#11話 ヒント
朝、学院廊下を足早に歩く。一睡もしていないのに眠気が全く感じられない。あの後、文書保管庫の関連しそうな文書を片っ端から調べたが、結界破綻という最悪の仮説を否定する材料は見つからなかった。
二年の学年代表室、リーディアの部屋をノックする。返事はない。昨夜は夜会だったことを思い出す。公務がある時はなるべくまとめて城の仕事を入れるんだった。午前中は登校しない可能性が高い。そんなことにも思い至らなかったとは。
間抜けな空振りにますます心が焦る。悪循環だ。この焦りに意味はない。俺が焦ろうが焦るまいが結界破綻が進行中なら進行する。
学務課に向かい、生徒の外出予定について調べる。準騎士としての狩猟で外に出る二年生は一組しかいない。
リーディアとサリアのパーティーが外出の申請をしている。出発は今日の午後。これは今日は登校しないということじゃないか。予定には修正の跡が残っている。最初は三日後の予定だったのを早めている。目的は北区。かなり強力な魔獣が出現する地域だ、それも赤の……。
昨夜、火竜狩りで発言権を得るための条件を考えた。第一に、上級魔獣を狩る力があることを示すこと。入手可能な最高の触媒を用意していること。後は、狩り場である北区についての知識があること。
北部で上級魔獣を狩ればそれらは一度に満たせる。はぐれ火竜の出現予想が存在することはまだわかっていないが、ほぼ決まりと考えた方がいい。
無言で廊下に出た。
足から床へと力が吸い取られるような錯覚に陥る。焦りを通り過ぎ、あきらめに似た感情が心に滲み出す。リーディアに今回の命令の裏の意味を確認したとして、いったいどうするんだという気持ちだ。
ことは火竜狩りだ。有力騎士が総力を挙げて手が届くかどうかという話だ。騎士ですらない文官にできることはない。彼女が俺に真意を明かさなかった理由はそれで説明がつくし、俺に期待している仕事の範囲もわかるではないか。
リーディアの命令に忠実に、彼女のパートナーの調査に全力を尽くした方がいい。そして何食わぬ顔で、客観的に分析した報告を上げればいい。
徹夜明けの頭が、安易な結論に引き寄せられる。だが、その至極合理的な結論に、俺の頭脳は頷いてくれない。
理由は二つだ。まず第一に、リーディアを火竜狩りの場に立たせること自体が不可だ。
俺には騎士に成りたいなんて思いは欠片もない。閑職文官として仕事をしながら、副業として錬金術を研究していければいいと思っていた。
だが、今リーディアに課せられている重圧の、少なくともいくばくかは、俺がまともな進路を進んでいれば負うべきだったものではないか。無意味と分かってるし、感傷にすぎないと判断できるのに、その感覚が消えないのだ。
それを四歳も年下の女の子が背負う。それも、自分の命と将来まで懸けてだ。いくら実力があるとはいえ、上級魔獣に挑むことだって早すぎるはずだ……。
もう一つは、万が一の話だ。もし彼女が昔俺が言った言葉を覚えていたなら……。
「……先生」
何もできない。いや、だけど何とかしないと。どうするんだ……。
「レキウス先生」
「あ、えっ、先生?」
振り返ると白い髪の少女が心配そうな瞳で俺を見ていた。
「あ、ああ。シフィー。ごめん、ちょっと考え事していて」
「私こそお仕事中にごめんなさい。お忙しいのですよね」
「はは、仕事で調べなくてはいけないことが多くてね。ええっと、何か用事かな」
努めて冷静さを装うが、こっちを見上げる少女の顔は晴れない。彼女の瞳に映る俺はひどい有様かもしれないな。
「レキウス先生にお礼を言いたくて」
シフィーは腰に付けていた三個の小瓶を俺の目の前に見せた。
「ヴェルヴェットさんに一緒に行ってもらって、先生のいう通りに書類を書いたんです。そしたら、これまでよりもずっと使いやすい触媒をもらうことができました。これで練習を再開できます」
シフィーは俺に頭を下げる。ああ、なるほど。この触媒は色といい透明感といい、悪くないな。
「いや、ちょっとアドバイスしただけだから。その、まだいろいろ大変だと思うけど頑張ってね」
「大丈夫です。邪魔されてたのは正直少し辛いですけど。でも、先生とヴェルヴェットさんが助けてくれたから」
「そうか、うん。俺もちょっとほっとしたよ」
何とか笑顔を作る。よかったのは確かだが、今の俺には彼女の相手をしている余裕がない。下級触媒にかまっている場合ではないのだ。
「はい。あっ、でも……」
「んっ? まだ、何か問題があるのかい」
勝手に前に進みそうになる足を努力して止める。早回しになりそうな舌を何とか抑える。
「いえ、そうじゃなくて。今回の新しい触媒、別の色が混ざったのはもちろん、そういうことがあった前よりもいいくらいなんです。でも……」
「でも?」
「先生が紙に書いてくれたあの時ほどの感触はないなって。あんなすごいの初めてだったから。それだけです。本当にありがとうございました」
シフィーはそういうと改めてお礼を言ってくれる。そして、お邪魔してごめんなさいといって俺から離れた。俺はあいまいな笑顔でそれを見送る。
解放された足を速める。今最優先で考えなければならないのは右筆としての仕事だ。とはいえ、いったいどこに行けばいいんだ。
問題は何だったか。リーディアを火竜狩りに参加させずに、それでいて彼女の立場を守り、もちろん火竜の狩りは成功する、そんな条件……。
狩りは成功したが、アントニウスとダレイオスは戦死とかか……。そんなことを考える自分にビビるわ。というか、ダレイオスはともかく、アントニウスがそんな危険を冒すか?
