#12話:前半 仮説検証
一階の実習室に入った俺はそこに誰もいないことを確認して棚に向かう。学院で錬金術の実験をするというのは危険だが、まさかシフィーを官舎に連れ込むわけにはいかないし、何より時間がない。使えそうな道具はここにしかないのだ。
それに、今日ここでする予定の実験は、あくまで理論的確認だ。実戦至上主義の騎士は実用性がないことに興味を持たない。魔術基礎の扱いとかひどいものだった。
棚にはシンプルな道具しかない。これから行う実験に使えそうな道具を見繕う。必要なのは浅い皿、なるべく長く細い瓶。そして、口が広い小瓶。
ああもう、ガラスの質が高いのはいいけど、余計な装飾とかいらないんだよ。皿に渡す支えは、このガラス棒でいいか……。
あとは紙だが、これは文官の仕事道具だ。ペンの走りがいい上質のものほど、この実験には適しているのだ。ただし、前回よりも広い面積が必要だから……。
俺がテーブルに紙を置き、重しを乗せた時、ドアが開いた。
「すいません、遅くなりました」
「いやいや、無理を言ってるのは俺の方だから。手に入れてくれたんだね」
シフィーが小さなビンを手に持っている。青い色の澄んだ触媒だ。よし、これで実験はできる。手に入らなければ、リーディアの命令書を使わなければならないところだった。
「ちなみに、何か聞かれた?」
「はい。一度だけいい触媒で練習してみたいって言って、何とか分けてもらえたんですけど、練習には私が付き添うからって、それでちょっとだけ」
なるほど、普段ならじゃあお任せしますというところだが、今回はそうはいかない。秘密が漏れては困る理由が二つある。
俺は実習室の窓から廊下を見た。外に気配はないが……。
「ヴェルヴェットさんはちょうど学年代表の仕事が入って、そちらに向かいました」
「そうか、友達に隠すような事させて申し訳ない」
もちろん、嘘にならないようにするつもりだが、正直言えばこっちは一杯一杯だ。
俺の予想が正しければリーディアは望まぬ相手と将来の約束をし、その立会人は火竜という状況。さらに下手したら都市が滅ぶ。そうなったらマーキス嬢も巻き添えなので、勘弁してほしい。
「それで、私が先生のお手伝いっていうのは」
シフィーが小さな両手を胸の前で握って聞いてくる。そういえばこの前はちゃんと説明していなかったよな。
「実は触媒の性能についてちょっとした試験をしたいんだ。えっと、学院の授業の区分だと魔術基礎に近い内容なんだけどね」
「魔術基礎。先生の授業が懐かしいです」
「ただ、それをするためには触媒に魔力を流せる必要がある。シフィーは触媒に魔力を流すことはできるんだよね」
「はい。でも、魔術の発動に至るだけの長さにはとても……」
シフィーの握った手がかくっと下を向いた。
「ああ、それは大丈夫だと思う。触媒の差が流れる魔力の経路の長さとして現れればいいんだ。えっと、一番基礎の練習用の魔術陣があるよね。こういうやつ……」
俺は取り出したペンで、メモ用紙にある模様を描く。
この形に魔術としての意味はほとんどない。狩りに使うような魔術は、これよりもはるかに複雑で長い経路になる。
ただ幾つ目の『〇』まで魔力を流せるかで自分の魔力の扱いの進捗や、触媒の相性を図るのだ。例えば、三色の内どれが一番長く流せるかで、自分の色がわかる。
「まずは、下級の魔力触媒と中級の魔力触媒でどれくらい差が出るか、それを見せてほしい。ただ、その先にする実験の都合上、なるべく触媒の量が少ないように調整してもらえるとありがたい」
「それなら。はい、わかりました」
シフィーは傍目にわかるほどに緊張しながら、二つの青い触媒で魔術陣を書く。すぐに綺麗に形と大きさがそろった二列の魔術陣が並ぶ。
