#9話 晩餐会
大広間の横にある使用人用の出入り口を開く。
設けられた晩餐の席に三組の騎士達が座って居る。主催者の三人を間に挟み、ラウリスとグンバルドの面々の表情は険しい。これからともに宴を楽しもうという雰囲気ではない。
特にグンバルドは給仕する王宮使用人が明らかに怯えているほどだ。
「割れ杯の酒では酔えない」という言葉がある。人の心を開かせる名酒でも、二人が取り合って杯を壊し地面にこぼれてしまえばただの泥水となりもはや飲めない。つまり、一度壊れた人間関係はもう戻らないという意味だ。
だからこそ人間関係を扱う文官は、とにかく決定的な対立が起こらないように気を使う。だが、残念ながら俺はそんな空気が読める優秀な文官ではなく錬金術士だ。そして、錬金術なら泥水をろ過し、蒸留し、酒精を濃縮することもできる。
つまり、零れた酒を元よりも濃い酒に戻すことも可能なのだ。
旧ダルムオンを三勢力で管理する仕組みを作るという俺たちの目的は、二つの理由によって暗礁に乗り上げている。一つ目は、はるか昔にグランドギルドが作り上げた支配の仕組み。二つ目はそれを利用して暗躍している黒幕の思惑だ。
俺達はそれをひっくり返さなければならない。実務者協議でも三王の会談でもなく、この晩餐で。
「準備は出来ているよね」
「は、はい」
俺は、隣にいる小さな少女に声を掛けた。彼女は遠目にも豪奢な服装と威厳をまとった騎士が並ぶのに気後れしている。
「大丈夫あの料理なら、王様達だって満足するよ」
俺はマリーに言った。
…………
広い会場に食器の音だけが鳴る。
晩餐が始まっても雰囲気は全く変わらない。食前酒、前菜と無言の時間がただ過ぎる。立派な会場だからこそ寒々しさが際立つ。
そして、その最悪の雰囲気の中メイン料理が登場した。
「これが主菜だと。見たこともないみすぼらしい料理ではないか」
ヴォルデマールが不審の目を皿に向けた。初めての発言は場の空気をさらに冷やすものだ。
確かに見た目は地味そのもの。赤と黒のソースが円を描き、その中に女性の拳ほどの茶色の物体が二つ並んでいる。毛ば立った衣をまとう形状も不気味だ。だが、王が皿を見て僅かに口元を緩めた。この料理を味わったことのある人間には、料理人が最高の状態で仕上げたことが衣の具合でわかる。
「旧時代の料理でクロケットという。麦を主とした料理だ」
「リューゼリオンでは騎士が麦を食うのか」
「主菜が採取産物とはよほど狩りが苦手と見える」
主催者直々の説明。ヴォルデマールが軽蔑したように言い、ドルトンの王弟がそれに合わせた。そして、三人の中央にいる大髭のグンバルド王がホストをにらむ。
「あるいは我らに対する侮辱か」
「いずれでもない。我が王宮では料理は味で選ぶのが流儀なのだ」
リューゼリオン王の言葉に三人は鼻白んだ。ちなみに、今王が当たり前のように言ったが、それは王の流儀であって、しかもごく最近の……。なんて言うのはやめておこう。せっかくの揚げたてだ、早く食べてもらわないと。
毒味を引き受けるように、リューゼリオン王が赤いソースに囲まれた方のクロケットにナイフを入れた。サクッという軽い音と共に、油で揚げた衣が割ける。白い湯気が立ち、中からとろりとした白いソースがあふれた。ソースの中にはオレンジ色の細い具が入っている。
「まあ、揚げ物料理ですね。白いソースに赤が美しい具が混じって、とても興味深いです」
客の中で真っ先に“食いついた”のはクリスティーヌだ。怪訝な顔の父と兄を差し置いて待ちかねたように、それでも十分優雅にナイフとフォークを動かす。衣をほとんど散らすことなく切り出した三分の一ほどが小さな口の中に納まった。
金髪の姫君は、目をつぶりうっとりとした顔になった。
「香ばしい衣の中に滑らかでコクのあるソース。その中に感じられる風味豊かな具の味。酸味のある赤いソースと相まって素晴らしい味です。しかし、この衣は一体どのような……」
「実はこの衣、貴都市から頂いたパンを細かく引き刻んだものを塗しております」
「パンを衣にですか。なるほど、油で揚げた小麦の香ばしさと歯ごたえが、なんとも心地よいです」
「……この赤い身の風味は覚えがある。もしやサーモヌスかな」
「ご名答だ。トラン王の土産であるサーモヌスの塩漬けなのだ」
「ほう、サーモヌスとは、なるほど」
妹につられるようにクリケットを口にしたレイアードが具の正体に気が付く。ラウリス王も顔を綻ばせた。
「ちなみにこの白いソースだが、これも麦の粉を用いている」
「まさに麦の料理ですね。これは驚きました。これはぜひともレシピを伺わなければ」
ラウリス側は大いに盛り上がっている。
特にクリスティーヌは一人だけ完全にあっち側のモードだ。良かったなマリー。君の目的の一つ、ラウリスのお姫様を驚かすはあっさり達成されたみたいだ。
