#12話『会場準備Ⅱ』
会議堂の横に立つ長方形の建物を見る。会議堂がラウリスにある大商館だとしたら、こちらは街の中心から少し離れたところにある品の良い小さな料理店だろうか。玄関から入って将来の客席を見た。
精一杯テーブルを並べても三十席程度のホールには円形に台座が並ぶ。これが将来のテーブル配置だ。
「こっちも大分進んできたな」
「隣に比べれば小さいですからね。とはいえ、肝心のテーブルがまだ届きませんけど」
中にいたレイラが言った。痛いところを突かれた。錬金術関係の設備が間に合うかが一番の問題だ。
ちなみにレイラの親父さんは先日リューゼリオンにもどっている。ラウリスやグンバルドの騎士や文官に、レイラの父親ということで注目されることに辟易としていた。帰る前にレイラのことをくれぐれもと頼まれた。
「あと厨房が大変ですよ。水回りなんか特に」
料理を運ぶための四角い配膳口を見てレイラが続けた。円形の台座からその配膳口に向かってやはり同じ台座が並ぶ。
「厨房は主が来てからじゃないと……。と、話をすればだ」
急遽整備された水路の船着き場に一艘の魔導艇が到着した。護民騎士団旗を掲げる船から小さな女の子が抱きかかえられるように下りるのが見えた。
…………
「ここがダルムオンですか。どんな食材があるのかな。あっ、レキウス様」
心配そうな兄をよそに、小さな少女は周囲をきょろきょろとみている。俺を見つけるとトコトコとかけてきた。リューゼリオンから騎士団長直々の護衛の下にやってきたのはマリーである。
平民に対する公平な扱いを旨とする護民騎士団の団長ともあろう者が身内を贔屓するわけはない。マリーはここで行われるイベントの重要なメンバーだ。ある意味切り札といっていい。
「客席に比べて厨房がずいぶん大きいですね。まだ、ガラガラ?」
マリーを案内して厨房に入る。小さな料理人は石窯と竈だけの、ガラっとしたスペースを見て首をかしげる。机の配置はバラバラ、洗い場すら水をためる壺と桶の簡易的なものだ。
「マリーの意見を聞いてからと思ってね。自分の料理店だと思って使いやすい配置を考えてみてほしいんだ」
「私のお店のつもりですか!! わあ、楽しそうです」
目を輝かせるマリー。カインから自分の役割についてある程度は聞いているはずだが、気負いよりも好奇心の方が勝っているようだ。一方、彼女の兄は明らかに不安そうな顔になった。横からは「職人と折衝するのは誰でしょう?」というレイラのつぶやきが聞こえた。
「と、とにかく、厨房の設備を決めるためにもまず作る料理を決めないといけないんだ」
「そうですよね。やっぱり麦をつかったお料理ですか?」
「うん。でもほかに条件があるんだ。とにかく手間がかかってしかも食べたことがない味であること。もう一つはこのダルムオン猟地の食材を使うこと」
「手間がかかって食べたことがないお料理。クリケットよりもってことですよね……」
「ああ、ここだけの話だけど驚かせなければいけないお客様は一人じゃない、実質的には三人だと思ってほしい。どうやって作ったんだって興味を持つ品にしてほしいんだよ」
忙しいだろうに任務にもどらないカインが、じろっと俺を見た。まるで幼い妹に悪いことを吹き込もうとする男を見る保護者の目だ。さっき嫌味を呟いたレイラも、こんな小さな子になんてひどい、という表情を向けてきた。
仕方がないのだ。隣の会議堂を出る時に、敵が何人かは想定できない。
「そうですね、私のお店ならお客様みんな満足してほしいですよね」
そういってマリーは近くの机に自分が持ってきたレシピ集を広げて真剣な顔で考え始めた。遅ればせながら、汚い大人の不純な思惑が恥ずかしくなる。
「……もしかしたら。ううん、あれならきっと」
しばらくじっと考えていたマリーが持ってきたレシピを捲る。前に渡した旧時代のレシピの写しの様だ。量からして、一人でずっと調べていたのだろう。彼女は何枚ものレシピをひっくり返した後、一枚を取り出した。
