#13話:前編 二つの未来
天井の穴から注ぐ光が日食のように欠けた。俺は最後の仕上げをシフィー達に任せて結界器から階段に向かった。
「グランドギアーズ到来しました」というクリスティーヌの知らせを階段の半ばで受けた。急いで地上へ上がった。白銀の球体、グランドギアーズは王宮跡の直上で停止した。まるで周囲を見渡すように一度回転した。
ちなみに旧ダルムオン都市の城壁の外側ではグライダーと戦車による警戒網が敷かれている。敵の戦力がグランドギアーズだけであるとは限らない。氷を取りに行った時に、カインたちが近くの山で地面を丸い球で削ったような跡を発見したのだ。
やがて白銀の円筒形物体が真っすぐ降りてきた。俺は会議堂に入る。白い騎士の正装の三人の王がすでに席についている。その後ろにはレイアードとヴォルディマールが立っている。俺は中央の壁際に立った。
会議堂に入ってきたのは三人だった。全員が平民の印である茶色の衣服。中央が痩せた老人。その左右に年配の男性と、若い男が従っている。若い男はシフィーを思わせる真っ白な髪の毛だ。
中央の老人がポーロ・マドラスだろう。一介の商人でありながら大陸全ての都市を恐怖させ、人口の八割の平民を扇動して、絶対的な地位にあった騎士を脅かした。そう、陰謀の『黒幕』だ。俺達の調査では滅びる前のダルムオンの商人だったことが分かっている。
老人は部屋の中を見て少し驚いた顔になった。老いた目が向かったのはまず、会場のしつらえだった。
中央に二本のペンが置かれた正方形の机があり、その両側に長方形の机が二つ向かい合う。右には三人の王が座っている。左にはそれと全く同じ机と椅子が並ぶ。
クリスティーヌとレイラがラウリスの商館を元にした商人同士の契約時の様式だ。東西連盟の盟主都市と、唯一の単独都市であるリューゼリオンの王、つまり騎士全体の代表と商人が対等の立場で向かい合う。本来なら天地がひっくり返ってもあり得ない光景である。
俺は敵の黒幕を覗う。老人は顔をくしゃくしゃにして笑みを浮かべた後、黙って右中央の席に着いた。そして、好々爺のような表情で正面の三人に向かって口を開く。
「誇り高き騎士の頭目が商人の真似事とは、これはなかなかの趣向ですな」
傲慢を絵にかいたような姿は己が優位を確信しているようにしか見えない。だが明らかに不自然だ。現在の圧倒的に有利な立場を作るまで、己の姿をさらすことのなかった陰謀家が、交渉の場の状況を見ただけで調子に乗るなどということはあり得るだろうか。
「実は私も一つ趣向を用意しております。グランドギアーズの直下に浮かぶ『白い魔球』ですが、あれは鉱山に落とした黒い魔球とは違います。黒い魔球が通常の三色の魔力と正反対の回転を与えることで、魔導金属を崩壊させるのに対して、白い魔球は同じ方向に回転を暴走させるのです。つまり、魔力の暴走を引き起こす。騎士の皆様の体の中の魔力も例外ではなく」
黒い魔球は狩猟器に強い影響を与え、騎士は突然の魔力の打ち消しに一時的なショックを受けた程度だった。だが、もし体内の魔力の回転を順方向に急激に加速させられたら。魔力を使えるものほど自分の魔力に、正確に言えば体内を流れる魔導金属の暴走に、その身を焼かれる……。
つまり、ポーロがこの場に姿を晒したことには裏付けがあるということだ。そのやり方には驚いたが、当然と言えば当然の用心だ。不自然なのはわざわざ嘲笑と恫喝としか取れない言い方をしたこと。絶対的な優位を確信した者の傲慢と取るにはこれまでのこの老人の行動は……。
その時、俺は気が付いた。皺の奥の目が相対する三人の様子をうかがっていることを。嘲笑とそれに続く恫喝に憤懣やるかたないというグンバルド王に、何とか感情を抑えたラウリス王。リューゼリオン王だけは平静を保つも、顔に緊張が浮かんでいる。
ポーロ・マドラスはそれをただ静かに観察している。背筋に冷や汗が流れる。彼が多少両王を揺さぶるのはいいとして、その結果割れてしまうのは困るのだ。なぜなら……。
「契約内容をご確認ください」
俺は壁からまっすぐ中央の机に歩き、契約書を取り、老人の視界を遮るように差し出した。彼の並べた条件よりもずっと長い、それでも可能な限り要点だけをまとめた『ギルド会議の設立議定書』だ。
ポーロ・マドラスはその厚さに何の反応も返すことなく、一ページ目に書かれた概要を読んだ。そして
表情だけ笑って三人の王を見た。
「実に大胆な詐術ですな。何もここまで商家の流儀に合わせずとも」
「商人によるギルドの設立、各都市の独立、そして商人ギルドの旧ダルムオン利用権。すべて含まれています」
俺はしれっと言った後、続ける。
「疑問点などはご質問ください。より良い契約の為に十分な説明をさせていただきます」
「ほう。ちなみにあなたは?」
「リューゼリオンの文官レキウスと申します。今回の契約の説明係を拝命しております」
