#閑話 世界の中心にある空白
東に旧ダルムオン、北にかつての世界の中心を望む地点。深い森と二つの河の合間に存在する一つの都市。グンバルド連合の都市ドルトンだ。円形の街は北側の四分の一が白で、残りが茶色に分かれている。
茶色の街の中で一際大きな建物、市場に隣接する商館は二十年ほど前から急激に成長したポーロ商会の持ち物だ。東西交易を主に行なうこの商会の発展は実は隣にあったダルムオンの滅亡に端を発する。
都市は食料や資源の大部分を周囲にある自らの猟地で得る自給自足体制だ。都市間の交易の割合は極めて小さい。例外は太湖を有するラウリス連盟だが、ラウリスにしてもグランドギルド滅亡から百年単位の時間をかけ、交易のネットワークを発展させてきた結果だ。
つまり、大陸の多くの都市で交易はせいぜい隣同士の都市間に限定される。魔獣に対抗するすべがない商人が行う以上、騎士の狩猟活動に依存するのだ。採取労役と変わらないとも言える。
そんな脆弱な基盤である以上、中間にあるダルムオンが滅びた三十年前、東西交易は一端途切れたと言っていい状態になった。立地的に比較的交易の利益が大きかったドルトン商業界は大きな影響を受けたが、都市を支配する騎士や文官は何の対処もしていない。
だがダルムオン滅亡から十年後、ポーロ商会は傭兵を使い東西の交易を再び接続したことで急激に成長したのだ。今やドルトンの商業界はこのポーロが支配していると言っていい。
だが、この商会の本当の姿はそれよりもはるかに巨大だ。
商館の地下には上の建物のどの部屋よりも立派な地下室があり、東西の二枚を合わせた巨大な大陸地図が飾られている。地図を背にする白檀の椅子に、白い猫をその足元に眠らせる老人が座って居た。老人はつい先ごろまで遥か東、太湖西岸のランデムスの隠居所にいた人物だ。ちなみに件の隠居所は今頃跡形もなく燃え尽きている。
広い机に左右に分けて詰まれた紙の束。右手の先がグンバルド連盟。左手の先がラウリス連盟の領域から届いた情報だ。老人はそこから一枚一枚手にとっては、内容を確認していく。
ゆっくりと、しかし紙の裏までも射貫くような鋭い眼光は一線を退いた人間の物とは思えない。
いったん途切れた東西交易の再接続によって得た富を用い、大陸全土の交易に絶大な影響力を持つ、にもかかわらず東西それぞれで全く別の名前で活動しているため、連盟の枠を超えた知名度はほとんどない。
いわば国家を超えた巨大な商業ネットワークの中心がこの商館であり、それを束ねるのが地下にいるこの老人なのだ。その富によって商人を監督する文官を懐柔し。同時に、旧ダルムオン騎士の残党である傭兵という武力組織も持つ。
それが旧ダルムオン出身の商人ポーロ・マドラスの正体だ。今の彼にとって背後の地図の一つ一つの都市は文字通り点にすぎない。
そんな彼が商人になったのは今から五十年以上前。故郷が滅びる前、連合としてまとまりつつある東西の中間にあるダルムオンの優位性に気が付いた彼は、商業を都市の中心にするという理想に邁進していた。
まだ若かった彼にとってはそれはより良い世界を作るための夢だった。
だが、そんな彼の考えは騎士はもちろん、同業者にすら理解されず、死に物狂いで蓄えた富は没収され、自身は牢獄へと繋がれた。それが三十年前だ。
そして彼の処刑の前夜、ダルムオンの空を赤い竜の群れが舞った。
彼を捕らえた都市は崩壊した。牢から何とか逃げだした彼は、船に揺られるまま東に流れラウリス連盟にたどり着いた。それから十年、その商才をラウリスの交易ネットワークの中でいかんなく発揮した彼は、二十年前にはかつての故郷を超えて西に進出、今の巨大にして見えざる支配を築いた。
今、彼が見ているのは文字通り大陸規模の大事件だ。ドルトンから南、リューゼリオンという小さな都市で行われている大会議の詳細だ。西と東、両方の使節に忍ばせた文官から経て伝わってくる、極めて詳細な情報だ。
対立する両連合の内部に目と耳を持つという意味で、この会議について老人を超える情報を持つものは大陸に一人もいない。それは間違いない事実。
