#1話 現状
魔導艇で旧ダルムオン猟地の西境の河を進む。ここを通るのは今回で三回目だ。一度目は騎士学院の合同演習でシフィーを助けに向かった時。二度目は怪しい魔力反応を示したクリスティーヌの大型魔導艇を追跡した時だ。
【旧ダルムオン】
黒い猿と戦った合同演習地はとうに過ぎ、行く先には旧ダルムオン猟地の中に入り込む支流が見える。ここから支流に入ればクリスティーヌを救出した場所に至る。彼女の魔導艇を止めた黒い魔導金属の流れがグランドギルド時代の鉱山の位置を示すヒントだ。
だが、今この支流に入り込むのは危険な状態らしい。
目的地は支流の入り口を臨む河の西岸だ。旧ダルムオン猟地の西境の西側だから、グンバルド連盟の東端であるドルトンの猟地のさらに端だ。
湾曲した河には小型魔導艇が周回し、空にはグライダーが警戒している。ラウリス、グンバルド、そしてリューゼリオンの旗が並ぶ連合軍の本陣だ。
巨木を使った桟橋の奥の河原には引き上げられた魔導艇が見える。船の腹に空いたいくつもの穴を樹脂で塞いでいるところだ。せっかくの銀の船体が台無しになっている。
河原の向こうには飛行遺産が木の台に固定され魔導鍛冶が取り付いている。翼がちぎれかけた数機は本国に移送するために船に乗せるために梱包されている。
貴重な遺産の痛ましい姿は明確な苦戦の印だ。そもそもこの本陣の位置自体が、旧ダルムオン猟地に容易に入り込めない連合軍の現状を示している。
東西の両連盟とリューゼリオン、つまり大陸の全ての都市の勢力を合わせて、たった一都市の猟地を攻略できない。いや、正確に言えば敵は一都市ですらない。連合軍の前に立ちはだかっているのは無主の猟地を勝手に占拠している騎士の小集団だ。
船から降りた俺に見知った顔が近づいてきた。護民騎士団の副官殿だ。彼に案内されて本陣の奥に向かう。
大樹の幹の下の大テントには三つの都市の旗が並んでいる。中には、正方形の机とそれを囲んで立つ三人の騎士がいた。ラウリスの提督レイアード、グンバルドの将軍ヴォルディマール、そしてリューゼリオンの騎士団長カイン。机の上にはいくつものバツ印が付いた地図が広げられている。
自信家ぞろいの三人の顔にはっきりとした憔悴の色が現れているのが分かる。
「傭兵団に対する作戦会議を始める。まずは現状の確認からだ」
ヴォルデマールが言った。ちなみに『傭兵団』というのが敵の呼称だ。傭兵というのは交易路で商人の護衛をして食いつなぐ騎士くずれのことだ。ダルムオンが滅びた時に各地に散らばった元騎士たちが主な出自だ。
三都市会談の後で捕まえた商人から引き出した情報だ。
リューゼリオンを悩ませてきた旧ダルムオンに巣くう黒い騎士集団の正体がやっとわかったのだ。どこの都市にも属さない騎士の集団でしかも旧ダルムオンに詳しい。分かってみれば納得である。
当然だが、彼ら自身が傭兵団と名乗っているわけではない。猟地に君臨する騎士にとっては平民である商人に金で使われる傭兵は軽蔑すべき存在だ。つまり、この名称は彼らを騎士とは認めないという連合軍の意思を示している。
いや、認めるわけにはいかないというのが正確だな。彼らをダルムオンの正当な後継者と認めることは、こちらの立場では絶対にできないのだ。
「傭兵団の戦力は地を走る遺産、戦車だ。現在確認されているのは二十数両。無論、これが全軍とは限らないが、戦場の目撃情報を考えるにそう違いはないだろう。騎士としては百人いないことになる」
敵の行動の大半が森の中だ。だが、グンバルドのグライダーによる上空からの魔力観測も含めての情報だから信用できるだろう。人数的には確かに少数だ。都市として大きくないリューゼリオンでも現役の騎士は五百人近くいる。リューゼリオンから逃げ出したデュースター家の十数人を除けば、元々の人数は五十人いるかどうかというところか。
「戦車は極めて厄介な相手だ。速度と輸送能力なら我らの魔導艇がはるかに上だが、こちらは河しか通れない。進路が予測できるということだ。河の周囲の森に潜み待ち構えて攻撃してくる。こちらが反撃しようとしたら森の奥へ引っ込む。この繰り返しだ」
レイアードが言った。
「森の中ではなおさらです。我々が偵察した限りでは五両で構成された隊で行動します。森は広い上に移動は迅速で陸上である限り地形も気にしない。しかも、移動していないときは殆ど反応がない。魔力測定儀を持っても遠方から把握するのは困難です」
まさに神出鬼没、森の中では無敵の遺産だな。流石はグランドギルドが傘下都市の反乱に備えて置いた戦力というところだ。