「先生。これでどうでしょうか」
「あ、ああ、比較という意味じゃ理想的だ」
「じゃあ、始めます」
シフィーは真剣な顔で二つの青の魔術陣に指を付け、魔力を流し始める。
「これで、限界です」
「ありがとう。下級触媒の場合は一目盛り、中級だと三目盛りだね」
俺のリクエスト通りだ。〇と線の比率や間隔を調整したんだろう。彼女がこれまでどれだけ真剣に魔術に打ち込んできたのかよくわかる。なんでこんなにしっかりと自分の魔力をコントロールできるのに……。
っと、今はそれを考えてるわけにはいかない。
「よし、これで触媒の質を判定する基準ができた。そこでなんだけど、シフィーがこの前言っていたこと。俺が用意した下級触媒の方が新しい下級触媒よりも良かったって話だけど」
「は、はい。先生のあの紙に触れた時、本当にすって魔力が引き出されてびっくりしました」
「わかった。じゃあ次はあの時の触媒をテストする。今から作るから下級の触媒を分けてもらえるかな」
俺はさっき平らになるように重しを掛けていた横長の紙を手に取った。
「はい。でも、私なんかが見ていいんですか。お家に伝わる大変な秘密とかなんじゃ……」
なるほど、グリュンダーグ家の秘技とか勘違いしてるのか。まあ、今回の最終目的を考えると、それくらいじゃないと困るが。
「秘密といえば秘密かな。何しろ、魔術に対してこんな方法を用いたなんて知られたら、何を言われるか解らないからね」
どちらかといえば正反対だ。俺が笑われるだけならともかく、シフィーに対する風当たりがきつくなるのはまずい。
俺はガラス棒を定規に大きな紙に下級魔力触媒の青い線を引く、何度もそれを繰り返し紙の端に太めの青い線が引かれる。今回は分析だけじゃだめだ、量がいる。
後は前回と同じようにクロマトグラフィーを開始するだけだ。ただし、なるべく水平に、しっかりタイミングを合わせて進展を開始しないと。
浅い皿に慎重にガラス棒を渡し、そこに布いたエーテルに慎重に紙の先端を付ける。
…………
「よし。分離できた」
綺麗な青いバンド、そして見えるか見えないかの曇った青いバンド。やっぱり、劣化してない触媒はこうなるか。その前後に何本かの薄いバンドが見える。さすがにこの広さだと端は歪むな。
前は劣化した青や、緑の混入物に注意をとられたが、この見えるか見えないかのバンドにも意味が在った可能性があるわけだ。
やっぱり触媒ごとにパターンが違うか。異なる魔獣の心血由来だからだろうな。となると、青の触媒の素子について……。
いかんいかん、実験を始めるとすぐこれだ。
「…………これ、大きいけどこの前の紙と同じですね。すごく不思議です」
シフィーは目の前に現れた触媒の分析結果に目を丸くしている。
「まあ、大昔の技術なんだけどね。職人のっていったけど、実際には魔術がまだない時代に考えられたものなんだ」
「魔力がない……えっ、旧時代のですか」
「実はね。でも、なかなか馬鹿にしたものじゃないだろ」
シフィーはコクコクと頷く。
「といっても、実験の本番はこれからだ。このままじゃ同じ条件で比較できないから、次はこの青い成分だけをもう一度エーテルに溶かし出す」
俺は紙を乾燥させる。そして、ペーパーナイフで青のバンドの部分だけを切り分ける。やっぱり端の方はカットした方が無難だ。
これで魔力触媒の中で、本当に触媒に必要な成分だけを取り分けたことになる。
切り離した青く細い紙を新しいエーテルを入れた瓶に浸し、蓋をしてゆっくり振る。紙の青が薄れてエーテルに薄く色が付く。紙が白くなったところで引き揚げる。
これは錬金術の基本理念である素子の性質に基づいた物質の純化だ。それを魔力触媒に適用しただけの話。
さて、いよいよこの精製触媒の性能をテストだ。