのが涙ながらに抱き着いてきた彼女の姿だった。
それからは俺の側から離れないようになってしまった。ここしばらくはギルド会議の準備の忙しさもあって少し落ち着いてきたと思っていたのだが、見知らぬ人間が多く集まるギルド会議に過敏になっているみたいだ。
「まあ、このギルド会議を実質的に支配している人間が二人とも表にはほとんど知られてないっていうのは……って、何でもないっすよ。おちつくっすシフィー」
ヴィヴィーの言葉に緩みかけたシフィーの腕の力が増した。その時、地下室のドアが開いた。赤毛の王女が降りてきた。後ろにはサリアもいる。
「レキウス。依頼が来たわ。ってシフィーまたレキウスにくっついてる」
「……ラウリスの都市で結界に問題発生の兆候があるって」
「そうか、出張の準備をしないといけないな」
シフィーを引き離したリーディアが言った。ちなみに彼女の役目は錬金術委員の護衛役だ。新ダルムオンの防衛責任者はカインだが、俺達専門の護衛がいる理由は錬金術委員のもう一つの役目にある。つまり、各地の遺産の劣化問題の解決だ。
「今回の依頼元は太湖の西岸の都市です。位置的にはトランの河下で……」
「そこら辺の話は全部書類にまとまっているでしょ。あなたは本部の仕事があるでしょう」
「まあ。連盟は解消とはいえ、ラウリスのことですから私も……」
地上に上がった俺達に事務本部からクリスティーヌが合流した。早速、二人の王女様が俺を挟んで言い合いを始めた。そして俺の後ろにはぴったりとシフィーが付いてくる。すれ違う事務員たちがまたかという呆れた目を向けてくる。
俺が三色の姫君を通じてギルド会議を支配してるという噂が出るわけだ。もちろんシフィーは姫ではないのだがあまり表に姿を見せない神秘性と、ここ一年の成長で二人に勝るとも劣らない美しさを花開かせたため白の姫なんて呼ばれている。
少女の時から知っている俺でも、最近は理性が試されることが多いくらいだからな。それはともかく仕事だ。遺産の管理、というかメンテナンスはギルド会議のよって立つ柱の一つだ。
「今のところはまだ兆候みたいだし。どちらにしても明日からの狩猟大会が終わるまでギルド会議から手を離せない。終わったら正式に騎士会議に話を上げてってことにしよう」
状況が記された書類を読み終わった俺は二人に言った。今はギルド会議を終わらせることが最優先だ。
「そうだ、下にもどる前にあっちに寄るから」
「一人で大丈夫?」
「ちょっと意見というか、感想を聞くだけだから。シフィーもほら、大丈夫だから」
俺は三人にそう言ってから、ギルド会議を成り立たせるもう一つの柱、多額の運営資金を稼ぎ出す人間の住居に向かう。
暗い廊下の奥には鉄格子の部屋があった。一人の老人が足を引きずる格好で窓の外を見ていた。鉄格子の隣は普通の部屋で、白髪の男女と壮年の男女が、大量の数字が書かれた帳簿に移動する金の管理とチェックをしている。
「私の戦いは旧ダルムオンの牢屋から始まったのですがな。この年になって同じ場所にもどるとは何の皮肉か。それも目の前で空前の商機を見せつけられる」
「この世界で一番大きなお金を動かしてるのはあなたなので我慢してください」
ぼやくポーロ・マドラスの横に並んで言った。
当然だが、この老人を処刑すべしという意見は出た。何しろ全世界の騎士を敵に回しあれだけのことをしでかしたのだ。
だが、銀行はギルド会議に必要であり、運営には白い忌み子たちのネットワークが必須、そして彼らはポーロの言うことしか聞かない。結果として収監されたまま銀行の業務をやらせることになった。
そう、ギルド会議に必要な莫大な費用はこの銀行の手数料から出ている。さらに言えば商人たちがギルド会議に参加している最大の理由でもある。
ぶっちゃけて言えば、老人にこの仕事をさせたまま外に出したらギルド会議が買収されかねない。
「ここはあれです。史上最後の労役者として名を残すということで」
「美名を残せなければ悪名でも、ですかな。まあ、どれだけ長くても死ぬまでですからな。辛抱しましょう」
牢屋とは思えない広い窓から外の様子を見るポーロ。この言い方だと、第一回ギルド会議の感触も悪くないようだ。
グランドギルドの最大にして最後の遺産は消滅し、新しい世界が始まった。この世界の進路がどうなるか。それは今を生きる人間の作り出す無数の回転が合わさって決まる。その一つとしては蛇行しながらでもいいから前に向かって進むように頑張るだけだ。
完
2022年1月21日:
狩猟騎士の右筆これにて完結です。
最終章は戦争から一転、政策対決でした。
地味すぎる最後にならないか心配でしたが、レキウスをはじめキャラクターのみんなの頑張りで何とか形になってくれたと思います。
気が付けば投稿開始から約2年半、70万字近い作品になりました。
完結まで書き上げることが出来たのは読んでくれた皆さんのおかげです。
特にブックマーク、感想、評価をいただいた方々、数多くの誤字脱字をご指摘してくださった方々、本当にありがとうございました。
さて、ここからは新作の紹介をさせてください。
新作『深層世界のルールブック』はSF(空想科学)の近未来異能バトル&ミステリです。
*2022年1月23日:ジャンルをローファンタジーよりSF(空想科学)に変更しました。
ある日送られてきた『ルールブック』により異能を得た主人公がスキルとロールプレイを駆使してテクノロジーエリートの秘密結社相手に戦う話になります。
作者の定番である科学ネタとしては脳とか意識のハードプログレムなんかが絡む話です。
セッション1『可視光外の秘密』を以下URLに本日0話から3話まで投稿済みです。
よろしくお願いします。
https://ncode.syosetu.com/n9988hk/