それは麦の粉を使った知らない生地のレシピだった。材料と作業工程、そして出来上がった生地の断面、食感や味の記述がある。材料の種類は少ないが、工程は単純に見えて手間がかかる。
「生地自体はお菓子みたいに甘くないですし。果物にもお肉にも合うと思います。見てください、この生地を使ったいろんなお料理があります」
「なるほど。生地さえ再現できれば応用は何でも効きそうだ。断面を見ると明らかにパンとは違うし」
「実は前から作ってみたいと思ってたんです」
マリーはそういって小さな手を胸の前でぎゅっと握り込んだ。戻ってこない団長を探しに来た団員が入り口からカインを呼ぶ。カインはあきらめたように首を振ってから戻っていった。
◇ ◇
石窯を開くと熱気とともに得も言われぬ香りが厨房に広がった。焼きたてのパンの香りも食欲をそそるものだが、これは一段とすごい。香りだけでご馳走だ。
マリーが木の大ベラで四角い小麦色の生地を取り出す。俺達は期待半分でそれを口に運んだ。
ガリっという音が簡易厨房に響いた。口の中に“折れた”生地を入れたまま顔を見合わせた。
「またカチカチですね」
「そうだね。なんというか……木の板を食べてるみたいだ。火は通ってるし、焦げてもないのに」
「味もちょっと重いですよね」
「脂っぽすぎるよな。甘くないドーナツの表面だけを焼き固めて食べてるみたいだ」
食べれないことはない、果実を煮込んだジャムを上に乗せればそれなりの味になるだろう。肉なんかを乗せても合いそうだ。ただ、何より特徴のはずの食感が全く再現されていない。これならパンの方がいいのだ。
「貴重な材料がどんどんなくなっちゃいます」
マリーが材料を入れたボウルを見てシュンとなった。王宮の料理人になっても材料を大事にするのはいいことだ。いや、使っている材料を考えると王宮の料理人でも嫌な顔をするだろう。
料理のことはよくわからない。錬金術はあくまで物の状態を調べるものだ。これまでの経験からしてその考え方は料理にも適用可能だ。いや、錬金術とか言わずとも、この硬い焼き上がりの理由は明らかなのだ。このレシピには発酵や重曹みたいな、生地を膨らませてふわふわにする工程や材料が含まれていない。
「レシピに書かれた生地の断面には隙間が沢山ある。この隙間がどうやってできるのかなんだよな。確かに工程は特徴的だけど」
「折りたたんでは休ませて、同じことを四回繰り返すって書いています」
「うん。その工程で生地が層になるのは間違いない」
描かれた隙間は確かに横に細長く層状だ。だけど、実際にはその層は次の工程で潰れる。となると……。
「間の打ち粉を増やしたらどうだろう」
「ええっと、実はレキウス様が下にいる時にやってみました」
「ダメか。工程じゃないとしたら次は材料だけど、明らかに比率がおかしいこれかな」
「頂いたレシピには昔のバターは人が飼っていた小さな魔獣から取ってたって書いてありました。今のバターとは違いますよね」
この生地の主な材料は小麦粉とバター、後は塩水だけなのだ。ちなみにそのすべてがパンでも使われていてこれまでは問題なかった。もちろん、俺達が食べたパンが昔のパンと全然違う味だった可能性はあるが、少なくとも断面は一緒だった。
それでもバターを疑うのは昔のそれと違う物だからだ。昔のバターは家畜の乳から作られていたのだ。しかも、この生地の材料は重量で言えば半分がバターなのだ。
ちなみに現在俺達がバターと言っている物は、乳椰子の果汁の上清であるクリームをさらに練ることで作り出す。クリームの時点で元の果汁の十分の一以下になるが、それがさらに半分以下になる。希少な上に作るのはとても労力がかかる。
おかげで例のモーターが大活躍したのがバター作りだった。それ自体は実は好都合なのだが、ちゃんと活用できないと説得力が落ちてしまう。
