#14話 マリーの料理店
二重の輪の形の奇妙なテーブル、その内側が回転を始めた。まるで水路に水が注がれた水車のようだ。違うのは回転面が垂直ではなく水平であること、そして水ではなく魔力で動いていることだ。
部屋の中央にある箱の中身は我らが回転魔導器だ。白い魔力の発生に東西の両連合の騎士達が反応した。いや、彼らよりもポーロ・マドラスの背後に控えた白い髪の青年の方が早かった。
白い髪、もしかしてシフィーと同じ資質の持ち主か。商人であるポーロが遺産を運用していることを考えれば間違いないだろう。白い髪の人間は三色の遺産に関しては天性の素質を持つのだ。
テーブルの回転を合図に、レイラが厨房からテーブルの内側に、長い長方形の台を繋ぐ。台にはやはり回転するベルトがあり、そして厨房から何かが次々と出てきた。台を通った皿はテーブルの内側に乘り、客の前を円を描いて流れる。
その時の客たちの表情は見ものだった。何が始まるのかと身構えていた騎士達、そして白髪の青年の耳打ちを受けながら警戒心していたポーロも、唖然とした顔になったのだ。
「主賓であるマドラス様が最初にお選びください。これならば特定の人間に毒を盛ることは不可能でしょう。メニューの頭に書かれている模様と皿の中身が一致しております。ご参考にどうぞ」
「…………」
老人は真意を問うようにこちらを見る。水車仕掛けをテーブルとして、しかもそれを魔力で動かす理由としては馬鹿馬鹿しすぎると思ったに違いない。二人の王と王子も同じだ。例外は、マリーの料理を楽しみにしている一人だけ。
もちろん毒殺対策ではない。マリーの料理に毒なんていれるわけない。老人を殺す前に俺がカインに殺される。
これからの説明の為に『この仕掛け』をわかりやすく彼らに見せて置く必要があった。彼らが知りたいと思っているであろう意味を明かすのは待ってもらう。今はマリーの料理を味わってもらうのが肝心だ。
「ちなみに、赤の皿が狩りの獲物、緑の皿が採取産物を包んだ料理となっております」
そんなことは聞いていないという面々の前を皿が淡々と流れる。全員が無言のまま二周した。根負けしたようにポーロが手を伸ばして一つの皿を取った。続いて各人が目の前の皿を引き取った。俺は余った一皿を手に取る。
皿に乗っているのは手のひらに乗る大きさの茶色い物体だ。ぱっと見はけば立った革のようで、食欲をそそるものではない。だが、焼きたての香り、それもパンを大きく上回る、は実に魅惑的だ。
毒味として最初に口を付ける。
他の食べ物には決してないサクサクとした歯ごたえ。小麦の香ばしさとバターの豊潤さにあふれた生地が羽毛のように重なっている。圧倒的に力強く、なのに軽い。明らかに矛盾した生地が、中に包まれた具と口の中で一体となる。
俺の取ったパイの中身は甘みのある芋という地味なものだが、バターの風味と混ぜられた卵黄がパイ生地と絶妙なコラボレーションを奏でている。
大丈夫でしょと口を離した時には、リューゼリオン王がすでにパイに手を伸ばしていた。順番的には確かにあなたに続いてもらわないといけないんだけど。皿の模様からして、ひき肉を香料と果物のソースで味付けしたものだ。腸詰ではないが好みに合うはずだ。
やっぱり。実に満足そうだ。まるで自慢するように、左右に座る同盟者を促す。目的、忘れていないよな……。
「むう。これは以前の熊肉のクリケットに勝るとも劣らぬ。濃い肉の味を見事に受け止めおる」
「……相変わらずリューゼリオンの料理には驚かされるものだ」
グンバルド王のパイの中身は魔獣肉を赤ワインでとろけるまで煮込んだ逸品だ。ラウリス王はホワイトソースで煮込んだ魚獣、香りづけの黒キノコが絶妙だ。そんな状況ではないと十分すぎるほど自覚しているはずの両人の表情が僅かに緩んでいる。
責めることはできない。旧時代には“主食”と位置付けられていただけあって、麦はとにかく様々なものに合う、いやその美味さを倍増させるのだ。これまでこれなくして食事をしてきたことを不思議に思うほどだ。