そして、彼の手元に集まった左右の情報は両方が同じ結論を示している。つまり、会議はまさに老人の思った方向へと進んでいる。
すなわち、旧ダルムオンを巡る東西両連盟の激突だ。騎士の大組織同士を潰し合わせるという恐るべき計画がその皺の上に掠れる罪人の入れ墨が刻まれた手の中にある。もちろん、表現に正確を期すなら、この計画は彼が一から作り上げたというよりも、古のグランドギルドの構造を利用したものだが。
どちらにしても結果は同じだ。戦争が起これば騎士はその力を大きく損なう。しかも、戦争という物は一度始まれば容易には止まらない。殺し合い、つまり戦争自体によって生まれる憎悪の連鎖により次々と戦う理由が再生産されるのだから。それはまるで蟻地獄に足を踏み入れた蟻のもがきと同じだ。
そして、複数の都市を跨ぐ巨大な組織同士の軍事行動となれば、それを騎士が上手く管理するなど不可能だ。つまり、物流と情報を握る彼の力を借りねば双方とも戦線を維持することは出来なくなるだろう。
最後には彼にすべてが食われるということだ。彼が目指していた商業中心の世界の構築に手が届くだけの無限の富に等しい。
ただし、彼の計画には決定的な弱点がある。たとえどれだけの金や物を支配し、同時に騎士の力が大きく損なわれても、騎士が持つ武力に商人は結局は太刀打ちできないのだ。彼が表に出た途端、かつてのダルムオンで起こったことが再現されることは必定だ。
現在彼の手先である傭兵団ですら、旧猟地をとり戻した後は真っ先に牙をむくだろう。彼の力はこの世界の主は自分たちだと信じる騎士たちが許容するにはあまりに巨大すぎる。
だからこそ、彼には手に入れなければならないのだ。現在の騎士をはるかに凌ぐ力を。
そして、それは可能だ。彼が築き上げた情報網が集めたのは現在の情報だけではない。グランドギルドにより意図的に東西で分割された記録もまた、彼の手元に集約されているのだ。そう、現在の騎士などグランドギルドに支配される猟師にすぎなかった、その時代の力を握るための鍵だ。旧ダルムオン残党がその猟地で振るった力はその末端にすぎない。
足元の猫が目を開け口元を掻いた。地下のドアが開く音がした。
「総裁。最新の情報が届きました」
老人の元に新しい報告が届いた。グンバルド王が騎士を動員する準備を始めたという情報だ。彼らには石ころ同然の鉱石の為に、殺し合いをする準備だ。
「計画通りだな」
「はい。不確定要素があるとしたらあの傭兵どもの動きです」
「確かに勝手が過ぎるな。あのタイミングで仕掛ける必要などなかったというのに」
「騎士らしく猟地への執着がすぎるのでしょう」
「手に入った力を使って見たかったというのもあろうな。どちらにしても偏狭にして野蛮な騎士に似合いの行動だ」
「いかがいたしましょう」
「放っておけ。奴らの目がダルムオンに集中している分には問題ない。それよりもあの双子はどうした」
「はい。順調に探索を続けております。戦車が手に入ったことで、遠からず目的地にたどり着くかと」
「それでいい」
老人は次の報告書を手に取った。
「そういえばこの会議、リューゼリオンは翻弄されているだけだな。これまで切り抜けてきたのはランデムスの豚や傭兵どもの不手際だったか。護民騎士団などという新しい組織がいささか評価できるかと思ったが、国力の違いは埋められんということか……」
リューゼリオンの経済規模は把握している。東西に比べればあまりに小さい。二つの大勢力が衝突を開始すれば何も成せなくなるのは必定だ。旧ダルムオンが策謀の中心にあった時には策源地として押さえておきたかったが、もはやそれも必要ない段階になっている。
「必要があればデュースター家を使う準備は出来ております」
「所詮は辺境の一都市。そうだな、騎士の世の破滅が始まった都市として歴史に名を遺させてやろう」
老人はそういうと薄く笑った。掌にかすかに残る罪人の入れ墨を無意識に撫でる彼の表情に、かつての理想は残っていない。
2021年3月14日:
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