これがこの場における俺の肩書だ。唯一の灰色の着物の人間、実に文官らしい仕事である。
「…………リューゼリオンの、ですか、ふむ、いいでしょう。ではまずお尋ねしましょう。確かに今言った条件は満たされている。ただしその全てが『ギルド会議』の下部組織としてです。そして、ギルド会議には騎士の代表が集まる会議がある。要するに連盟に代わり、この騎士会議が世界の支配を続けるということでは?」
温和な声で辛辣な言葉が投げかけられた。
「各ギルドは下部組織ではなくメンバーであり、騎士会議も同様に対等な一メンバーです。騎士による都市と猟地の絶対的支配の延長上で大陸を管理することが、あなた達商人にとって不都合ならば、騎士、商人、職人、採取者までそれぞれの協調で管理しようというわけです」
「…………なるほど。都市と各職業で世界を縦横に結ぶ織物ですな。各都市という球を、その球を棒で突きまわすより能のない騎士が、卓上球技のようにぶつかり合わせるよりは安定しましょうな」
老人は頷いた。実に理解が早い。それを向こうの机の王様たちに説明するのに、俺以外が、どれだけ苦労したか。
「しかし、老婆心から言わせていただけば実に危うい。この織物は織り上げた瞬間から綻び絡まるように見えますぞ。まずギルド会議の中核である憲章ですが。例えばそうですな、それぞれの職業が他の職業に際限なく要求を突きつけたら、その項目は年々増えていくでしょう。だれもが憲章を己のギルドの良いように解釈する。項目同士が絡み合った長い長い巻物が伸びていくのが見える様だ」
敵対する老人の言葉に向かいの席の三人が俺を見た。ちゃんと考えてあるから。俺じゃなくてあなた達の優秀な文官(姫)とかが。
「各ギルドが憲章に載せられる項目は十条までとします。つまり、一つの新しい要求を乗せるためには一つを引っ込めなければならない。柔軟性については運用して問題が生じるごとに細則に対処を記すことになります」
「……ふむ。では、憲章同士が衝突した時はいかがなさる?」
「同ギルドの十条の中での衝突は、ギルドの中で解決してもらいます。方法はそれぞれに任せます。ギルド間の憲章の衝突はギルド会議での話し合いで判断します」
「つまりギルド会議にて調整するのは、各ギルドにとって本当に大切な用件だけ、ということですか。………ギルドの自治とギルド同士の相互監視と対抗による拮抗…………ふむふむ」
老人は頷きながらぺらぺらと契約書を捲る。その冷静な態度と深い理解が逆に恐ろしく見えるのは気のせいだろうか。
「ですが、そこまでして皆で決めた憲章であっても、違反する都市は出るでしょう。どうやって罰するのでしょうか?」
「違反した都市はギルド会議の発言権を失います。交易やその他の関係で、周囲の他の都市との差が開いてしまうことがペナルティーです。これは都市内で各ギルドの自立を損なった場合も適用します。つまり、ギルドに関する扱いを共通ルールとして、そのルールを守るものだけが参加できるのがギルド会議ということです」
「なるほどなるほど。しかし、ギルド会議の中で騎士ギルドの役割だけが異質ですな」
「騎士会議の役割は、まず猟地の境界に関する調整です。都市単位での騎士の衝突を防ぎます。もう一つは騎士が魔獣を狩る力を、各都市の発展のためにどう用いるかを、各ギルドのバランスを持って決定することです。最初に懸念されたような絶対的な立場ではありません」
「つまり現在の各都市で騎士院が行っている猟地管理を大陸に拡大するのが騎士ギルドであり、ギルド会議では他のギルド同様に一メンバーとして立場の調整をする。例えば、私が騎士の皆様に要求した交易路や採取における猟地内での平民の保護の要望などですか」
「そういうことになります」
言ってることは批判的だが実にスムーズな意見交換が続く。もちろん、こちらとしても考えに考えた仕組みだが。俺の説明に拍子抜けするほどあっさりと引き下がる。後は実務的な質問が多い。実務を重視する商人の感覚か? あるいはまだ様子見の段階なのか……。
「なるほど考えましたな。私の要求がそのまま通るなどとは思っていませんでしたが、まさかここまでの代案を示されるとは。実に見事なお答えに感服した。ギルド会議の仕組み、よく理解できましたとも」
えっ、終わり? こちらの案に納得した? まさか、これで契約成立?
そう思った時だった。ポーロは契約書を机に置く。空いた両手を組んだ上に顎を乗せ、まっすぐ前を見た。
「しかし、どれだけ見事な答えも、当事者の過半数が納得されていないのでは上手くいきますまいて」
その視線の鋭さに背筋が冷えた。鋭い視線は俺ではなく、背後に並ぶ三人の王に向かっていたのだ。
2021年12月19日:
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