そんな状況ならリーディアが真っ先に……。
大体、それは運に頼ってるのと変わらない。つまり、俺が火竜狩りに対してできることなど、祈るくらいしかないということだ。
その火竜狩りに対して俺は無力だ。この大前提がある限り、俺にできることはないのだ。何度目かの確認を終えた。この結論が間違いないと、多角的に判断できた。
…………なら、その大前提をひっくり返そう。
必要なのは火竜を狩ることか、違うだろ。
必要なのは結界を維持するために必要な“超級触媒”だ。それが手に入れば、狩りなんてしなくていい。
だが、その触媒は火竜を狩ることでしか入手できない。超級触媒は超級の魔獣からしか取れないんだから……。
別の超級魔獣から? 獲物を探すところから始めなければならないし、どっちみち火竜クラスの魔獣だ。過去に狩猟の経験がある火竜の方がましだ。
では、超級触媒をどこかから買うというのはどうだ。もちろん、触媒と魔力結晶は市場には出ない。それは騎士が直接扱うのだ。そもそも、この都市をひっくり返してもそんな商品は存在しないから困っているのだ。
だが、この都市でなければどうだ。この前市場に行った時のことを思い出す。東西の連盟の商人が来ていた。多くの都市の集まりなら超級触媒が何らかの形で存在してもおかしくはない。
いや、外から買えるものならとっくに買ってるだろう。都市の滅亡と引き換えの品だぞ。一体いくらになる。最悪、他の都市にリューゼリオンの首根っこが抑えられる。
つまり、仮にそれが存在しても、俺ができる取引じゃない。それこそ城の文官のトップが出る話だ。
…………駄目だ、まったく手が浮かばない。俺には超級はおろか、下級の触媒すら入手できない。リーディアが今度の狩りに成功しても、手に入るのは上級触媒。質はもちろん、結界器の大きさを考えると量すら心もとないだろう。
俺にできることなんて、触媒をクロマトグラフィーで分析して劣化具合を調べることくらいだ。
王家が管理しているストックが仮に意図的に劣化させられていたとして、それを俺の技術で調べられないか?
分析することに意味はあるかもしれない、犯人を突き止めるためにとかだ。だが、それで火竜狩りが不要になるわけじゃない。大体、俺にストックを触らせてくれといっても、許可されるわけがない。
俺の錬金術では、シフィーを助けることができても、都市の滅亡は防げない。
………………待てよ。
本当にそうか? シフィーはさっき俺になんていった?
この前シフィーに試してもらったクロマトグラフィー上の青い触媒成分。あれはもともとシフィーからもらった触媒だ。劣化を差し引いても下級の中でも下の触媒だ。それから劣化した成分を除いてまともにしたに過ぎない。
一方、さっきシフィーが俺に見せてくれた瓶の青は多少は深く澄んだ色だった。もちろん、下級にすぎないが、その中ではましな方に見えた。
下の下の触媒が下の中の触媒に勝った? 下級という範囲内で、シフィーとの相性の問題だろうか。そう考えるのが自然だ。
いや、でもシフィーはあの時かなり驚いていた。普通の使い方じゃないからそのせいだと思っていたが、そうじゃないとしたら……。
でも、そんなことがあり得るか?
ある仮定を置けばあり得るんじゃないか。クロマトグラフィーはあくまで分析のための手法だ。だが、それは結果的に錬金術の基本であるアレにもつながっている。もし、そうだとしたら……。
脳裏にありえない仮説が浮かぶ。
この仮説が当たっていたとしても、乗り越えなければならない問題はある。だが、まずはこの考えを確認することだ。
「シフィーちょっと待って」
俺は慌てて廊下をもどる。そして、驚いて振り返るシフィーの肩を掴んだ。
2019年9月14日:
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