#8話:後半 本当の勝負の姿
運河沿いに並ぶ水車。工房街の中にある小さな店。俺が久しぶりにレイラの店に入ろうとした時、店構えに似合わない豪華な服の男が出てきた。
恰幅の良い男は玄関で何度も頭を下げてからこちらに歩いてきた。そして灰色の文官服の俺に気が付くと、辛うじて会釈と分かる程度に頭を下げてから市場の方に去っていった。
「さっきのは誰だ? 見たことがない顔だけど」
「陶器を扱う商人の元締め的な人ですね」
「陶器? なんでまたそんな店の商人が」
店の中に入った俺のごく自然な疑問にレイラは疲れた顔になった。
「文句を言いに来たみたいですね。ウチがろくろとかいろいろ注文したんで、縄張りを荒らされると思ったみたいです」
よく見ると店には水車のものらしい歯車や、大小のろくろが置いてある。
「文句ねえ。その割にはペコペコ頭を下げてたけど、向こうが」
「……そりゃ恐ろしいでしょうから。私じゃなくて私の後ろに居る誰かさんたちが」
レイラの表情はその一人は俺だと告げている。こっちは小役人扱いだったけどな。まあ、市場に顔を出す文官なんて普通は小役人なんだが。
それはともかく護民騎士団や王宮とつながるレイラは今やどんな大商人でも手を出せないだろう。デュースター家が潰れた今はなおさらだ。ただし……。
「本当にそれだけか? あっちにしてみればこの店の持ってるお金だけでも怖かったりするんじゃないか?」
「お金、もういらない」
レイラから商人が死んでも言いそうにない言葉が飛び出した、しかも片言で。
「ちなみにどうやって保管してるんだ」
「王宮の金庫に預かってもらってます。この前アメリア様に「このままだとあなたのお店の金庫になりますね」と言われました」
「いくら何でも触媒だけでそうはならないだろう」
「触媒だけならそうならないですね」
俺は受け取った預かり証明書を見た。なるほど、このお金を金庫から一度に引き揚げたら王宮の予算執行に影響が出かねない額だ。俺達文官の給金の支払いが遅れるとか。
「…………使い道がないと大変ですね」
「なんでいきなり言葉遣いが変わるんですか。この前デュースター家の御用達だった大店が店を買ってくれないかって話が来ました。断りましたけど」
「それリューゼリオンで一番大きい店だよな」
「大きかった店、ですけどね。私ら小さな商人に取っちゃお役人様よりも怖かった。レキウス様がいなかったら今頃はそこの旦那の妾にされてたかもしれないですね」
「確か最近はアメリアとかクリスティーヌ殿下とも一緒に仕事してるよな。二人の伝手でラウリスとの交易をその店使ってやったら。あっ、いやなんでもない」
しゃべればしゃべるほどレイラの目が死んでいく。さっきの商人がレイラの新事業にビビってやってきたのは、俺のお願いが原因だったのだ。
「そんなことよりも、わざわざ店までどうしたんですか?」
「そうだった。ちょっとレイラの意見を聞きたいことがあってさ」
ポーロと同じ立場、つまり(力のある)商人のレイラに彼の商業ギルドによる計画がどう映るか、これはぜひとも聞いておく必要がある。
「あくまで予想だけど、これが向こうの提示する未来だ。レイラの立場だとどう思う」
「リューゼリオンじゃなくて大陸全部の商売の話、それ以上ですか」
聞きたくなかったという顔になったレイラだが、事態の深刻さを理解したのか考え始めた。
「多分お金も物もその流れが大きく速くなって。沢山の人が潤うと思います」
「なるほど。やっぱり商人はもちろん職人にもこっちの方がいいか」
「そうとも限りませんけどね」
「そうなのか、何がまずい?」
「そもそも外との取引にからめる商人なんて少数です。そういった商人とそれ以外の差が開いたら、私らみたいな小さな商人は困ることが多くなります」
「なるほど」
レイラが小さな商人かどうかは別として、商人の中でも差が出るということか。確かに、市場に露店を出しているような商人にとって、大陸規模の交易がもたらす恩恵は遠いだろうな。
「それに、平民とひとくくりにしても商人と職人じゃ立場が違います。一部の商人が大きくなったら、困る人間も沢山出ると思います。騎士様と違って生業が直接ぶつかるんです」
「なるほど。さっきの大商人がレイラにビビったみたいに……。なんでもない」
