#2話 結界復活
魔蜂の巣の中心と化した旧ダルムオン王宮。カインたち護民騎士団が女王蜂を引き付けている間に、俺達は反対の壁際を走る。
リーディアが剣で迫りくる魔蜂を切り捨て、シフィーが新型狩猟器で上から飛んでくる魔蜂を落とす。その後ろを必死で荷物を抱えながら俺とヴィヴィーが走る。エサが来たのかと顎を伸ばしてくる白い幼虫がおぞましい。
「レキウス、ヴィヴィー早く」
地下への入り口を確保したリーディアが叫ぶ。
「よし、行くぞヴィヴィー」
「わ、わかってるっす」
俺とヴィヴィーは全速力で穴に入った。背後からブンブンという羽音が殺到してくるのが聞こえる。リーディアとシフィーが穴の入り口で入ってこようとする魔蜂を倒す。視界の端にバリケードに飛び込むカインが見えた。
…………
削り取られた階段の跡を下に降りる。急がなければならないが、万が一滑って壺の中身をこぼしたら目も当てられない。鉱山を放置して主力をつぎ込んだ作戦の成否は、これからの俺達の仕事にかかっている。
途中から階段が復活する。掘り進むのは途中であきらめたらしい。やがて結界室に繋がるドアが現れた。ドアを開くと広がるのが地下のドーム、結界室だ。
ひんやりとした空気。半球状の空間は上の戦いが嘘のように静かだった。その中央に青と緑の光を弱弱しく点滅させる六角形の台がある。俺達はグランドギルドの遺産、結界器だったものに上がった。
「本当にこれ直せるんっすか?」
ヴィヴィーが不安そうに言った。
結界器の表面は想像通りひどい状態だった。術式を刻む魔力触媒は色を失っている。特にひどいのは赤の部分で、錆びた鉄のように粉を吹いている。青と緑もところどころ途切れている。
三十年前に火竜の群れに襲われたとき、結界の負荷を超えた結果だ。打ち消せなかった赤の魔力が結界に逆流して術式を破壊したのだろう。
ただし、結界機能は失われても残った色により青と緑に中途半端に染まった魔力が上に間歇的に噴き出している。魔導金属の台と中央からの地脈の魔力は残っているということだ。
本来ここまで巨大化することなどない魔蜂の巣と、事前に上空から偵察してもらった結果から予想した通りだ。
「土台と魔力さえ生きていれば……。よし大丈夫みたいだな」
俺は持ってきたエーテルで赤の術式の一部をふき取る。壺から精製した上級触媒、つまりグランドギルドの超級触媒と同じ魔力伝導率のものを取り出し、円形に塗ってみる。新しくした部分から赤い魔力の光が発生した。
となれば新しい触媒で術式を書き直せば復活できるはずだ。術式については問題ない。全ての都市結界はグランドギルドによって作られた。構造はどの都市も一緒だ。当然、ラウリスとグンバルドにも確認してある。
問題は焼け付いたようになっているところだ。単に触媒が劣化しているのではなく、表面が錆びたようになっている。そこに関してはヴィヴィーが持ってきた魔導鞴と、戦車の投擲兵器から再精錬した魔導金属で取り繕う。
「先生。エーテル泉はちゃんと生きてます」
結界室の裏側を確認していたシフィーが言った。
「よし、急いで直してしまおう。土台をエーテルで洗うのは俺がやる。ヴィヴィーは焼け付いているところを魔導金属で塞いでくれ。リーディアとシフィーは手分けをして赤から順番に触媒の塗直しを」
ここからは時間との勝負だ。カインたちが持ちこたえている間に、この結界を復活させる。それさえできればこの作戦は成功のはずだ。
◇ ◇
倒しても倒しても次々に現れる兵隊蜂。その間にも大型の近衛蜂が防壁に迫る。
「弾込めが間に合いません」
悲鳴のような副官の報告にカインは判断を迫られる。通路の奥に引けば立地的には有利だ。だが、そうなると魔蜂の攻撃は地下に向く可能性がある。下に万が一のことがあれば、この作戦の勝ち筋は完全に失われる。最悪、地下組の撤退すらおぼつかない。そうなればこの作戦だけでなく、戦い全体の敗北になる。