全ての騎士が口を付けるのを待っていたポーロがゆっくりと皿に手を伸ばした。じっくりと吟味するように見た後、歳に似合わないそろった歯が茶色の生地を噛んだ。シャクっという軽い音がして、彼の動きが止まった。左右が慌て始めた時、のどぼとけが動いた。
そして、老人は己が口にした食べ物の断面をまじまじと見た。
「この香り、以前牢屋で食べたことがある。あの時はただえぐいだけだったが……。香ばしさを引き立てる芳醇な香りはバターだな。これほど香るのはよほど大量に用いていると見える。にもかかわらず軽い味わい。幾重にも重ねられた薄い生地はどうやって作ったのか見当がつかん」
その観察眼は人間だけでなく食べ物にも適用されるようだ。老人は初めて食べたはずの生地を一口で把握する。そしてさらに深く噛みついた。
「しかもその生地が果実の煮込みを包むとなお。甘い蜜煮の果実を麦で包めば台無しになるはずが、なぜこんな贅沢な味になる…………」
彼のパイは甘酸っぱい赤い果実が詰められている。果実自体は多くの猟地で取れるありふれたものだ。しかも、旧ダルムオンのそれは硬く、甘みも強くなく、青臭い酸味と相まって人気はなかったらしい。ちなみにレイラの親父さんの言だ。
しかし、旧時代のレシピをマリーが調べた結果、これがパイの菓子として定番中の定番なのだ。実際、マリーの腕で柔らかくなるまで蜜で煮詰めた結果、適度な歯ごたえと甘さと酸味のバランスが絶品のバランスとなっている。しかも、パイ生地と絶望的に合うのだ。
試食したクリスティーヌ、アメリア、レイラ、シフィーの全員が最高だと太鼓判を押した品だ。そういう意味ではあたりを引いてくれた。もちろん、マリーの料理にはずれなんてないけど。
「お察しの通り。この生地は約半分が麦の粉、半分はバターでできております。両方とも今朝出来立ての物を用いています。また、生地は返し折っては寝かしを繰り返すことで、このような層を作っています」
「残骸と化した都市でなんとも手間がかかって贅沢な。大陸中の美味などとうに食べつくしたつもりだが、まさかこの年になって麦料理にここまで驚かされるとは。いや、リューゼリオンが麦の料理を広めているという情報はあったが、贅沢に飽きた騎士の遊戯とおもっていたのは不明だったか」
「この麦の生地は肉にも合います。それを確かめられては?」
俺が言うと老人の目が回転している残りの皿に向いた。ちなみに王たちの目は逆に果実入りの方に向かっている。だが、すぐに首を振る。
「実に興味深い料理だ。だが、そろそろ本題に入らねばなりますまい。この場はあくまでリューゼリオンの隠し持つ遺産を開示するためだったはず」
「確かに。しかしその前に商人であるマドラス様に一つお尋ねしたい。今説明した料理をお出しするには、いかほどの人が必要でしょうか」
「…………意図が解りませんが」
「余興としてマドラス様の商人としての目利きをお示しいただきたいのです。ちなみに、この生地の原料は今朝麦や乳椰子などの素材の状態で厨房に運び込みました。もちろん、お答えいただければすぐに本題に入りたいと思います」
「この味に応えて余興に応じましょう。そうですな……粉を引き、バターを作り、これほど繊細な生地を作る。しかも数種類の中身を出来立てで提供する。………………どれだけ少なくとも三人は必要でしょう」
「ありがとうございます。では、答えですが、厨房には一人しかおりません。先ほどご挨拶した少女だけです」
「あり得ぬ。いや、もしそれが本当だとしたら……。ほう、これはついに尻尾を出しましたな」
「尻尾とは?」
「あのような小さな子供を酷使するなどむごい話。ギルド会議で多くの立場の者とともに歩むなどきれいごとはすべて虚言。騎士も役人も平民など使い捨ての道具としてしか見ておらぬ証拠だ」
そこには彼が初めて見せる種類の感情、怒りがわき上がっていた。そんなことしたら俺がカインに……というのはとにかく、予想外の反応だ。とてもポーズには見えない。
つまり、彼が騎士の支配を動揺させるために行った扇動だと思ったのは、商人の利益だけを求めたものではないということか……もしそうなら……。いや、とにかく今は予定通りいこう。
