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#閑話 形なき組織

 リューゼリオンのラウリス大使館には若く綺麗な三人の女性が集まっていた。東の大勢力ラウリスの王女であるクリスティーヌ、リューゼリオンのエリート文官であるアメリア、そして一介の商人娘だが護民騎士団の会計担当として彼女なしでは拡大していく団の活動が不可能と言われるレイラの三人だ。


 本来なら華やかに見える集まり。だが、三人の美女の瞳に映るのは文字と数字の山だった。


 彼女らの前には大陸全土から集められた情報が積み重なっているのだ。ある帳簿は消えた塩の流れ。ある手紙の写しは都市の有力騎士と商人の繋がり。そしてまたある文章は小麦を用いた料理のレシピの伝達。


 普段から大量の書類を捌くことに慣れた彼女たちだが、まったく性質の違う情報がここまで混在する状況下では、苦戦せざるを得なかった。


 朝、仕事が始まった当初は勢いよく進んでいた分析も、太陽が中天に差し掛かる現在はページをめくる指は気だるげで、文字や数字を映す目には胡乱な光が浮かんでいる。


 気品あふれる姫君、まっすぐな姿勢を崩さないエリート女史の二人が見せる崩れ。彼女らに憧れを抱く男性陣がもしこの光景を見たら、その無防備さが一種の色気にも映るかもしれない。


 そんな中、投げ出してしまいたい両手と両足、彼女が家で仕事に詰まったときの当たり前の姿勢、を何とか我慢しているのがレイラだった。


 レイラの負担は大きい。三人が今追っている大陸規模の陰謀集団は商人を中心としている可能性が高く、直接の知識を有するのは彼女だけなのだ。こういう時にはミスが起こりがちだ。それも、大抵の場合一番やってはいけない種類の。


「うーん。あっ、そちらのラウリスの資料をください」

「これでしょうか。はい、どうぞ」


 レイラは伸ばした手に渡された資料を見た。瞬間、背筋に冷たい何かが流れた。なお、霧がかかったような状態のレイラの頭脳に紙面の内容はまだ届いていない。彼女が認識したのは自分がラウリスの王女に対してとった態度である。恐る恐る顔を上げると、横目にやってしまいましたねという顔のアメリアが見えた。


「レイラさん。そちらの帳簿を……」

「は、はい!! ど、どうぞこちらを」


 レイラは跳ねるように立ち上がり、求められた資料を両手で差し出した。クリスティーヌは当たり前のようにそれを受け取り、自分の作業にもどった。


 先ほどのことを気にした気配もない王女様に少しだけほっとするレイラ。視界の端ではアメリアが僅かにほっとしたような表情を浮かべたように見えた。


 少なくともこの仕事が終わるまでは仕方がない、彼女はそう自分を納得させた。大体、自分がこんなことになっているのは今は遥か北まで飛んでいっている文官レキウスが悪いのだ。


 …………


「間違いなく商人が中心でしょうね」

「同意いたします。ただ、これだけ調べても明確な組織の形が出てこないのは」


 白磁のカップを手にクリスティーヌが結論を口に出した。アメリアは皿に伸ばしかけた手を目に見えない速度で引いて答えた。もう少しで届きそうだった指が次の瞬間礼儀正しくスカートの上でそろっているほどの芸当だった。


 ちなみに皿の上には四角く平たく焼いたパンケーキで、色とりどりの乾燥果実をちりばめたクリームを捲いた菓子だ。リューゼリオン王宮の厨房から手土産として持ち込まれたマリーの最新のレシピである。


 一旦休憩という言葉で始まったティータイムだが、仕事は三人を離してくれないようだ。


 手に持った磁器の器が、口を付けただけで欠けそうな薄さであることにまだ慣れていないレイラも、黄金の生地と白いクリームに星のようにちりばめられた果実から未練がましく目をそらして、改めて考えに沈む。


