閑話 天網の死角
真昼の月のような白銀の球が、それを取り巻く輪をゆっくり回転させながら空を進んでいる。大陸を睥睨するその姿は、かつて世界を支配したグランドギルドの力を現代に生きる全ての人間に見せつけるようだ。
実際、グランドギアーズは植民都市の反乱を二度と許さないために作り上げられたものだ。飛び立つ前にグランドギルドが滅びなければ、大陸に恐怖の記憶を刻んでいただろう。
その力の源は中央に存在する球形の魔力結晶だ。グランドギルドの中心地脈、大陸でも最も高濃度の魔素を六色の魔術陣で極限まで濃縮したものだ。その魔力をもって作られる結界は重力すら遮り、飛ぶというよりも浮かんでいるに近い。
飛行高度はグライダーの二倍の高さ。さらに都市結界よりもはるかに強力な結界に守られている。グランドギルドなき今、触れることが出来る者すら存在しない絶対の存在といえる。
ラウリスやグンバルドの王宮を凌ぐ巨大な球の中には、僅か十人ほどの人間しか存在していない。上部にある指令室にいるのはその半数。ポーロ・マドラスと彼の息子と娘、そして白い双子の五人だ。
残りの五人は彼らに長く仕えた使用人であり、グランドギアーズの生活スペースで働いている。グランドギアーズの収容人数は白騎士団を運ぶことを想定して二百名を超える。つまり、食糧その他の保管には事欠かない。
またその下部には、地上との連絡用の円筒形の装置もある。静止した状態での上下移動しかできないが、この人数の物資なら供給に困らない。商業ギルドはいまだ非公認とはいえ、あらゆる都市でその賛同者を増やしている。
実際、司令室で行われているのは各地からの報告の整理だ。マドラス商会の取引先の中でも、彼の計画に早くから協力していた商人や文官を通じてあらゆる情報が送られてくる。グランドギアーズの制御を一手に引き受ける白髪の青年と女性だが、現在は地脈に沿った巡行移動であるため、通信に専念している。多くの都市にいる同じ血を引く末裔との通信、ポーロが秘かに養育した白い忌み子の孤児たちを用いたものだ。
魔力で表示される大陸図に描かれるのは政治状況だけではない、各地の人口や物産など商業に必須の情報の方が多い。上空を単独で移動するグランドギアーズだが、大陸を管理する機構を備えているのだ。
総帥たるポーロは四人がまとめていく大陸の趨勢を黙ってみていた。
今のところ彼の戦略は順調だ。上空から騎士どもを睥睨しているだけで、世界の趨勢は彼に傾いていく。それも刻一刻と。
「ラウリスとグンバルドの両盟主都市すら、我らに賛同する者が増えています。契約期限である一月後までには騎士どもの焦りも頂点に達するでしょう」
「ただ、連合している三つの都市の中で、一つだけそういった流れが広がらない都市があります」
「…………やはりリューゼリオンか」
息子と娘の報告を聞いた老人は、白い眉毛の下で両眼の皺を深めた。ポーロの視線は先ほどからずっと一つの都市に注がれていたのだ。
地図の上では取るに足らない都市だ。東西の中間といえば聞こえはいいが、実際にはダルムオンが滅びたからそう見えるだけで、実質的には中央からは南にずれている。
護民騎士団とやらの仕組みには見るべきものがあり、それが彼らになびく平民の動きを押しとどめているようだ。だが所詮は都市自体の規模に見合った小組織だ。だが、これまで彼の思惑や予測をことごとく覆してきた存在でもある。
最初は猟地に執着する騎士の習性が抜けない傭兵団の不手際と思ったが、これだけ続くのは明らかにおかしい。特に予想外だったはずの戦車による電撃侵攻を撃破して見せたことは驚愕であった。
ポーロはグランドギアーズが空に浮かんでから、ただ一度地上から取り寄せた荷物を見た。
無論、これまでの作戦は所詮はグランドギアーズを手に入れ、彼の組織を浸透させるための目くらましである。リューゼリオンによる予想外は大勢を一切損なってはいない。現状が彼の計画の強靭性を証明している。
だが、もしも今後も同じように予定を崩された場合は、彼の計画の本筋に関わる。つまり、唯一の不確定要素だ。
「念のためにリューゼリオンを破壊しますか。ダルムオンが復興可能なら、あの都市が無くなっても大陸の通商に対するダメージは少ないでしょう。また、騎士達にこちらの本気を見せることにもなります」