いや、ここまでくればあるいは傭兵団との戦い自体には勝てるかもしれない。だが、戦いの後のリューゼリオンの運命は厳しいものになる可能性が高い。
カインは目の前に迫った近衛蜂にハルバードを叩き付け、退ける。
とはいえ、弾丸も残り少ない。いったん押し込まれたら、団自体の戦線が崩壊しかねない。これまで以上にギリギリの判断を求められる状況に、カインの頭脳が飽和しかける。
その時だった、上から魔蜂の頭部がぽろぽろと落下してきた。天井から入り込もうとしていた魔蜂がグライダーの攻撃により倒されたのだ。上空からの援護により敵の一隊の注意が上にそれる。カインはバリケードから飛び出し、近づこうとしていた近衛蜂の片腕を切り飛ばした。
「今のうちに弾込めと弾丸の補充を」
異なる都市の騎士同士が協力して魔獣と戦う。なるほど、騎士同士殺し合うよりもいい。地下にいる男の方針を守り抜くことをカインは決意した。
◇ ◇
四人で手分けして黙々と作業を続ける。すでに表面は清掃し終え、術式の書き直しも進んでいる。警戒していた上からの邪魔が一切入らないおかげで何とか順調に進んだ。
やがて赤、青、緑の三色の術式にすべて魔力が通った。中央の穴から魔力の柱が伸びる。だが魔力柱は白ではなく赤や青、あるいはその混じったような色の間を目まぐるしく移り変わる。
「ここからは三色のバランスを調整する」
俺は中央の穴の周囲で魔力測定儀で魔力の偏りを測定する。偏った色を指定すると、リーディアとシフィーが術式を精査する。問題の場所が見つかれば触媒を塗りなおし、土台の劣化が原因だった場合は、ヴィヴィーが対処する。魔力の螺旋回転がまっすぐ上を向くまで、繰り返し問題個所を修正していく。
ある程度覚悟していたが、複雑な術式のバランスは極めて繊細だ。赤が問題に見えて、それは実は青と緑のバランスだったりする。だが……。
「もう少し赤の出力が上がるように」
「待ってレキウス。どこにも問題は……」
「ここです。ここと青の位置関係で……」
三色を扱えるためか、シフィーの感覚はとんでもなく鋭い。
「よし、回転が安定した」
魔力測定儀の中では球形の魔導金属が滑らかに螺旋回転している。リューゼリオンの結界室と同じ状態だ。結界器の表面には三色が均等に光を浮かべる。
そして術式全体が点滅した後、結界器の中央から白い魔力の柱が立ちあがった。その光の柱に引きずられるように、結界器の表面の魔力の光も点滅から安定した強いものへと変わった。同時に、これまでとは比べ物にならない量の地脈の魔力が引き上げられる。
三十年の時を経て、ダルムオンの結界が復活した。
…………
俺達は急いで階段を上がった。女王蜂の間の状況は劇的に変化していた。
地面には多数の兵隊蜂が弱弱しくもがいている。空を飛ぶことが出来なくなった近衛蜂はカインたちの銃撃から女王を守ろうとしたようだが、最後の一匹が弾丸を浴びて倒れた。
その女王も巨体を支えることも出来ずに巣にもたれかかっている。弱々しく広げられた羽根が魔力を求めるように揺れている。
崩れた壁の隙間から外を見る。結界が広がっていく中、巣の中心に戻ろうとしていた魔蜂が次々と落下していくのが見えた。
この作戦はこれで勝利だ。結界が復活したことで魔力効果は打ち消される。騎士よりもはるかに魔力に依存する魔獣はその力の大半を失う。一方、結界と同じく三色の魔力を用いる新型狩猟器はその力を保つ。つまり、結界さえ復活させれば魔蜂がどれほどいようと勝利なのだ。
「何とかうまくいったようですね。とはいえ少々肝が冷えましたが」
「肝が冷えたどころか、まさしくぎりぎりだったぞ」