 彼女たちが追っているのは『黒幕』とだけ呼称されている組織だ。東西両連盟の騎士同士を殺し合わせるという、大陸全土を揺るがせた巨大な陰謀を企んだ存在だ。


 常識的に考えれば、そんなことをやろうとする組織が商人中心というだけでおかしいのだ。ましてや、それは半ば成功しかけたとなればなおさらだ。


 しかも、それだけのことをしておきながらその中心が見えないのだ。つい最近まで傭兵団に物資が流れた形跡がある。そういった情報がいくつも彼女たちの前に積み上がっているのに。


「グンバルド側の情報が少ないことが原因でしょうか」


 クリスティーヌが小首をかしげた。疲れていても最低限の優美さを失わないのは流石だが、レイラはその意見に賛成できなかった。確かにラウリスに比べて提供される情報は少ないが問題となる塩や、グンバルドの騎士団の行動の情報に繋がりうる商人や取引を多数見つけている。


 東西の情報の量の差、それは確かにラウリスに比べてグンバルドが商人の活動に関心が低いことを示しているが、それを差し引けば東西どちらにもほぼ均等に動きがある。


 なのに、そういった不穏な商人たちの個々の取引は通常営業としか思えない。それも、取引相手が適度に変わるのだ。


(まるで商人のやることしかやってないみたいな、でもそんなことあり得ないし……)


「それにしてもレイラさんは」

「は、はい」


 黙って考えていたレイラにクリスティーヌが声をかけてきた。先ほどの無礼を思い出し、レイラの心臓が跳ねた。


「本当に優秀ですね。できればラウリスに連れて帰りたいほどです」

「こ、光栄です殿下。ですが……」

「ああ勿論、あなたを彼から引き離す、という目的ではありませんよ」


 一旦引きかけた冷や汗が再び背中を伝った。この姫君は時々戯れのようにこういう言葉を口に出すのだ。実に趣味が悪いと言わざるを得ない。ちなみに騎士サリアの分析では一種の反動らしいが、身分あるものがそれをやると下々にとっては割とシャレにならないのだ。


「それに、レキウスさんが手放すことはないでしょうし」


 思わず指先がロールケーキの中心のクリームにめり込んだ。目の前の邪気のない姫君がどうにも恨めしく感じる。これは余裕なのか? こっちだって付き合いの長さでは……。


「そういえば菓子といえば、レシピを流すという話はどうなっていますか」


 絶妙なタイミングでアメリアが発言した。レイラは慌てて資料を捲る。


「正直言って組織的な流れはまったく見えません。完全に個々の商人の関係にのみ基づいて広まっていっているとしか見えないです」


 レイラはそこで言葉を切った。これだけの企みを商人の立場で成し遂げるには、強固で巨大な組織が必要である。そう考えるのは当然だ。だが自分はこの二人、巨大な組織を統括する立場の人間とは違う。商人とは全体が一つの緩い組織ともいえる。文官や騎士とは違うのだ。金と契約でどこまでも繋がれる。取引相手の取引相手を知る必要はない。


 だからこそ大陸の東西の物の流れすら……。


「もしかしたら組織なんてないのかも……」


 口を突いて出たその言葉に、クリスティーヌとアメリアは顔を見合わせた。そんな二人にレイラは自分でも信じがたい、だけど妥当と感じる考えを口にした。


 …………


「お金の流れだけで考えます。怪しい取引に用いられるお金の大本に遡れば、ラウリスとグンバルドのこの二つの商会に集約されます」


 レイラの方針により改めて整理され直した情報を前に、彼女は結論を言った。組織ではない、しいて言えばこの資金の流れを組織というしかない。個々の商人の多くは単に利益を求めて活動したに過ぎない。黒幕の思惑など何も知らない可能性すらある。例外は二つ。


「なるほど、東西の二つの商会、ラウリスのファンティナとグンバルドのベレラの行動がこれほど一致しているということは……」

「商人の立場から見れば、この二つの商会は実質的に一つです」

「ランデムスのラオメドン王子を使嗾したのもラウリス側のファンティナ商会ですね」

「はい。そしてこの二つの商会の商圏が結びつく場所はここ、ドルトンです」


 レイラの指が旧ダルムオンの西、かつてのグランドギルドの南にあるグンバルド東端の都市を指した。つい先だって黒い魔獣に襲撃された都市だ。


「つまり中心にあるのはマドラス商会」


 東西の交易で主要な役割を果たすとは言え、騎士や文官組織との強いパイプがあるわけでもない、単なる代理業務と思われていた小商会だ。だが、大陸の全ての情報と物、そして金の流れを俯瞰してみるとまさにその中心に位置することが浮かび上がる。