だがそれだけなら一方的に不利にはならない。こちらは人数と速度で勝る。しかも、本拠地である鉱山の位置は把握できているのだ。
数で押し本拠地を落とすのが最善の戦略だ。初戦ではカインが首尾よく鉱山を見つけ、レイアードもヴォルディマールもすぐ本拠地狙いに切り替えたらしい。騎士同士の戦いに慣れているわけではない提督と将軍としては感嘆すべき判断だったと思う。
「ですが、本拠地は結界に守られているわけですね」
「そういうことだ。初戦以降は鉱山に近づくこともできない。あちこちで小さな遭遇戦が続いている。しかも、敵は所々で黒い魔獣まで嗾けてくる」
「結界も普通の都市のものよりもはるかに強力ですね。と、まあこれが我々の現状です」
カインの言葉を最後に説明が終わった。
「グランドギルド時代の最新鋭の遺産と結界の組み合わせ。本当に手ごわいですね」
戦場の中心に鉄壁の本拠地を置き、森の中を駆けまわる神出鬼没の精鋭集団。しかも、元々は反乱を鎮圧して鉱山を保持するための仕組みだ。両連合の遺産と違って文字通り戦争の為の存在だ。
地図の上には敵の本拠地である鉱山を中心にいくつものバツ印が付いている。森の中に散らばるそれが、敵との交戦が生じた地点だ。
「かなり遠方まで散らばっていますね」
「あの戦車は最近まで鉱山で使われずに保存されていたのだろう。いわば、グランドギルド時代から温存されていたというわけだ」
「なるほど。つまり、戦えば戦うだけこちらが一方的に消耗するというわけですか」
あちらは新品、こちらは何百年も使われてガタが来かけている遺産だ。
「魔力の補給的にも傭兵団が有利だ。鉱山に結界があるということは地下には太い地脈が通っているということだ。戦車に魔力を供給する充填台のような物があるのだろう」
欠点は森を超えて行動が難しいこと。人数的にも猟地を超えて攻撃を仕掛けることは難しいだろうということくらいだ。
つまり極端な話、こちらから仕掛けなければ被害は出ない。だけど……。俺は机の横にある、ダルムオンの紋章が刻まれた筒を見た。
「こっちは引くわけにはいきませんからね」
「その通りだ。このままでは我々は最終的に傭兵団に敗北する」
傭兵団のトップ、彼ら自身の言葉で言えば『新ダルムオン王エゼルバルド』が『侵略者』につきつけた要求は以下のような物だ。
一つ、新生ダルムオン猟地から全ての騎士を撤退させること。以後、両連合及びリューゼリオンの騎士が我らの許しなくダルムオンの猟地に入ることを禁ずる。
一つ、ラウリスはトラン、グンバルドはドルトンの支配権をダルムオンに渡すこと。また、不当にもリューゼリオンより追放されたデュースター家をリューゼリオン王家として復帰させること。
一つ、今回の侵略の償いとして両連合は年ごとに以下の物資及び人員をダルムオンに納めること。
百人にも満たない騎士集団が合計数万を超えるこちらにつきつけた要求は強気そのものだ。一つたりとも受け入れられない。
傘下都市を渡すなど連盟の解体とほとんど同義だ。というか、東西の両連合の間を割き攻撃するための拠点をよこせというのに等しい。リューゼリオンの王家にデュースターというのは傀儡になれということ。毎年納めろという貢納も莫大な量だ。
旧ダルムオンの残党として、唯一常識的に見えるのが第一条だが、これこそが最大の問題だ。連合軍がわざわざグランドギルドにこれだけの軍を入れたのは、この土地に眠る鉱山を手に入れるためだ。
そうしなければ魔導艇と飛行遺産に頼った連盟の運営が将来的に破綻するからだ。
つまり『傭兵団』は両連合の死命を制する立場にある。しかも、戦いが続けばこちらの遺産の消耗は加速する。
「つまり、ダルムオン復興宣言じゃなくて現代のグランドギルド復活ですか」
そう、これは今後自分たちが大陸を支配するという宣言だ。百人にも満たない騎士の集団が大陸の頂点に立つといっている。だからこそ彼らは無主の猟地に勝手に居座る『傭兵団』でなければならないのだ。
勝てる見込みがないのに引くこともできない。最悪の状況の出現だ。俺は改めてそれを把握した。
「というわけで先輩の出番というわけです」
カインの言葉と共に、三人がそろって俺を見た。どうして俺が何とかできると思ってるのか心から疑問に思う。この状況、文官としてはなるべくいい寛大な条件で降伏を認めてもらうための文案を作るくらいしか貢献できそうにない。
2021年5月9日:
次の投稿は来週日曜日です。