バリケードから出てきたカインが言った。その手には煙を上げる新型狩猟器がある。カインの横にはヴォルディマールがいる。どうやらグライダーから降りて加勢に来てくれたらしい。
「すまん。練習した時はもう少し早く終わるはずだったんだけど、土台の表面の劣化の調整が思ったよりも難しかった。ヴォルディマール殿下もありがとうございました」
「戦いの後のこの都市の重要性を考えれば空で舞っているわけにはいかんからな。それよりも、この先のことはどうだ。あのような無謀な計画うまくいくのか」
「結界器の無地の部分はむしろきれいでしたから、何とかなると思います」
魔蜂の群れが全滅。周囲の森の魔獣の密度はしばらくは回復しない。街に住む平民はいない。つまり、ここの自由に実験できる結界器を一つ確保した。それが成果の第一だ。そして、それを使って鉱山を攻める。
エンジンを改良した時と同じ要領で結界術式を六色化するつもりだ。結界としての強化は必ずしも必要ない。必要なのは地脈から魔力を吸い上げる力を上げることだけだ。
カインたちの調査で、傭兵団が籠る鉱山の地下に流れる地脈はこのダルムオンの地脈の下流に当たることが分かっている。鉱山の結界はきわめて強力だ。地脈の魔力を大量に必要としているはずだ。だから、同じことを旧ダルムオンの結界でやってやるのだ。
「傭兵どもも最後のよりどころである結界を、こんな遠方から攻略されるとは思うまいな」
ヴォルディマールが呆れたように言った。カインが苦笑する。
「とはいえ、しばらくは試行錯誤ですので万が一の時の守りはお願いします」
…………
六角形の結界器、その空白の部分に橙、紫、黄で術式を刻んでいく。失敗してはやりなおしを繰り返しながらも、基本的には対応する色をひっくり返すだけなので、作業は少しづつ前に進んでいく。
「先生」
「どうしたシフィー」
エーテルを組みに行ったシフィーが俺に話しかけてきた。
「エーテル泉の奥におかしな魔力の残滓があって……」
シフィーについていくと壁に隠された扉の後ろに、本棚があった。そこには一目見て古いとわかる多くの獣皮紙の巻物があった。後はいくつかの小箱。巻物の一つを取って広げてみる。
「これは……ダルムオン王家の記録か……」
◇ ◇
北の険しい山々、その地形の難を苦にせずに走る一台の車。それはぱっと見、戦車を前後に繋げたような形だった。四つの球の上に旧時代の貴族の馬車のように意匠を凝らした台形の車体が乗っている。
かつてグランドギルドと呼ばれていた都市で用いられていた魔術師の移動用の車だ。この山脈の麓、かつてグランドギルドから追放された禁忌の魔術師の遺跡から発掘した物だ。
車はやがて山の中にある洞窟に入った。
車から降りたのはポーロ・マドラス。そして白髪の同じ顔の二人の若い男女だ。彼らの前には三色の複雑な模様を描く白銀の扉があった。双子が扉の前に近づき、両手を扉に合わせる。複雑な三色の模様が輝き、それが目まぐるしくその形を変化させていく。
やがて全ての線が一本の白いラインに集約した。扉は音もなく向こう側から開いていく。
長い階段を上がり、三人は滅びた都市の跡に立った。上空には透明な結界が飛び回る竜の軌跡からその形を浮き上がらせる。その下には格子状のまっすぐな道路。その周りに規則正しく立つ三角錐の建物。数百年前、結界内の魔力を持つものがすべて滅んだ街。道には朽ちた白骨がいくつもある無人の街は、かつて世界を支配したその威容を残している。
「伝承通りだな」
ポーロはそうつぶやくと、中心に立つ三角形の巨大な建物へと向かった。そこにはグランドギルドの魔術の頂点、彼ら自身すら扱えなかった究極の遺産があるはずだ。
2021年9月5日:
次の投稿は来週日曜日です。