 レイラは商人として、クリスティーヌはラウリスの文官の統括者として、幻想のように見えて巨大な力に思わず息をのむ。それほどの存在だった。


「グンバルドに早急に捕縛を要請しましょう」


 同じく唖然としていたアメリアだが、すぐにそう言った。クリスティーヌの手により、すぐにグンバルドへの要請が書かれる。


「ただ一つわかりません」


 書状を書き終えペンを置いたクリスティーヌが愁眉を顰めた。アメリアとレイラが同時に頷いた。


 このような緩い、組織ともいえない組織だ。商業ならばこれでいい。だが、このやり方でどうやって大陸を支配するつもりだったのか。最終的には傭兵団すら抑え込めない。


 敵の首魁、ポーロ・マドラスは今後いったい何をするつもりだったのか。それが皆目見当がつかないのだ。


 三人の結論としては、捕縛した本人から直接聞くことが出来るとなった。レイラも大変だった仕事から意識を切り替えようとする。だが、最後に改めて目の前に広がる資料をもう一度見た。そこにあるのは、商人としての力でここまで世界を揺るがした跡だった。


 彼女はそれを成した人間に畏怖に近い感情を抱いた、同じ立場の人間として。


 ◇  ◇


 グランドギルドの中心に立つ、巨大な三角錐の建物。大陸の地脈の中心から登ってくる高密度の魔力を受ける魔法院。かつての人類の魔術の中心であり、いまだ最高峰でもある。


 その密度自体によりまるで液体のように存在感を発する透明な魔力。それを巨大な結晶として形成するための機構が魔法院の中心にあった。


 すり鉢状のリングだった。吹き上がる地脈の魔力は周囲を取り囲むリングが作り出す赤、青、緑、橙、紫、黄の六色の流れにより中心に向かって圧縮される。魔力を感知できるものが直視したら失神しかねない濃縮炉の中心には、球形の透明な結晶が成長していた。


 複雑な魔力の制御を必要とする、本来ならば少なくとも三人の高位魔術師が行う結晶化を一人で操っているのが白髪の女性だ。


 塔の最上階ではもう一人の白い髪の男が、巨大な円形の構造物の中にいた。そこには本来は都市の地下にある結界器と同じ六角形の台座があった。違うのは術式が六色であること、本来は地脈を受けるべき中心には球形の台があることだ。


 魔導艇、飛行遺産、戦車、グランドギルドの外に出された遺産など、所詮は二流だ。今目の前にある物こそが、グランドギルドがすべてを支配するために用意した本当の遺産だ。


 記録によればその名を『グランドギアーズ』。完成すれば天空から世界を睥睨する巨大な力となるはずだったものだ。


 白い双子、グランドギルドの禁忌の血脈の末裔の仕事を見ながら、ポーロ・マドラスはわざわざドルトンから運び込んだ机の上で筆を走らせていた。


「騎士の世は終わらねばならん」


 三十年の彼の思考の結晶を書き上げ、痩せた両手で掲げ持った老人が執念のこもった目でつぶやいた。

2021年9月12日:

次の投稿は来週日曜日です。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 言い方ウッザ… そもそも魔力の発生とソレによる魔獣の出現で元の社会体制が変革を余儀なくされた過程で 魔力を扱える「騎士」達が消耗品として酷使された結果下克上食らった経緯が語られてるのに…
[一言] 正直商業ギルドの要求は妥当も良いとこな感じする 主人公の考え方を革新的と感じるような蛮族が支配者層の世界ってかなり終わってるからな まぁこの蛮族具合も主人公の現代人的論理思考能力SUGEEE…
[良い点] レキウスの肩書きは、「文官」のままで でもやってる事は、世界を守ってるな。 ポーロ・マドラス 金銭の流れだけで、制御出来るとは思えないが 要所要所に駒が居たのだろう。 [一言] グランド…
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