騎士と文官二割と残りの八割の平民に二つに分けていたが、その中にはさらに立場や役割の違いがある。考えてみれば当たり前だ。俺自身、商人一強の行く末に懸念を持った。実際にその立場であるレイラの意見は説得力がある。
「いや、参考になったよ。本当に助かった。そうだ、レイラの方で何か困ったことがあればいってくれ。俺に何とか出来ることなら」
「今困っていること……。今日の午後はクリスティーヌ様とアメリア様とお仕事しなくちゃいけないことですかね。もういっそのことレキウス様が全部仕切ってくれれば私もわかりやすいんですけど」
俺はさっきの大商人よろしくレイラに何度も頭を下げてから店を出た。
◇ ◇
レイラの店から戻った俺は開発室に入る。新しい世の中の仕組みなんてあまりに漠然としたことを考えている間にも、本来の仕事である魔導砲の開発は待ってくれない。
魔導砲試作の最後の関門である術式についてシフィーと一緒に考える。基本は新型狩猟器と同じだ。ただ、無補給で大陸の全都市を回って見せたグランドギアーズの性能を考えれば、これまでの想定よりさらに性能を上げないといけない。
透明魔力結晶の容量が上がっても、その魔力を極限まで引き出さなければ、いや引き出したとしても届くかどうかわからないのだ。正直言えばグランドギアーズのエンジンを見せてくれと言いたい。どれくらいのものを作れば、あなたを落とせますかと質問したい。
「前途多難だな」
「すいません。私のミスです」
そんな余裕がない状況で、俺とシフィーは筒の中で回転するだけの弾丸を前にしていた。回転を強めようとしたら推進が止まってしまったのだ。要するに真横に回転してしまうという、考えてみれば当たり前の失敗だ。
「あっ、いやシフィーが悪いんじゃないんだ。ほら魔力の無駄はほとんどなくなってるんだから。そうだ。魔力結晶の合成器、アレを動かすにはこっちの方がいいかもしれないぞ」
「本当ですか」
失敗にシュンとなってしまったシフィーを慌てて慰める。歯車の再調整を頼まれるふくれ顔のレイラが頭をよぎったとき、入り口に影がたった。
「ここは賑やかで楽しそうね」
リーディアはシフィーやヴィヴィーを見て言った。護民騎士団名誉団長として、カインと入れ替わりにリューゼリオンの代表として連合軍の方にいっていたが、帰ってきたようだ。
「それに、なんだかレイラとも新しいことをしているみたいだし」
「いや、あれも魔導砲の開発の一環ですよ」
「とにかくレキウスは私の右筆なんだから。じゃなかった、私にも何かできることがないの」
「ええっと、今のところは……。いや、そうだ。一つ聞いておかないといけないことがありました」
俺は開発室の奥で、かいつまんでポーロ・マドラスの計画の全貌を説明した。彼女は優れた騎士であり、わがリューゼリオン都市の次の代表でもある。彼女の立場からの意見は重要だ。
「ふざけるなっていうのが答えね」
王女様とは思えない言葉が飛び出した。
「だって騎士は森の中深く入って魔獣狩りという一番危険な仕事をしているのよ。何日も帰らないこともある。それは狩りが騎士の誇りだからよ。こいつの考えの中で狩りは次いで扱い。商人の都合のままにいつ、どこに行くか決まるなんて我慢できるわけがないでしょ」
「なるほど。そりゃそうですよね」
騎士だって安全を重視すれば弱い魔獣だけを狩っていればいいことになる。強力な魔獣を狩ることが騎士にとっては周囲からの評価を決める。騎士が名誉を掛けて少しでも強い魔獣を狩ろうとするからこそ、採取労役も可能になる。もちろん、全体を見て完全なバランスではないが、だからと言って否定はできない。
「まあ、私達の視野が狭いということに関しては認めざるを得ないかしら。なんやかんや言っても私達は都市の中心と森を行き来して、平民の皆が何をやっているかも、猟地の向こうで何が起こっているかも無関心だったから」
リーディアは護民騎士団やラウリスでの魔導艇レースを通じて平民の暮らしも猟地の外も知っている。そのリーディアでもやはりそういう感覚なのだ。それが今度は我慢できないのがポーロということになる。
「もう一つ気になるのは、このやり方だと都市と猟地というええっと、レキウスの言い方だと単位かしら。それがあまりに希薄に感じるわ。都市そのものは必要でしょ」
「もちろんそうです。それをちゃんと管理する主体も」
「そういうこと。外ばかりを見ている商人に本当にできるかしら。この都市が私達の物とまでは言わないけれども、でも誰の物でもなかったら、誰が都市を大事にするの」