「新しい世界の為には一都市程度の犠牲は止むをえんが……。いや、今まさに我らに趨勢が傾きつつある今、一つの都市を潰せば平民に恐怖が広がる。我らの敵はあくまで騎士、平民に対しては解放者という立場を崩すわけにはいかん」
息子の進言に、珍しく迷いを表に出した老人。だが、彼はすぐに首を振った。
「騎士どもが我らの要求をすんなり呑むなどあり得ぬこと。必ず何らかの抵抗をしてくるはずだ。その時の為に「実際に都市を一つ破壊する」という最大の手札は持っておかねばならぬ」
「確かに。我らの目的上も、都市を破壊して回ることはできません」
息子が一歩引いた後、白い双子の女性が足早にポーロに近づいてきた。彼女の手から書き留められた通信を受け取ったポーロは、その内容に押し黙った。
「ラウリスの協力者からですか。いかなる報告です」
「……三都市連合が商業ギルドの設立を認める。しかも、設立したギルドに旧ダルムオン都市を譲渡する。それも無条件で。そういう話が三都市連合の中でまとまりつつある、という報告だ」
「こちらの要求を飲むどころか、さらにダルムオンを?」
「その代わりに連盟の存続を要求する、などの条件もなしですか?」
「ああ、無条件でだ。如何に焦っているとはいえ破格の条件だな。全面降伏だ」
二人の子の表情には一切の喜色はない。それを確認してから老父は続ける。
「ただし、正式な契約の為に旧ダルムオンに私自身が赴くことを求める。だそうだ」
「なるほど、要は罠ですか」
「父上を呼び出して亡き者にしようとする。あからさますぎて興ざめするほどですね」
『契約』という言葉が使われているのが、そもそもおかしい。これは商人の流儀であり、建前上は対等の関係の間で結ばれるものである。騎士が商人に合わせ対等の立場に自分たちを置く。あり得ない話だ。
「当然、ただ拒否すべき話ではある。だが……」
ポーロは先ほど見た地上からの荷物、厳重に布にくるまれた細長い物体を手に取り、その覆いを開いた。出てきたのは白銀の筒である。リューゼリオンで戦車を破った遺産だ。実際には、ラウリスで起こった反乱鎮圧の際に“海中に失われた”はずの一丁である。
三色、いや六色の魔術陣を用いたものだ。明らかにグランドギルドの遺産の形式である。当たり前に考えれば白騎士団の最新装備として用意されたと考えるのが妥当なものだ。六色の魔術が確立したのはグランドギルドが滅亡する直前であり、旧ダルムオンの鉱山ですら用いられていない。
三色の白魔術すら限られた形でしか外には出さなかったグランドギルドが、なぜ辺境の一都市にこのような遺産を残したのか。しかも、全く記録に残っていないのだ。グランドギルドやこのグランドギアーズの中にもそれらしい資料がないことは説明しがたい。
あるいは白の禁忌に属した者たちの残党の遺産でも掘り起こしたか……。
「どちらにしてもやはり最大の問題はリューゼリオンだな。分からぬことが多すぎる」
「確かに戦車を破ったことは侮れませんが……」
「無論、我らのグランドギアーズにとっては何ほどのこともない。仮にこれを持った騎士がグライダーに乗っても届きはせん。だが、この新しさは再生産したとも見える」
グランドギルドの遺産をただ受け継ぎ維持に汲々とし、その劣化におびえていた都市の中で、異色の性質だ。そう考えると、あの一小都市が三都市連合の中心ということすら……。
同じ都市で生まれた騎士を躊躇なく撃ち殺した好戦性に、一都市であるリューゼリオンが大陸を支配せんという野心を抱いた場合、東西の激突以上の血が流れる。そこまでされるとその後の経済復興に多くの時間がかかる。商業ギルドが軌道に乗る前に己の寿命が尽きるだろう。
「現時点で破壊が下策だというのなら……」
ポーロは再び件の報告に目を落とした。契約締結にはラウリスやグンバルドと並んでリューゼリオンも参加することが記されている。つまり、三都市の中でのリューゼリオンの立場や役割を、彼自身の目で見定めることが出来る……。
「敢て騙されてやるのも一手か」
老人は結論を下した。騎士どもが何を企もうと、頭上にグランドギアーズを浮かべて置けば下手なことはできない。彼が鉱山に用いた『黒い魔球』は狩猟器以外には大きな影響はない。だが、グランドギアーズには全く反対の兵器も用意されているのだ。
2021年12月5日:
次の投稿は来週日曜日です。