「さて、いかがかな、グンバルド王」
「……麦と聞いて何かと思ったが、なるほど。いささか薄いが味は悪くはない」
口からフォークを離した大髭の王はそういった後、フォークを突き付ける。
「だが意図が気に食わん。要はラウリスとリューゼリオンの同盟関係を我らに誇示しているのではないか。いくら旨くともその雑味で台無しだ」
「では、もう一つをご賞味あれ」
リューゼリオン王の言葉に、グンバルド王が黒いソースに囲まれたクロケットにフォークを突き立てる。茶色の衣が散り、白いソースがあふれ出す。だが、そこに混ざるのはオレンジ色ではなく、茶色と白の縞の具、刻んだ燻製肉だ。ちなみに黒いソースは赤ワインと果実を煮詰めたもの。
「…………この風味、脂の甘味、山岳熊の肉か……」
熊のあばら肉の燻製である。揚げ物料理のクロケットのレシピの一つとして記録されていたものだ。旧時代は豚という角のない猪のような家畜の肉で作っていたらしい。
サーモヌスと同じく濃縮された肉の味がクリーミーなソースのまろやかさと実に合う。試作ではイノシシ肉のベーコンと比較してみたが、熊の方が合うというのが俺とマリーの結論だ。
ちなみに二種類のクロケットを出すことを言い出したのはマリーだ。カインからグンバルドが狩猟大会の時に何を食べていたのか聞きだしたらしい。
マリー曰く「おもてなしだから」だそうな。最初の想定に引きずられラウリスとの連携を誇示することに意識が行っていた俺は虚を突かれた。確かに、新しい目的を考えればそうするべきだったのだ。
全くなじみのない料理、新しい美味により、グンバルド王とヴォルデマールの表情から先ほどまでの険悪さが薄れた。それを確認してリューゼリオン王が立ち上がった。
「今回、このように東西の産物を皿の上で並べそれぞれの風味を味わっていただいた。わが都市よりもはるかに大きく、広大な猟地を持つ両王にもお楽しみいただけただろうか」
「確かに贅沢である。リューゼリオンの気遣いは痛み入るが……」
「たまたま猟地が中央近くにあるのが自慢か」
「我が自慢の料理を評価いただき、主催者として鼻が高い。だが、過去に遡ればどうであろう。各地の産物を溢れるほど皿に盛っていた“都市”があったのではないか」
王は大広間の向かいの窓から、遥か北を見る。
「なぜなら我らの都市は元々グランドギルドが必要とする食料や資源を供給するために作られたのだから」
「何が言いたい」
「すべての都市の基盤である結界。そしてラウリスの魔導艇、グンバルドのグライダーという両連盟の要を担うもの。これらグランドギルドの遺産は我々にとって必要不可欠だ。だが、それゆえに我らはいまだグランドギルドの作り出した支配に組み込まれたままではないか」
隻腕の王は窓から視線を戻し、両王を見た。
「遺産の中身は我らには最低限の物を除き秘匿された。その最低限もおそらく東西にそれぞれ分けて伝えられている。グランドギルドがどういう意図をもってこの仕組みを敷いたのかは容易に想像が付くだろう。すべての都市を己が支配下に置き続けるためだ」
そして、自嘲気味に頬を歪めて見せた。
「我々は全員、もう死に絶えた主のくびきから逃れられぬ身というわけだ。何しろ今この瞬間もグランドギルドのあるかもわからぬ遺産を巡って争っているのだからな。滑稽なことではないか」
東西の両王が苦い表情を浮かべた。現在騎士の頂点にある東西両連盟の主だが、所詮はグランドギルド時代と同じ状況ということだ。逆に言えば今の王の言葉は、複雑に絡み合う三者をグランドギルドの隷下として同一の立場に置いたことになる。
「かような頚木はもはや外すべきだ。そのための第一歩として旧ダルムオンに眠る遺産を我ら三者で共同管理する。これがリューゼリオンの立場であり、この会談の目的だと考えるが、いかがだろうか」
「賛成しよう。数百年前の過去の支配者に今をもって操られる必要はない。我々は我々の意志で動くべきだ」
ラウリス王が賛意を示した。だが西と南の両者に挟まれた髭の王は首を立てには振らない。
「交易網を重視するラウリス。単独都市であるリューゼリオンと我らは状況が違う。大体、いかに物や金が得られても今言った問題は解決しない。約束だ。聞かせてもらおう。リューゼリオンは旧ダルムオンに眠るグランドギルドの遺産、白金鉱山について何を知っているのか」
不治の病に侵されている病人に、どれだけ食料や贅沢を与えても問題は解決しない。これはある程度予想されていたことだ。だから、この晩餐にはあと一幕がある。
「では、会食の最後に余興をお見せしよう」
リューゼリオン王が後ろに控えている俺に合図をした。いよいよ俺の出番だ。
2021年3月28日:
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