ただ、原料が違うって言ってもどちらのバターも油だ。水の上に油が浮くように、乳椰子の果汁の上に浮くクリームから、さらに水分を除いたものだからだ。旧時代の家畜の乳から作られたバターも記述的には同じだ。おそらく家畜が飼えなくなった後で、似たものを探し出しそれをバターと呼んだのだ。
「となると油の微妙な性質の違いがこの場合だけ問題になるってことか…………。もしかしたら、あれか!?」
俺は錬金術で油について書かれた記述を思い出した。錬金術的には油と水を大きく分けるが、油はさらに二つに分けられる。それは植物由来の物と動物由来の物だ。その違いは……。
「溶ける温度ですか?」
「ああ、マリーなら分かると思うけど、フライパンで加熱したらサラサラの油でも、採取産物から絞った油と魔獣の油は違うだろ」
「そうですね。採取産物からの油と違って肉の油はすぐに固まって……」
そこまで言ってマリーは自分のレシピを探し始めた。複数のレシピ、俺が渡した旧時代の資料が並ぶ。どうやらこの生地についての様々なレシピらしい。彼女はそこからボロボロの一枚を取り出した。
「ここです。生地を寝かすときは竈から離してって注意がありました。寝かすときは気を付けていたんですけど、もし私達が使ってるバターが昔のよりも溶けやすかったら……」
それは最も乱雑に書かれたレシピのさらに横に走り書きのように付け加えられたものだった。
「冷やさないといけないのかもしれません。バターを冷やしてから練り込んで、もしかしたら休ませるときも冷えた状態の方がいいかも」
「ああ、これは試す価値はあるな。カインに氷を用意してもらおう」
俺は都市の北にある頂上が白い山を見た。ドラゴン狩りの時はグランドギルド跡の氷河付近まで行ったらしいから、戦車ならいけるはずだ。
…………
「ああ、これすごく幸せになる味です」
「うん、間違いなくこれまで食べたことがない」
俺とマリーは焼く前の倍以上に膨らんだ小麦色の生地に感嘆していた。
「パイ生地、再現できたな」
「はい。後はこれに何を入れるかです。ダルムオンの食材は色々だし、迷います」
マリーは早くも料理の完成に向けて考え始めている。だが、俺は心配していなかった。土台としてのパイ生地のポテンシャルは俺にも十分わかる。これにマリーの料理の腕と探求心が加われば、何をどうしてもおいしいものができるに違いない。
年に似合わない真剣な表情で何枚ものレシピを机に広げるマリーを見て、俺はこれからのことを考える。
今朝、グランドギアーズがトランまで来たという知らせを受けた。これまでと違い、トランの上空はおとなしく通過しただけということだ。ラウリスとグンバルドの両王も、明日には到着する。
歓迎の準備は何とか間に合いそうだ。
◇ ◇
「どいつもこいつもふざけやがって」
崩れた都市を見下ろす山中、人知れぬ洞窟の前で髭だらけの男がわめき声をあげた。彼を取り囲む数人も怒りに肩を震わせている。かつては猟地の回復、いやそれ以上の野望をもって世界の全てと戦っていた傭兵団の残党だ。今、彼に残されたのは四人の団員とほとんど魔力が切れた戦車一台だけ。
ほとんどすべてを失った彼が手に握っているのは一枚の紙切れだ。血痕にまみれたそれは、旧ダルムオン領地をかすめるように、秘かに運航していた船の商人の遺体から出てきたものだった。
傭兵から山賊にまで落ちぶれた彼らを怒らせたのはその内容だった。
そこには、ポーロ・マドラスが三都市の王と何らかの取り決めを交わすという内容が記されていた。その条件として挙がっているのはかつての彼らの故郷である、眼下の滅んだ都市だ。
「さんざん利用してくれた挙句。俺達の都市で世界の今後の取り決めの話し合いだ。馬鹿にするのもたいがいにしやがれ」
団長は血走った目で残った部下を見た。騎士としての誇りを完全に捨てた一団は、そろって同じ目をしていた。
「こうなったら目にもの見せてやる。ポーロ・マドラスと連盟の騎士ども全員に目にもの見せてやる」
2021年12月12日:
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