「それは誤解であることを、本題とともに証明いたしましょう。この料理を作った厨房をお見せします。こちらにどうぞ」
…………
厨房では多くの物が休むことなく規則正しく働いていた。もしも、これだけの作業をやらされたら大の大人でもぶっ倒れるだろう。ただし、その中で人は一人だけだ。
「♪ ♪♪ ♪……。あっレキウス様、お料理はどうでしたか?」
鼻歌を歌いながら鍋をかき混ぜていたマリーが振り向いた。
「もちろん料理は大好評だったよ。次を焼いてもらえるかな。お客様に作ってる様子を見てもらいたいんだ」
「わかりました」
マリーはそういうと。くるりとその場で回転して生地を取りに向かった。その軽やかな動きは、朝から働き詰めとは思えない。
「このように、料理人は余裕をもって調理しています」
「馬鹿な。そんなことができるはずがない。粉一つ挽くのも重労働…………」
否定しようとした商人の目がマリーの背中を追い、奥にある設備にくぎ付けになった。
「その前に、ちょっとお水を足しておかないと」マリーが備え付けられた井戸へ向かう。レバーを押すと、回転する歯車が井戸から水の入った桶を引き上げた。一番奥では回転する石臼が粉を引いている。その横では金属の箱が乳椰子からバターを製造している。
マリーが氷箱の上に保存してあった生地をセットするとローラーが平たく伸ばすのを、ポーロが目を皿のようにしてみた。
そう、この厨房の設備はモーターの回転を歯車で伝えることで動いているのだ。複数の力の強さと回転が違うモーターを歯車でいろいろな道具につなぐ。シフィーとヴィヴィーの苦労の結晶だ。ちなみにモーター本体のある奥には網が張られ、モーターや大きな歯車には近づけないようにしてある。もちろん、万が一のケガに繋がらないためだ。
「彼女は腕がいいだけでなく働き者です。ですが、この厨房には彼女を助けるための仕組みが多く備わっている。朝から準備を始めれば先ほどの料理は提供可能なのです」
今回の料理が生地が共通であり、複数ある中身も煮込めばいいものを選んでいる。粉とバターを作っている間に中身の準備をはじめ、中身を煮ている間に生地を作ったという手順だ。ただ、何よりも重労働の多くが彼女の手を煩わせずモーターによりなされるのが大きい。彼女は鍋の前で料理自体に集中すればいい。それがこの厨房を一人で動かせる秘密である。
「いかがでしょうか、これが一人の料理人で今回の料理を提供できる証拠であり。そして同時に」
驚きの表情のまま止まっている老人をまっすぐ見て告げる。
「ギルド会議を成り立たせるための力です」
…………
「結局、リューゼリオンの秘密とは何なのだ。遺産の力を料理に使うなど、諧謔が過ぎるだけだ。この菓子は確かに美味いが」
「リューゼリオンは秘密を我らに明かすつもりはないと見るしかない。料理の美味さで我々が誤魔化されることはないぞ」
厨房から客席にもどる。二人の王は今見たものを全く理解していない。まあ、彼らにとって料理とは自動的に出来上がる物だ。厨房に何人人がいるかも、それらの人たちが何に苦労しているかも知らないだろう。
何より、彼らが想像していた秘密は新型狩猟器の延長であり、魔導砲のでかいやつだったはずだ。
だが同じく予想を外されただろうに沈黙したままの客がいる。ポーロはもはや感情を隠すこともなく、眼球を左右に動かしながら何かを必死に考えている。彼の横にいる壮年の男性も、冷や汗が止まらないようだ。
「聞きたいことがいくつもあるが、答えていただけるか」
「もちろんです」
さっきギルド会議の契約書を見ていた時よりもずっと眼光が強い。それこそ難しい商談に挑む商人の様な空気が漂っている。
2022年1月2日:
新年あけましておめでとうございます。
早速ですが、これからの予定ですが。
本作『狩猟騎士の右筆』は一月中(1/20前後?)に完結の予定です。
新作もそのころから開始したいと考えています。
面白い物語をお届けすることを目指して頑張ります。
本年もよろしくお願いします。
次の投稿は来週日曜日です。