その言葉にはっとした。商人は極端なことを言えば一つの都市が潰れても別の場所に移ればいい。その点は猟地に縛り付けられた騎士と違う。全体を見ないといっても、その全体が都市と猟地という部分の集まりであることも確かなのだ。
リーディアの横顔はいつもよりもずっと大人びて見えた。
「どうしたの?」
「いえ。リーディア様も本当に成長なされたなと思って」
「っ、そ、そう思うのなら兄様はもっと私を気にすべきだと思うけど」
赤らめた顔をそむけたリーディア。さっきの大人の面影が綺麗に消えた。
ともかく、ポーロの革新的な計画に引きずられていたのは間違いない。それが確認できただけでも、彼女の意見は重要だった。
…………
リーディアが開発室から王宮にもどり、俺はシフィーとヴィヴィーに後を任せて、資料保管庫の地下に潜った。
社会の未来の形、とてつもなく大きな話だ。いまだ明確な形は見えてこない。ただ、みんなの話を聞いてわかったことは、色んな立場の人間がそれぞれの立場の都合や考えを抱え、それが集まって社会が成り立っているということだ。
ポーロの計画は理想的に運営されれば騎士を代表する王宮、つまりいわば騎士ギルドと平民を代表する商業ギルドの二つのギルドがパワーバランスを取るという形になりうる。騎士一強よりも優れているといえる。
だが、結局のところ騎士か商人のどちらが勝つかになってしまう。バランスを保つための力が騎士の武力か、商業ギルドのグランドギアーズか。両者が丁度バランスを保ち続けるとは思えない。天秤が崩れれば、乗っている者すべてがひっくり返りかねない。
王宮と商業ギルドの対立が、他の平民にしわ寄せをもたらす可能性だって十分ある。仮に商業ギルドが勝てば、実際に存在する都市という生活の単位よりも大陸全体の商業的利益が優先されかねない。
騎士が勝った場合は、本来その力を向けるべきではない平民を力で押さえつけるという経験をした騎士の統治はこれまでよりもひどいものになりかねない。しかも、グランドギルド滅亡後の孤立した個々の都市から、段々と大きくなってきた東西の連盟はいま新型狩猟器を持っている。この流れの行きつく先は……。
都市間の関係をどうやって管理するのかという問題が残っているのだ。特に遺産絡み。いや、それに加えて錬金術絡みというべきか。これらの大きな力をどうやって管理するか。
「そもそも管理なんてできないんじゃないのか」
思わずうめいた。古のグランドギルドが圧倒的な魔術の力ですべてを支配していた時代ですら、反乱は起こったのだ。都市を否定せず、多様な立場の人間の意見を反映して、しかも全体も管理する仕組み。そんな都合のいいものがあるはずがない。
グランドギルド、騎士ギルド、商業ギルド、どれが支配しても同じ問題を抱える。なら、何ギルドが仕切ればいいんだよ。錬金術士ギルドでもおったてるか。いま現在多く見積もっても三人の俺達に何ができる。大体それってグランドギルドと何が違うんだよ。ギルド、ギルド、ギルドと頭の中に同じ単語があふれていく。
「そもそもギルドってなんだ」
ギルドは同じ立場の人間をまとめる仕組みだ。ポーロの商業ギルドは都市という単位を離れ、商人という同じ立場の人間を大陸規模で結びつける。それをもって騎士に対抗するわけだが、完全に形だけで見たらどうなるか。
これは、都市という縦糸にギルドという横糸を通したような、十字の形だ。いや、都市の数だけある縦糸を一本の横糸で結びつける。これは不安定だ。でも、これをもっと安定させることが出来たら。
そう考えた時、雷光のようにあるアイデアが生じた。異なる立場の職業同士の調整をしつつ、しかも都市という単位を否定しない仕組み。ギルドを使えばそれが作れるとしたら。
これが出来れば問題は解決する。だが、その為にはとんでもない綱渡りが必要だ。なぜなら現在の社会を保ちたい、つまり本来味方である両連盟も敵に回るのだ。
「いや、むしろグランドギアーズが存在するからこそ可能性がある」
新しい社会を作るという意味ではポーロと俺はむしろ共謀関係、そう考えれば問題の本質が変わってくる。
だが、それでもとんでもなく難しい。いくつもの障害があり、その一つ一つが困難な作業になる。
この構想の実現の為には誰にも負けないだけのチームを組まないといけない。
2021年10月31日:
次の投稿は来週日曜日です。